太田述正コラム#9906(2018.6.25)
<皆さんとディスカッション(続x3749)>
<太田>(ツイッターより)
昨年の後半から中共の対米直接投資が激減(掲載グラフ参照)するとともに、投資の引き揚げも進行中であり、これは、米側の中共投資審査の厳格化と中共側の対外投資規制によるものだとさ。
http://money.cnn.com/2018/06/20/investing/chinese-investment-united-states-falls/index.html
米中経済戦争下、日本の存念が問われているが、我が脳死政府は成行に任せるだけだろな。
「終戦宣言 中国が見送り促す–米朝会談前 正恩氏に…中朝関係筋が明らかにした。…」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018062590070703.html
これ、習ちゃんが、日本国民に対し、(朝鮮戦争の時以来、一貫して)北朝鮮が中共の羈縻国であることを理解させる第一歩として、そう日本の記者に言え、と指示したってことなんじゃないかな。
<TSY>
太田さん、こんにちは!
<一>昨日<のオフ会>は楽しかったです。
酔っ払いの空耳でなければ感想をよこして欲しいという発言があったような、つくってみました。
まだまだ全然途中ですが、気持ちの熱いうちにと思い、校正もせずに送ってみます。
ご笑覧ください。
<中略(太田)>
■ 島津斉彬予備調査
<中略(太田)>
● 遠山茂樹 世界大百科事典 平凡社1981年
この記述からわかることは以下の通り。
(政治分野)
外様ながら幕閣の中枢人物と人間的交わり。情報交換。時代の問題点の共有。
世襲争い経験。家臣の一部が暗殺者となり襲ってくる状況をくぐる。
公武合体を実現させる努力。
友人の徳川斉昭の子一橋慶喜を将軍にする。
井伊直弼と対立。
(教育)
郷中制度改革は、教育改善と自分の親衛隊家臣の育成を狙っている(世襲争い経験のレスポンス)。
(経済)
常平倉。米価安定のための米供給調整。貨幣経済下の生活安定策として常道。ただし江戸時代に他に実行した人がいそう(予想。未チエック)。
(未来先取り)
洋学奨励。
西洋砲を購入、製作し、その操作を研究。
集成館という西洋産業研究所を作る。
●● 集成館で作ったもの
西洋砲(大、小)
地雷(陸軍、防御の有効策。ベトナム、カンボジア、現在にいたるまで戦場で使われている)
水雷(海軍、太平洋戦争記録を読んで触雷で沈んだ艦船の多さに啞然とした人は多いと思う)
ガラス(化学、殖産興業)
陶磁器(化学、殖産興業)
砂糖(化学、台湾の植民地経済経営の直接準備)
ハゼロウ(ハゼノキからとれるワックス。鉄製容器で圧搾抽出(蒸気機関との親近性。化学。Wikipedia日本版によるとハゼロウは明治・大正期の有力な輸出品、殖産興業の走り、しかも成功したであろう殖産興業)
樟脳(化学、薬品工業への第一歩)
大量印刷用活字製造(新聞への道)
写真術(光学、物理学、先端科学技術領域、人間の過去認識の変容を西洋と同時期に経験)
洋式紡績機(産業革命の本命。日本の最大輸出品目。また国産できなければ貿易赤字で日本植民地化を経済的に招来した可能性がある品目)
{集成館は、明治日本の産業の雛形。農業技術(稲の植物学的研究)が欠けている点は不審。写真術の研究は、明治にはない、先端科学技術への指向が感じられる。
能動的知性がかけらでもあれば、集成館を散歩するだけで、明治の殖産興業を手にすることができる。大久保だの西郷だのの世代の薩摩藩出身者は、相当な愚物でも明治政府の運用程度ならできる。
人類史に類例をもとめると僕にはPeter the Great の名前がひらめく。またプロイセンのBismarckは斉彬より6歳若い。ロシアの動向にやたら神経を尖らせていた江戸知識人層(イギリスやフランスの出店も日本の近くにいるのに)の変な癖(シベリア鉄道ができるまではロシアの兵員輸送力はしれている)からすると斉彬は Peter the Great の足跡の要点はわきまえていたに違いない。}
