太田述正コラム#9567(2018.1.6)
<映画評論51:ユダヤ人を救った動物園 ~アントニーナが愛した命~(その10)>(2018.4.22公開)
8 「毀」誉褒「貶」への反批判
「若干の映画評論家達の諸反応から判断するに、この映画の勇敢な救助者の描写の主たる問題は、映画を見に行く人々は余りにも完全な男の英雄達や女の英雄達を受け入れることが困難である、ということなのだろうか。
我々は、欠点があり、その諸動機が疑問符が付くものかもしれず、その諸行為がいつも名誉あるものとは限らず、それでいて、究極的には正しいことを行う人物、とは心を通じ合わせる用意があって、そういう人物は劇的な観点からはより興味深い、というようなことなのだろうか。
ここで、私の念頭にあるのは、もちろん、スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)のオスカー・シンドラー(Oskar Schindler)やアニエスカ・ホランド(Agnieszka Holland)<(注14)>のレオポルド・ソハ(Leopold Socha)<(注15)>、等の銀幕上の主人公達だ。
(注14)1948年~。「ポーランド・ワルシャワ出身の映画監督、脚本家である。・・・父・・・はユダヤ教系ポーランド人、母・・・はキリスト教系ポーランド人。父の両親は第二次世界大戦中に・・・ワルシャワ・ゲットーで亡くなった。母は敬虔なローマ・カトリック教徒で、第二次世界大戦中はナチス・ドイツに対するポーランド国民抵抗組織の「ポーランド地下国家」・・・に属し1944年のワルシャワ蜂起において最前線で戦った。アニエスカ本人は特に宗教教育を受けずに育った。・・・1981年の戒厳令を期に西側諸国に移住する。以後はフランス、ドイツ、アメリカ(ハリウッド)で映画監督として活躍。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
(注15)1909~46年。
https://en.wikipedia.org/wiki/Leopold_Socha ([]内↓も)
「『ソハの地下水道』(・・・In Darkness)は、アニエスカ・ホランド監督による2011年のポーランド・ドイツ・カナダ合作の伝記映画である。 第二次世界大戦中にユダヤ人たちを地下水道にかくまい、命がけで守り抜いたポーランド人レオポルド・ソハの実話を題材にしたロバート・マーシャルの<本>を映画化した作品である。・・・
ナチス支配下のポーランド・ルヴフ(現在のウクライナ・リヴィウ)の下水修理業者であるソハは、副業として、空き家となったユダヤ人の家から金目のものを盗み出している小悪党である。そんな彼は[1943年の]ある日、ルヴフ・ゲットーから逃げ出してきたユダヤ人たちと出会い、金目当てで彼らの下水道内での潜伏生活を手助けすることになる。彼らと接する中でソハの気持ちには徐々に変化が現れるが、相棒がドイツ軍によって縛り首になるなど、自分の周囲にも危険が迫ると、ソハは彼らと距離を置こうとする。それでも彼らを見捨てることができないソハは、[金目の持ち合わせががなくなった]彼らを命がけでかくまうことになる。また、家族の安全よりもユダヤ人を大事にするソハに、妻ヴァンダは反発するものの、ソハについて行くことを決める。一方、ユダヤ人たちの中には下水道での生活に嫌気がさして逃げ出す者が現れる。しかし逃げ出した者たちは収容所に送られるか、下水道内で行き倒れて亡くなるだけだった。・・・精神的に追いつめられ、当局に何度も見つけられそうになりながらも、下水道を知り尽くしているソハのおかげでユダヤ人たちは幾度となく難を逃れる。そして、大雨による下水道の増水という危機を奇跡的に乗り越えた[当初の20人中の10人]は、14ヶ月の潜伏生活の後、ようやく自由を手に入れる。・・・ソハはその後しばらくしてソビエト軍の暴走トラックから娘を救ったために事故死する。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%8F%E3%81%AE%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E6%B0%B4%E9%81%93
その一方で、その諸動機が完璧に純粋であるところの、事実上完全な人間は、とりわけ、映画を見に行く人々が<上述のような>欠点のある主人公達に慣れるに至っている中では、我々の多くの経験の諸領域を超えるもの<、と受け止められてしまう>らしい。
アントニーナ・ジャビンスキのよう何者かが、全く諸欠点を持っていない、ないしは、少なくとも殆ど持っていない、ように見える以上、彼女、ないし、ジェシカ・チャステインの傾倒した演技によって描写されたアントニーナの人物像、は、何か非現実的な範疇に仕分けられてしまうのだ。
しかし、ジャビンスキ夫人は、単に自分が正しいと感じたことを行ったところの、実在の人だ。
仮に、彼女の人物像が劇的緊張に値しないとしても、そのことでもって、彼女が非難される筋合いはないのだ。」(γ)
⇒この映画評論家は、「毀」誉褒「貶」論の一部しか再批判していませんが、真っ当なことを言っています。
日本以外では、人間主義者は圧倒的少数派なので、これらの人々を主人公にした映画は非現実的な印象を与えてしまう、というわけです。
但し、シンドラーやソハのような史実の存在は、非人間主義者も何かの契機で、人間主義的にふるまうようになりうることを示しています。
その契機は、極限状態の中で、圧倒的少数派たる人間主義者による、自分自身への人間主義的言動だったのだろう、と私は想像している次第です。
そういう観点から、この2人を主人公とする映画を再び鑑賞したり、鑑賞したり、或いはこの2人についての伝記的なものを読んでみる必要がありそうですね。(太田)
(続く)