太田述正コラム#9613(2018.1.29)
<キリスト教の原罪(その2)>(2018.5.15公開)
「シリアのパルミラ(Palmyra)<(コラム#7667、7671、7675、7677、7679、7681、7685、7691、7859、8301、8387、8784)>で、「破壊者達は外の砂漠からやってきた…そして、ひどい破壊がその後に続いた。
顎髭を生やし黒衣を身に纏い、この宗教的不寛容者達は神殿に立ち入り、女神アテーナー(Athena)の像を攻撃した。
それが終わると、「彼らは、再び砂漠の中へと溶け去っていった。
彼らが去った神殿には静寂が戻った。」
この、洒落た、まるで映画のような出だしで、著者は、今日のイスラム過激派と、紀元385年のキリスト教徒たるならず者達の悪しき一団<(注2)>との同等性を描く。」(I)
(注2)邦語と英語両ウィキペディアには、273年のローマ皇帝皇帝ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス(Lucius Domitius Aurelianus Augustus)によるパルミラ王国攻撃の際の破壊の記述はあるが、この記述はない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%A9
https://en.wikipedia.org/wiki/Palmyra
「著者は、彼女の父親がかつてカトリック僧で、第二バチカン会議(Second Vatican Council)<(コラム#1020、1861、3766)>の諸改革後の時代に自分の天職を去り、どのように、かつてカトリック尼僧であったところの女性と出会い、結婚したか、を描写する。・・・
彼女の両親は、それぞれ<宗教的>誓約を置き去りにしたかもしれないが、大部分のカトリック教徒の諸家庭で見出されるどんなものよりも、俗人禁欲主義を実践していたように見える。」(B)
(2)理性の時代
「紀元111年、皇帝トラヤヌス(Trajan)<(1761、2317、2334、3687)>は、ビテュニア(Bithynia)<(注3)>総督のプリニウス(Pliny)<(注4)>への手紙の中で執拗にこう主張した。
(注3)「歴史的地名で、古代にはビテュニア王国、・・・ローマの時代に属州(ビテュニア属州)が存在した。小アジアの北西にあたり、マルマラ海、トラキア、ボスポラス海峡および黒海に接する。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2
(注4)ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(Gaius Plinius Caecilius Secundus。61年~112年)=小プリニウス。「帝政ローマの文人、政治家。・・・元老院議員として・・・友人<である>・・・トラヤヌス帝に対して捧げた賞賛の演説『頌詞』と、紀元103年からのビティニア属州総督任期中に・・・トラヤヌスと交わした・・・書簡集が作品として知られている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%B9
最も手におえない叛乱者達だけを処罰するように、と。
「我々の神々」に諸祈祷を捧げる意思のある者なら、誰であれ、「どれほど、彼の過去の行状が疑いがあるものであろうと」赦免されうる、と。
キリスト教徒達は、ローマの古からの諸伝統や彼らの政治権力の諸構造に対する脅威であると見ることができた。
というのも、彼らは、その隣人達の過半によって好まれていた諸流儀でもって信心をする(worship)ことを拒否したからだ。
しかし、トラヤヌスやプリニウスのようなローマ人達は、キリスト教徒達の諸動機を捜査すべく追求(searching)することに関心はなかった。
「彼らは、狩りの対象にされてはならない」、とトラヤヌスは執拗に主張した。
彼は、少数の変わり者達の諸頭のことを心配するよりも重要な諸事を抱えていたのだ。
彼らが最小限の通常の諸儀典を行うことができる限り、かかずりあうことはない(unobjectionable)、と。
伝統的なローマの宗教は、諸信条と諸実践(practice)のでっかいずだぶくろだったのであり、ローマ化された古代ギリシャのオリュンポス住人達・・例えばゼウス/ジュピター、或いは、アレース(Ares)/マールス(Mars)<(注5)>・・と共に多文化的諸追加物・・エジプトのオシリス(Osiris)<(コラム#4871、5132)>・・、かつまた、更なる功利的諸存在・・フォルトゥーナ(Fortuna)<(注6)>・・、及び、神格化された皇帝達、といった沢山の異なった神々的諸存在、の崇拝を収容(accommodate)することができた。
(注5)「疫病神のように思われて全く良い神話のないアレースに対し、マールスは勇敢な戦士、青年の理想像として慕われ、主神並みに篤く崇拝された重要な神である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9
(注6)ローマの宗教における、幸運が人格化された運命の女神。
https://en.wikipedia.org/wiki/Fortuna
宗教的な正しさ(correctness)は(正統、非正統<が問題になる>)信条というより、様々な諸形でだが、実践と礼儀(etiquette)に係る事柄だったのだ。」(C)
(続く)