⇒スペインがフィリピンを、ポルトガルがマカオを、領有している状況が続いた後、英国が1842年に香港を領有するに至ったところ、それは全て、本国とは海を通じてしか繋がっていなかったのに、ロシアは、陸上において、次第にアジア北東部での領域を拡大してきており、それをより大きな脅威である、と江戸時代の日本の識者達が判断したのは、当時の識者達の大部分が、基本的に領主たる武士であって、遠方の飛び地よりも、接壌地の方が、統治・軍事・経済上のメリットが大きいという感覚を持っていたであろうことから、ごく自然なことだったと思いますね。(太田)
● ブリタニカ国際大百科事典の記述(2008年版 カシオ電子辞書EXーword XD-GF 10000 から)(遠山茂樹の記述にないもののみ抽出)
電信を架設。
洋式軍艦建造。
コレラにかかり急死。
{伝染病ではあるが、ヨーロッパ人が持ち込むとされる病原菌リストは天然痘、麻疹、インフルエンザ、チフス、ジフテリア、マラリア、おたふく風邪、百日咳、ペスト、結核、黄熱病なので、コレラは入っていない。ヨーロッパとの接触によって殺された東洋人の仲間に島津斉彬が入らなかったのは、僕をちょっとほっとさせる。}
● 松尾千歳 日本歴史大事典の記述 (2008年版 カシオ電子辞書EXーword XD-GF 10000 から)
参考文献として、
『鹿児島県史料 斉彬公史料』全4巻(鹿児島県維新史料編纂所編、1984年)。
芳即正『島津斉彬』(吉川弘文館、1993年)
祖父 重豪(しげひで)の影響で洋学を学ぶ。交流のあった蘭学者は川本幸民、箕作阮甫{面談したということ}
西洋列強のアジア進出に危機感。
本格的な西欧の科学技術導入を主張。
鉄製砲の鋳造。
鉄製抱用の鉄を得るため反射炉を建設。
洋式軍艦昇平丸建造。
蒸気船雲行丸を建造。
反射炉の技術の応用としてガラス製造。
鉄に穴をあけるための鑽開台を作る。
●● 川本幸民
義父の青地林宗の書いた物理学書『気海観瀾』の増補版(『気海観瀾広義』を出版。同書は力学、光学、電気などの解説。1858年刊(シリング式電信機の発明が1832年)。写真術、電信機、マッチ、ビールの導入、実用化に貢献した。斉彬の産業政策の智恵の出所はここ。{ Peter にはこんな便利な人材はいなかったはず}
下記は気海観瀾広義の天体説明図
<図類は省略せざるをえない(※)(太田)>
http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/bakumatsu/contents/photo.html?m=30&ps=1&pt=4&pm=4
比較のためHervé Faye のLeçons de cosmographie(1852年)のイラストをあげる。一見類似しているがヨーロッパはでは三次元運動を考えている。
<※(太田)>
https://journals.openedition.org/bibnum/685
この男については、軍学、西洋の戦史、戦略(そんな本はないかもだが)分野の翻訳について言及なし。
●● 箕作阮甫
1839年から幕府で外交文書の翻訳にあたる。
1853年 プチャーチンとの外交交渉に参加。
兵学書も書く
『海上砲術全書』
『水蒸船略説』
近代法の導入にも尽力。
引用文献に珍しいものが
Frans Verwijen Early Reception of Western Legal Thought in Japan
外交軍事戦略で島津斉彬の知恵袋になったのは、この人。
⇒我々のような凡才の基準で斉彬を判断しちゃいっけませーん。↓
「シーボルトに会見、川本幸民、箕作阮甫、高野長英、杉田成卿その他の洋学者に洋書の講読、翻訳をさせ、自らも蘭語を学び西洋文化の研究を行った。」
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=932
「<斉彬>公が『是を翻訳しろ」と云われたので、その本を見ると綿の事が書いてあった。『築城とか兵学に関係するものだと思いましたから、是はどうも綿の事であります』と訳者が云うたら、『無論の事だ。それを翻訳しろ。他日日本を困らせるものは是だ」と云われた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E6%96%89%E5%BD%AC
斉彬が、自分で蘭書を読み、欧米の知識を身に着けたのであり、蘭学者なんてのは、西郷、大久保ら並みに、単なる手足、補助者、として使っただけであることが、分かるでしょ。わーからないかな?
