太田述正コラム#0575(2004.12.26)
<プーチン大統領の罪状(その1)>

1 自由でない国に転落したロシア

 二年前にロシアは新しい刑法を採択しました。
 欧米の刑法にならって、法の支配の精神にのっとり、検察側と被告側は対等であるとされ、人身保護令状(habeas corpus)や陪審制度や二重の危険(double jeopardy)の禁止が導入されたのです。
 しかし、こういった新基軸は全く絵に描いた餅にとどまっています。
 ロシア国民の法意識が変わっておらず、政府の側でもこれまでの検察優位の態勢維持に努めている上、裁判官が腐敗しているからです。
 (以上、http://www.nytimes.com/2004/06/20/weekinreview/20myer.html(6月20日アクセス)及びロサンゼルスタイムス(下掲)による。)
 自由の最後の砦である司法が旧態依然であるということは、ロシアに自由がまだ根付いていないことを意味します。
 それどころではありません。
 1991年以来、初めてロシアは自由ではない国という烙印を押されてしまいました。
 米国の団体フリーダムハウスが毎年出している報告書(コラム#199)の2005年版で、政府が報道機関への圧力を強め、地方自治を制限し、国会議員選挙と大統領選挙が自由・公正さに欠ける、等の理由から、世界192カ国ないし地域の中で、ロシアを自由でない26%の国の一つに分類したのです。ちなみに、46%の国が自由な国とされ、残りが部分的に自由な国とされています。いずれにせよ、前年に比べて26カ国が自由度が増え、11カ国が自由度が減った中でのロシアの「転落」なのですから、目も当てられません。
(以上、http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,2763,1377802,00.html(12月22日アクセス)による。)

2 終焉を迎えたロシアの民主主義

 今年9月、クレムリン近くにある第二次世界大戦の激戦の記念碑の名称が差し替えられました。1961年から用いられてきたボルゴグラードから昔のスターリングラードへ。
 これは、ソ連時代に戻ろう戻ろうとしている現在のロシアを象徴しています。
 プーチン大統領は、この同じ9月に、州知事の公選制を廃止し、無所属の国会議員選出を禁止しました。
 その上、司法が腐敗しており、プーチン支持派が国会で絶対多数を占めており、すべての主要なテレビ局が政府の支配下にあり、FSBが謀略の限りを尽くしている(コラム#573)、と来ているのですから、もはや民主的手段でプーチンを失脚させることは不可能になった感があります。
ついにゴルバチョフとエリティンまでもが、プーチン批判を始めたことは以前(コラム#476)ご紹介したところです。
プーチンは、民族的・社会的・階級的・宗教的にばらばらな国民からなるロシアで選挙に基づく民主主義を機能させることは、ソ連崩壊後の新しい国家的アイデンティティーの確立に成功していない現状においては不可能だと考えており、そのプーチンの手でロシアにおける民主主義は、早くも13年目の今年2004年に終焉を迎えた、と言えそうです。
(以上、http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-putin19sep19,1,6911600,print.story?coll=la-headlines-world、及びhttp://www.nytimes.com/2004/09/19/weekinreview/19myer.html?8hpib=&pagewanted=print&position(どちらも9月20日アクセス)による。)

(続く)