太田述正コラム#9647(2018.2.15)
<眞壁仁『徳川後期の学問と政治』を読む(その1)>(2018.6.1公開)

1 始めに

 表記の(コラム#9593で)ご紹介済みの本・・副題は、「昌平坂学問所儒者と幕末外交変容」・・について、予定を前倒し、そのさわりをご紹介して私のコメントを付すシリーズを書くことにしました。
 なお、眞壁仁(1969年~)は、国際基督教大学教養学部社会科学科卒、東京都立大修士、同大法学部助手等を経て、現在、北海道大学法学部教授(政治学)、という人物です。(奥付)
 今度のオフ会「講演」の核心部分の完全種ばらしにならない範囲で書こうと思っているのですが、果たしてうまくいきますかどうか。

2 徳川後期の学問と政治

 「「儒教」という漢語<は、>・・・近代日本の歴史過程において造られ、近代的国民国家形成期の東アジアへ波及し、現在もなお人口に膾炙<してい>る。・・・
 「儒教」という熟語自体は、仏教や道教と併用される5・6世紀にすでに登場しているが、・・・中華民国以前の中国<で>は・・一般的に用いられず・・・近代東アジアで再登場するのは日本からの輸入によると考えられる。

⇒典拠が付されていませんが、目から鱗ですね。(太田)

 東アジアの・・・いわゆる儒学文化圏・・・における「政教」(または「儒教」)の場合、「政教」の「教」は、宗教と教育のいずれでもあり、またそのいずれでもない点に特徴がある。

⇒日本を儒学文化圏(或いは儒教文化圏)に含めることには私は反対ですが、ここでは立ち入りません。(太田)

 すなわち、自己批判の契機を含む超越性と彼岸的な救済の理念の兼備を必要条件とする普遍宗教の枠内には入らないという意味で、その「教」は宗教ではない。
 いわゆる「儒教」の「宗教性」については「凶」の儀礼をめぐり諸説あるが、喪葬は宗教の十分条件に過ぎないという・・・定義に従うならば、天の超越性を有しつつも救済のない「儒教」は宗教ではない。
 しかし、ある独自の世界観を有して人間の精神世界を支配し、事実上「宗教的」機能を果たすという意味で、その「教」は「宗教」である。・・・
 本書では、<それが、>いわゆる近代日本の「国民道徳」として社会教説となった結果「儒教」という呼称が定着したこと、また中国や朝鮮と異なり明治以前の日本には全「国民」的なレベルでの社会教説とはなっていなかったことを強調して、呼称として敢えて「儒学」を用い、儒学思想が、学びと教えの教育過程を通して、政治社会に反映される点を重視したい。」(8、507)

⇒結構大事な箇所だと思うのですが、眞壁の本文の記述は分かりにくく、また、「注」の記述も恣意的であり、簡にして要を得た本文ともう少し詳しい解説ないし典拠を記した「注」、になっていないのは残念です。(注1)

 (注1)参考まで:「儒の起源については、・・・近年は冠婚葬祭、特に葬送儀礼を専門とした集団であったとするのが一般化してきている。・・・白川静は、紀元前、アジア一帯に流布していたシャーマニズムおよび死後の世界と交通する「巫祝」(シャーマン)を儒の母体と考え、そのシャーマニズムから祖先崇拝の要素を取り出して礼教化し、仁愛の理念をもって、当時、身分制秩序崩壊の社会混乱によって解体していた古代社会の道徳的・宗教的再編を試みたのが孔子とした。・・・
 日本における論争のひとつに“儒教は宗教か否か”というものがある。現在、“儒教は倫理であり哲学である”とする考えが一般的だが、・・・加地伸行などは、宗教を「死生観に係わる思想」と定義した上で、祖先崇拝を基本とする儒教を宗教とみなしている。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%92%E6%95%99

 これでは、一事が万事、この先が思いやられます。
 蛇足ながら、「中国や朝鮮」という眞壁の表現にも違和感があります。
 私見ではそもそも「中国」ではなく「支那」を用いるべきですし、現在の支那における政権の地域自称を使っただけだ、ということであれば、(日本が国交がある)韓国が使っていない「朝鮮」ではなく、「韓半島」といった表現を用いるべきでしょう。(太田)

(続く)