箕作阮甫なんてのは、「医学・地理・歴史・兵学・地質・物理・天文・法律・語学と多方面にわた<る>・・・業績を残した」
https://www.shibunkaku.co.jp/publishing/list/4784200355/
ってんですから、直感的には、jack of all trade, master of none
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2014-05-16
と言っちゃ失礼なら、器用な何でも翻訳屋ってところですねえ。(太田)
またGoogle Schoar 検索から彼がナポレオン戦記を訳したこともわかる。ナポレオンは島津斉彬の40歳年長。
https://ci.nii.ac.jp/naid/40015356808/
ケンペルの日本誌も翻訳している。ケンペルは鎖国を日本の対外戦略として称揚している。
http://pisces.lib.utsunomiya-u.ac.jp/dspace/bitstream/10241/9067/1/35-3-Engelbert.pdf
{ケンペルは吉宗の時代の人だから意見がノンキ。西欧も島津の時代ほどアグレッシブではない}
{余談、この下りは『ケンベルとヨーロッパ啓蒙主義』という論文からとっている。この中に文脈から離れた形で、論文著者は無批判無責任に吉宗時代の他の学者(ベアトリス・ボダルトベイリー)の評価を引用している。太田さんの雑談時の発言と照応しているので引用しておく。
●●● 箕作阮甫の対外戦略
ペリーとの談判を通じての箕作の発言。西洋軍事技術を取り入れ、その力で日本を守る。責問す、美国の不当行為の美国を列強に置き換えればそのまま、太田さんのいう島津ドクトリン。島津斉彬のネタモトは箕作とみて間違いない。
オフ会時にでた島津ドクトリンを中国はどの程度把握しているか、という問題も上記引用でけりがつく。中国語圏の日本専門家は島津ドクトリンも、その発案者としての箕作阮甫の存在もすべて理解している。中国為政者にも知っているものもいるだろう。
http://ntur.lib.ntu.edu.tw/bitstream/246246/283001/1/0040_200712_5.pdf
⇒ここは面白いので、この論文だけ用いてでも結構なので、もう少し追求してみてください。
斉彬に、ひい爺さん以外に少なくとももう一人師に値する人物がいたとすりゃ、新たな世界史的大発見ですぜ。(太田)
● 島津斉彬の評価の先駆者 中谷宇吉郎
中谷は寺田寅彦の弟子。雪の結晶の観測で有名。彼の本には、雪の研究で、MIT(当時は世界的大学ではない米国のローカル大学)の研究者との交流も記されている。
牧野の言葉に隠れての東条への遠慮がちな批判。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/53223_49870.html
島津斉彬公
中谷宇吉郎
昭和十九年の暮に、岩波文庫の一冊として『島津斉彬言行録』が出版された。これには牧野伸顕まきのしんけん伯はくの序文がついている。
当時既に日本は断末魔の境にあり、この本なども、ぼろぼろの藁半紙わらばんしのような紙に印刷されているまことに粗末な本であるが、これは私にとっては、大切な本の一つである。
牧野伯とは、思わぬ機縁で、今度の戦争の初め頃から、時々御目おめにかかっていた。ある晩、牧野伯が、斉彬公の話をもち出され、幕末のあの混乱期に、西欧の科学と技術とを採り入れ、明治の近代国家日本の基盤を作った、斉彬公の業績について話をされた。そして「いま、『言行録』の原稿を岩波に渡してあるが、本が出来たら、一冊東条とうじょうにやって、読んでもらうつもりだ」と言っておられた。
⇒牧野、嘘が下手ですねー。
東條に読ませるつもりなら、自分の序文なんていらないのだから、原本が、岩波に渡してある一冊しかないってことはありえず、違う原本を東條に貸してやれば済むはずですからね。(太田)
牧野伯は、あの老年にもかかわらず、頭が非常に新しく、当時の日本の科学と技術とでは、米英と戦って勝味のないことを、よく知っておられた。それで斉彬公の達識に見習って、日本の科学の確立からはかれということを、東条首相に教えるつもりのようであった。
⇒前段が、戦争目的達成の可否どころか、戦争自体の勝利の可否に関してさえ、必ずしも正しくないことは、牧野はともかく、我々は知ってますよね(コラム#省略)。
とまれ、いくら牧野でも、斉彬の考えが「日本の科学の確立からはかれ」ではなかったことくらいは分かっていたでしょう・・そもそも「科学」(というよりも「技術」)は、あくまでも(経済と並んで)軍事力整備の手段としての関心だったのですからね。(「講演」原稿参照)(太田)
しかし当時の出版事情では、こういう本の印刷は非常に遅れ、終戦前年の十一月に、やっと出来上った。牧野伯は「やっと出来上ったが、もう間に合わない」といっておられた。
⇒これも嘘であることが明白であり、そもそも上出のような目的での出版であれば、少なくとも日米開戦直後に出版作業に着手していたはずであって、それなら、(そもそも、既に、ある程度校正済みの原本なる原稿が存在していた以上、いくら紙の統制があったとはいえ、出版まで3年もかかるなんてことはありえないですからね。(太田)
この本を読んで、私は非常に驚いた。斉彬公は、非常に高い科学精神と、恐るべき直観力とを兼ね備えた稀まれな天賦の人であったことを初めて知った。その業績は、まことに多岐にわたり、その後の日本の近代工業の基礎は、ほとんど斉彬公によって作られたともいえるのである。少くもその芽生えは、此処ここにあったということは断言出来る。時は浦賀に黒船が迫り、下関には砲声が響く直前の頃であった。幕府では沿岸警備のために、寺院の釣鐘を運び、口を海に向けて並べていた。黒船から見た時に、大砲と見えるだろうというのである。
その時に斉彬公は、まず大砲と軍艦との建造を思い立った。そのためには、製鉄用の反射炉と熔鉱炉とを造らねばならない。鉄が出来たとしても、大砲の孔をくるためには、鑽開台が必要である。大砲だけでは戦争は出来ないので、地雷水雷製造所もつくった。水雷は海防のため鹿児島湾内に伏せ、地雷は鉱山発掘のために使われた。
最大の事業は、蒸気船の建造であった。船体ももちろんであるが、蒸気機関もまず小模型から作って試験するという調子であったから、困難の度はおして知るべきであった。しかし遂に軍艦昇平丸を作り上げたのであるから、まさに一つの驚異である。
日本民族の科学性を論ずる場合に、斉彬公はまず第一に研究さるべき人である。斉彬公の研究者は多数あることと思うが、教示を得られれば幸いである。
(昭和三十年十月二十日)
● 予備調査のまとめ
ここまでの調査で島津斉彬の本質はつかんだ。
⇒かどうかが問題なんざんす。(太田)
彼は科学技術という手足と、欲望の解放を肯定する頭(近代社会、宗教の拘束具が弱くなった社会)をもった野蛮人たちの日本強襲を予見した。その対抗措置として箕作阮甫の戦略を採用し、その戦略にもとづく準備を具体的に実行した。専制政治の意志決定と実行までのスピードを遺憾なく発揮している。またそのスピードに耐えうる官僚がいたし、育てた。
彼の戦略は現代までの日本の戦略であるし、日本の成功をみて世界の非西洋文明圏がすべて採用した戦略でもある。ともかく西洋科学技術を導入し、その技術によって稼ぎ、強くなり、その養った力で、独立を守る。というものである。
⇒そんなもん、「日本の成功をみ」る前から、欧米の「侵略」に直面した、まともな国なら、多かれ少なかれ「採用し<てき>た戦略」ですよ。
しかし、ロシア・・非欧米とは言い切れませんが・・、そして、オスマントルコ、(形式的にはオスマントルコ領であったところの)ムハンマド・アリー朝エジプト、清、等はことごとくそれに失敗し、日本だけが成功したわけですが、この成功の理由は、斉彬の戦略が、日本以外でのものとは似て非なるものだったからこそであり、その核心部分を初めて把握した外国人が毛沢東だったわけです。(全て、過去コラムに書いたことです。)(太田)
彼が官僚を持ち、予算をもっていた大名であったことは決定的要因だ。
⇒私の今回の「講演」では、そうじゃないってことを力説したつもりなんですが・・。(太田)
しかし他にこの戦略を、薩摩の規模で実験した藩は僕の知る限り存在しない。戦略を選ぶ目としては、たいしたもので、スペイン(地中海船乗り世界の発展)の海外侵攻から始まる3世紀の欧米中心世界史を、たった一人で反転させたわけだ。中国の覇権奪取により、彼の戦略は完成し、その賞味期限は切れる。
⇒ここは、太田コラムの通りに書いていただき感謝。(太田)
で、箕作阮甫という存在である。中国の本を読むのに、外国人である日本人は注釈を必要とした。注釈を書くには、他の本との比較、文脈の精緻な把握、内容の概要だけではなく、語り口、書き手の心情にも配慮がいる。また漢詩の場合(しかも漢詩の新作も試みる場合)、筆者の心情によりそう読解技術がいる。日本人は、数学も物理もアマチュアだったが、文献読解技術に関しては当時世界最高峰にいた。
⇒支那との比較をちゃんとしました?↑
支那にだって、例えば、考証学
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%83%E8%A8%BC%E5%AD%A6
なる「伝統<が>あ」りましたよ。↓(太田)
しかも集団で。ここまでの記述を僕は、伊藤仁斎だの荻生徂徠だのの学問系統で考えているが、仏教にも不十分ながら注釈の伝統はあったろう。これも助けになる。
この世界最高の文献解読技術はそのまま蘭学、英学の研究にも移行する。日本人は本を読むだけで(それとちょっとした旅行の経験が加わればなおさら。メタ的だが、旅行も旅行記になり、それをまた文献読解技術で読む)欧米を理解したのである。理解できれば対策はそれほど難事ではない。
僕は歌舞伎経由で明治元勲のはでな芸者遊びのことを知った。色事はやるもので、批判するものでないと思っているので、道徳的なことには何の批判もない。ただ、あれだけの危機のなかで、そんな時間がよくあったと、そこだけは疑問だった。島津斉彬を知って、その原因がわかった。明治維新、富国強兵、殖産興業と大騒ぎしていることは、すでに島津斉彬がやってしまったことだったのだ。筋書きがわかっていれば、難しいことなどどこにもない。日本の奇跡は明治維新にあったのではない。真の奇跡は、島津斉彬にあったのだ。
⇒ここはいいですねえ。(太田)
{この文献読解技術が書類重視主義をうみ、それが司法と官僚の作業の中心となった。書類がデジタルテキストに拡張したとき、表面上の変化に足をとらえ、デジタルテキストの解読技術の発達が日本では遅れた。ITが変えつつある情報の質、情報のフロー、この読解技術を制した集団が次の時代の覇者になれる}
⇒典拠を付けましょう!(太田)
■ 太田述正の島津斉彬
太田さんの講演を聞いたから、以上の結論を得たと僕は考えていない。数学の別解と思っている。島津斉彬とは誰か、という問を、僕は僕の方法論(百科事典から一つ一つ調べる)を重ねて、上記の結果を得ている(プロセスは開示できていると思っています)。この結論、僕としては独力で導けたと思っています(ごめんなさい、西郷遺訓の読解に追われて、こちらの添付文章は今日になってから、つまり講演後、これから目を通す予定です。ちなみに僕の好きなフォントサイズでは全文は246ページです)。僕が太田さんに負っているのは、社会現象の背後に、戦略という筋を探すという姿勢だ。少なくとも軍事外交内政経済はその社会の選んだ戦略によって規制されたり、発展したりする。そういう戦略があるとし、それがどんなものかを考えるのが戦略家だとする。何か具体的な政策をつくるとき、その評価は戦略に適するか否かという判定項目を持たなくてはいけない。また現実で決着がつくまえに、戦略家は自他の戦略の優劣を考えなくてはいけない。過去の歴史を評価するとき、歴史家は実は戦略家の目をもち、その戦略を立案した戦略家を歴史評価の第一の対象にしなければいけない。以下、太田論文を、{ 思いつき }を存分に駆使しながら、読んでいきたいと思います。構成は平凡ですが、順次です。
● 1 始めに へのコメント
・ 昨日指摘した、漢文脈の私(わたくし、君主に属する財産を横領する動機)と、西洋文脈でのself(あらゆる行動の源泉。最高に良いこともここから発する。むしろよい意味)のように、外国語の用法と日本語の用法が異なる、またまったく異なることがあります。兵学は、大丈夫か、気になります{怪しいと思っている。君を守るためが究極の目標である兵学は、国という領域を、国民という人の集合を守る兵学とは別物}。
⇒ムツカシイことをおっしゃるが、「孫子」が世界の「兵学者」/「戦略家」達の共通財産になっている(典拠省略)ことからして、ご心配には及びませんよ。(太田)
・横井小楠コンセンサスの定義は「とくにロシアを警戒する日本独立論」と思っています。シベリア鉄道以前はそんなでもないのではないかという、疑問がわきます。結果としては、原爆・水爆つきのPutinロシアがいるわけですから、あたったともいえますが。
⇒既出ですね。
その時のコメントに付け加えれば、もはや、樺太も、(国後、択捉を含めた)全千島列島も、未来永劫、日本には戻ってこない・・なぜかは過去コラム参照・・、ということも直視してください。(太田)
第二次大戦直前のくたくたソ連への戦略としては、その時点には少なくとも不必要な戦略に思えます。
⇒「第二次大戦直前のくたくたソ連」は、過去コラム参照を言う必要もない、完全な誤りです。(太田)
・牧野伸顕については、三代たっても斉彬戦略を バージョンアップする知恵がなかった愚か者、という風に僕にはみえます。
⇒冒頭で紹介された、あの嘘の付き方の下手さ加減からみて、果たして斉彬の考えを理解する能力があったのか、とさえ思えてきました。
改めて、彼のあの時点での出版意図を探ってみる必要がありそうです。
その結果いかんによって、やっぱ、麻生太郎のひい爺さんにふわしい人物だったようで、で終わるかどうかがはっきりするんですが・・。(太田)
・現代日本人の底もみえない無知さかげんに拍車をかけているのが、世代間無駄話時間の不足です。これに親族の数の減少。若者の注意教訓発言嫌悪症状がくわわり、太田さんご指摘の貴重な生きた歴史の教訓が日本から蒸発しつつあります。
{日本語の新聞は中身はお粗末ですが、新聞という媒体の特徴でスクラップはしやすかった。ところがインターネットの普及で新聞スクラップの習慣がなくなり、歴史的というか三面記事も含めて新聞水準の正確な記録、記憶がなくなりつつある。日記(多くの人は、一言時事も記録していた)をつける習慣の減少も歴史の記憶を痩せさせています}
・僕が前段で引用した中谷宇吉郎のさしさわりのない文章より,太田さんのほうが国事を論じる迫力があります。
⇒過分のお褒めを戴き、光栄です。(太田)
・琉球フランスの交渉の記載、幕府フランス、薩長イギリス、という図式しかなかった僕には驚きでした。ただ出物がそれしかなかったのでしょうが、フランス陸軍、イギリス海軍の図式からすると、イギリスの軍艦のほうが性能がよさそうですが、どうなんでしょう。
⇒学ぶのは英国(英米)、提携するのはフランス(欧州)、と「講演」で申し上げたはずですが・・。(太田)
● 2 名君中の名君であった島津斉彬
・中原の報告は、社長へのごますりな感じがして全体には気持ちわるいです。
⇒やっぱ、天才斉彬が分かってませんね。そんな人間なら、斉彬が使うワケないですよ。
松平春嶽が、斉彬を絶賛してる・・「講演」原稿・・くらいなのに。(太田)
・<毛利の殿様の>狂歌の実例が読みたかったです。
・集成館事業を知った直後ですから、敬親への評価は低くなります。
{・山縣のかわりに高杉、政府のご意見番に松蔭がいた明治政府をふと想像してしまいました。余談ですが、僕は山縣が余技でつくった日本庭園が怖気を振るうほど嫌いです。山縣が賄賂を蓄えなかったらあんな庭はこの世になかったのに}
● 3 島津斉彬の考え (1)序
・蘇峰は日本で唯一の歴史家(歴史観とそれを表現する文章力の両面)の名に価する歴史家だと僕は思っているのですが、どうでしょう。蘇峰と蘇峰の尻馬に乗ったおバカさん以外に斉彬を<首領>と断じた人がいますか。
⇒蘇峰は「1882年(明治15年)3月、・・・自宅内に、父・・・とともに私塾「大江義塾」を創設<し、>1886年(明治19年)の閉塾まで英学、歴史、政治学、経済学などの講義を通じて青年の啓蒙に努め<、>その門下には宮崎滔天や人見一太郎らがいる」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%AF%8C%E8%98%87%E5%B3%B0
ことだけからしても、蘇峰の弟子達や、その弟子達の知り合い等で、「断じた人がい」ても不思議はないですね。
いや、思うに、そもそも、拡大島津家の人々は、ほぼ全員そう「断じ」ていたはずですしねえ。(太田)
・どっかで慶喜が、「長州は許せるが、薩摩は許せない」と発言していたように思います。慶喜も気がついていたんですね。
⇒誰か、知ってる人いませんかね。(太田)
● 3 島津斉彬の考え (2)斉彬が目標としたこと ア 中期目標(顕教的目標):ロシアの脅威への対処
・僕はペートルはスケールの小さな斉彬だと思っているので、斉彬がペートルの名前を出していることに満足です。
・露土戦争勝利で調子にのっているロシアをイギリス人が警戒。その警戒が1834年の地誌に反映し、そのイギリス人の警戒が中国語経由、日本にも入り、斉彬にも伝わったとしたら愉快です。原著の確認がしたいです。
・1785年(天明5年)の 松本伊豆守秀持の「申上書」にすでに、<蝦夷地>入植の必要性は書いてあるようです。ここは斉彬の独創性とは言えそうにありません。昆布、数の子鰯という具体例も国防戦略的でも、国家経済的でもないような気がします(家政に暗い僕の偏見でしょうか)。
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/10626/1/4_p22-35.pdf
⇒私はたんなる開拓ではなく、「屯田兵的なもの」(を、但し、「示唆」しただけ)と「講演」原稿に書いたはずですよ。
上出典拠を読むと、農民は各藩がいわば「生産手段」として囲い込んで蝦夷地開拓に供出したくないため、幕府は、罪人、浮浪人/乞食、穢多を送り込むことまで考慮したが、いずれも問題があって、まともには実行されなかった、というか、実行できなかった、ようですね。
斉彬は、これら全てを承知していたはずであるところ、実行可能性ある新しい案を考えよ、という宿題を出されたと藩士達は受け止めたと思われ、幕府も兵だけを送り込むことは考えていなかったわけですが、その方針は堅持しつつ、蝦夷地の経済的自立をも追求することを念頭に置け、と斉彬が付け加えたことを踏まえ、彼らは、一つは、本件以外の全てに関わってくることだが、幕藩体制を解体して中央集権国家を樹立した上で、屯田兵制度を導入する、という解答を出した、ことではないでしょうか。(太田)
すいません途中ですがここで外出の予定が……
<太田>
続きを期待。
<太田>
それでは、その他の記事の紹介です。
わたしゃ、斉彬疲労で寝ちゃったけど、朝日までフィーバーしてるねえ。↓
「セネガルサポーター、日本の粘りに驚きの声「しぶとい」・・・」
https://www.asahi.com/articles/ASL6T15FBL6SUHBI02C.html?iref=comtop_latestnews_01
「「本田は最高のジョーカー」 日本躍進、ロシアに驚き・・・」
https://www.asahi.com/articles/ASL6T248XL6TUHBI007.html?iref=comtop_latestnews_02
「迫力のセネガル、日本に重圧 「勝利の道、見えていた」・・・」
https://www.asahi.com/articles/ASL6T24K6L6TUTQP004.html?iref=comtop_latestnews_03
「長谷部、体張り出血も懸命プレー 攻守で抜群の存在感・・・」
https://www.asahi.com/articles/ASL6T0GH4L6SUTQP03X.html?iref=comtop_latestnews_04
「原口のクリアミス、川島の判断も裏目 マネの先制弾・・・」
https://www.asahi.com/articles/ASL6S5TCWL6SUTQP02N.html?iref=comtop_latestnews_05
で、以下は、「シリアス」な記事群。↓
「【ロシアW杯】セネガル系選手はなぜセネガル代表でプレーするか? アフリカ・サッカーの光と影・・・」
http://blogos.com/article/306570/
「セネガル戦、日本のゴミ拾いに再脚光か 吉田ら選手も感謝「日本人の行いが誇らしい」・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/14913040/
なお、必死に考えたのがこれ。↓
「W杯日本代表、海外で絶賛される!「史上最高のオフサイドトラップ」だ・・・」
https://qoly.jp/2018/06/25/japan-offside-trap-vs-senegal-iks-1
「オフサイドトラップ<とは、>サッカーの守備の戦術。攻め込んでくる選手とすれ違うように守備側選手が一斉に前へ出て、攻撃側の選手をオフサイドの位置に残すもの。」
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%83%95%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97-454150
オフサイド
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%83%95%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89-191081
朝鮮日報も負けじと・・。↓
「サッカーW杯:アジア最多得点弾の本田、ベテランの風格と存在感示す・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/06/25/2018062500541.html
ガーディアンまで取り上げてたみたいね。↓
ワシントンポストとNYタイムスが、米中通商戦争は米国の敗北に終わると予想。↓
Why China Will Win the Trade War–Trump thinks he has a strong hand. In fact, Washington is far more vulnerable than Beijing.・・・
http://foreignpolicy.com/2018/04/13/why-china-will-win-the-trade-war/
Trump’s China crackdown enjoys wide support. Here’s why that could be a problem for him.・・・
https://www.washingtonpost.com/business/economy/trumps-china-crackdown-enjoys-wide-support-heres-why-that-could-be-a-problem-for-him/2018/06/23/9423951e-7652-11e8-805c-4b67019fcfe4_story.html?utm_term=.6c3461ac6afa
中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓
<人民網より。
御熱心なこって。↓>
「大阪府北部地震、日本の建物の耐震基準の高さ証明・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2018/0623/c94689-9474167.html
「日本、学者らが南海トラフ地震に備えるよう警鐘・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2018/0620/c94689-9472843.html
「大阪北部地震発生から1日経過、普段どおりの生活取り戻す市民たち・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2018/0620/c94638-9473080.html
<日中経済交流モノ。↓>
「「日中欧Sea&Rail一貫輸送サービス」の初出荷となる開通式が開催・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2018/0625/c94473-9474407.html
<日中交流人士モノ。↓>
「東野圭吾の「幻夜」、中国語100万部達成記念版が発売・・・
http://j.people.com.cn/n3/2018/0625/c206603-9474336.html
<ここからは、サーチナより。
定番。↓>
「中国人が日本の市場で見た、ある売り方に感銘「これは便利だし、見栄えもきれいだ!」・・・今日頭条・・・」
http://news.searchina.net/id/1661887
<同じく。↓>
「中国人が日本で買った弁当の蓋を開け、「目を疑い、言葉を失った理由」・・・」
http://news.searchina.net/id/1661888?page=1
<また同じく。↓>
「日本の街中には物乞いがいないと驚く中国人、一体なぜなんだ・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1661890?page=1
<定番だが、読ませる。↓>
「中国メディアの捜狐は・・・日本の病院で心臓の検査をした中国人の感想を紹介する記事を掲載した。
中国人男性の王さんは、2度も心筋梗塞で倒れており、危篤状態に陥ったこともあるそうだ。友人の勧めで、最初の発作が起きてから2年後、日本で「最高の心臓専門の病院」で診てもらうことになったといい、自身が感じた中国の病院との違いを記している。
王さんが日本で検査したいと思った一番の理由は、検査のために「動脈を切開する必要がない」ことだったそうだ。中国の病院では、最も確かな方法と言われるのは心血管造影検査で、腕や太ももの動脈を切開する必要があるという。しかも、白黒テレビ程度の鮮明度なのに対し、日本では切らずに静脈に造影剤を少量注射し、何度か息止めをするだけで、鮮明な画像を撮ることができたと感動している。
実際に日本の病院を訪れて感激したのが「病院の態度」だという。予約していなかったため、最初の日は検査を行わなかったが、医師は心臓の模型を使って詳しく心臓の今の状況を説明してくれ、「責任感があり忍耐強く、中国の病院では教えてくれなかったことも教えてくれた」、「自分の心臓のどの心筋が壊死を起こして今どんな状態なのか初めて知ることができた」と感慨深げに語っている。
ほかにも、中国との違いについて、血圧の測定は片腕だけでなく両手両足の4カ所で測定したこと、注射の後の処置が丁寧だったこと、看護師の対応が「実の息子や娘よりも優しい」ことにも感激している。支払いも中国では検査前に支払う必要があり、そのために何度も並ばされるが、日本ではホテルのチェックアウトのようにすべて終了してから最後に支払えば良いと紹介。そのうえ費用が「中国よりも安かった」ことにも驚いたとしている。最後に、日本の病院食が中国の高級料理店に匹敵する美しさで種類も多く、栄養のバランスまで行き届いていたと嬉しそうに紹介した。
これだけの親切な対応と技術の高さで、費用も安いとなれば日本の病院が人気を集めるのも当然だろう。王さんも、中国人の日本に対する印象が「戦時中から止まっている」ことに苦言を呈し、他国が進んでいるのなら学ぶべきだと締めくくっている。」
http://news.searchina.net/id/1661930?page=1
<定番だが新しい視点も・・。↓>
「・・・中国メディアの快資訊・・・記事は、日本人が風呂に浸かることを好む理由として、湯に浸かることは清潔さを追求する行為であり、「日本人はきれい好きなことで知られているが、それは彼らの宗教や信仰とも関係がある」と主張。たとえば、神道の神話で、日本を創ったとされるイザナギが汚れてしまった体を丹念に洗い、衣服を捨てたと伝えられていることを挙げ、体を洗うことは体を清めることにつながっていると独自の主張を展開。それゆえ、神社では今も参拝前に手を洗い、清めを表してから参拝することが求められていると紹介した。
また、仏教でも沐浴が禍を除き、福をもたらすという功徳を説いた経文から、自然と入浴の習慣が広まって行ったと指摘した。さらに、日本の大衆の中に徐々に浸透し始めたのは17世紀に入ってからで、大衆浴場が徐々に現れ始め、江戸時代には「100歩けば必ず銭湯がある」と言うほどに広まり、日本人の癒しとなってきたとしたと紹介。また、日本は火山列島なので天然温泉が各地にあり、温泉の治癒効果は古くから知られていたと説明した。」
http://news.searchina.net/id/1661909?page=1
<もちろん、中共官民もサッカー・フィーバー中なのよね。
新たな材料での日本褒め↓>
「日本代表が「黄色人種でも南米チームに勝てることを証明してくれた」・・・中国メディアの網易・・・
中国のサッカーファンは日本の勝利をどう見ているのだろうか。これまで小柄なアジア人は南米に勝てないと言われていたが、「日本は頭を使ってサッカーしている。ペナルティエリア近くでは良く協力し、ボールをカットされてもすぐにロングシュートを打たない」、「コロンビアは日本の組織力にやられた。同じアジアのチームでも中国との差は大きい」、「チームワークでいえば日本は世界一流だ」など、日本を称賛するコメントが多く寄せられたという。
それで記事は、中国サッカーのチームワークが日本のレベルに達するまで「あと20年かかる」と分析。」
http://news.searchina.net/id/1661886?page=1
<これは定番の日本褒め。↓>
「日本代表が勝って何が悪い? 憤りを覚える必要はあるのか・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1661927?page=1
<韓国チームがぶったたかれてる。↓>
「・・・今日頭条・・・記事は、終始ラフプレーが目立った韓国の戦いぶりについて、中国のネットユーザーから「2002年日韓大会時の韓国代表の良き伝統を継承している」などの揶揄が飛び出したことを紹介した。」
http://news.searchina.net/id/1661894?page=1
<サッカーに係る定番の一つ。↓>
「日本人はW杯を目指してサッカーをする、中国人は「お金」を目指してサッカーをする・・・中国メディア・東方網・・・」
http://news.searchina.net/id/1661919?page=1
<そのサッカーについて、こういう記事も。↓>
「・・・中国メディアの東方体育は・・・「中国でサッカーをしている人口のうち、もっとも多いのは日本人の子ども」であることを紹介する記事を掲載し、中国のサッカー事情について紹介している。記事は、「上海インターナショナルフットボールリーグ(SIFL)」について紹介し、このリーグには世界各国の子どもたちが参加していて、さながら「小さなワールドカップ」のようだと伝えている。
上海は中国随一の商業都市だけあって、世界中の人がビジネスのために上海で暮らしており、日本人もたくさん住んでいる。記事によれば、SIFLには英国チーム、フランスチーム、デンマークチーム、そして、日本チームなど、国ごとのチームが数多く参加しているというが、中国で生活している日本人の数はそこまで多くないが、多くの日本人がSIFLでプレーしていて、「日本人はたとえ異国の地で暮らしていたとしてもサッカーに情熱を傾けている」と紹介し、日本サッカーが強い理由を垣間見ることができると指摘した。
一方、中国もサッカーの専門学校などを設立し、若手の育成に力を注いできてはいるが、うまく機能していないと紹介。中国は人口こそ多いが、サッカーに取り組む子どもたちの数は少なく、大人がどんな形であれサッカーに関わる機会も非常に少ないと強調、こうした環境の差がそのまま日中のサッカーの実力差につながっていると強調した。」
http://news.searchina.net/id/1661891?page=1
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太田述正コラム#9907(2018.6.25)
<2018.6.23東京オフ会次第(続)>
→非公開