太田述正コラム#9923(2018.7.3)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その14)>(2018.10.17公開)
「・・・これらの指令を受けて、オホナムチはその一つ一つを遂行してゆく。
まず、・・・<最初の指令>をそのまま実行した。・・・
続いてオホクニヌシは、素兎条で婚約していた稲羽のヤガミヒメと結婚し、さらに越(こし)の国<(注31)>のヌナカハヒメ<(注32)>と結婚した。・・・
(注31)「越国(こしのくに)は、現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域の、大化の改新以前の日本古代における呼称である。その後、7世紀に設けられた地方行政区分としての「国」に引き継がれた。当時は高志国と書かれ、越国は8世紀以降の書き方である。のちに令制国への移行に際して分割され、越後国・越中国・能登国・加賀国・越前国となった。越州(えっしゅう)・三越(さんえつ)などの地域名称の語源である。・・・
地理的な範囲は敦賀の氣比神宮から船出し日本海を北上して、羽咋の気多大社を経て、さらに弥彦神社がある弥彦山を右手に見るまでを一つの地域として「越」と呼んだ(交流の実態は各神社の歴史および継体天皇の出自など参照のこと)。西端は、若狭国と越前国(現在の福井県美浜町と敦賀市)を隔てる関峠と明確に規定されていた一方、北端は645年大化の改新の頃まで船から弥彦山を見るまでと、漠然としたものだったと考えられる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%9B%BD
(注32)「『日本書紀』には登場せず、『古事記』の大国主の神話の段に登場する。八千矛神(大国主)が高志国の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠んだ。沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚した。
『古事記』にはこれ以外の記述はないが、新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。また諏訪でも建御名方神の母を沼河比売とする。・・・
『出雲国風土記』島根郡美保郷の条では高志国の意支都久辰為命(おきつくしい)の子の俾都久辰為命(へつくしい)の子と記され、大穴持命(大国主)との間に御穂須須美命(みほすすみ)を産んだと書かれている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E6%B2%B3%E6%AF%94%E5%A3%B2
「越」は最果てというイメージの地であった。・・・
つまり、越のヌナカハヒメとの婚姻は、オホナムチの宗教的支配権がほぼ全国に及んだことを表していることになるのだ。
これがスサノヲの<2番目の>指令・・・の達成を意味するのだと思う。・・・
<ところが、>正妻<となったがゆえの>・・・スセリビメの嫉妬によって、オホクニヌシは倭には「上る」ことができなかった。
スサノヲの子孫であるオホクニヌシに倭だけは支配させないことが、この段の趣旨であったと思うのである。
こうして、確かに<もはやオホナムチではなく>オホクニヌシ<になったわけ>だが、完全ではないオホクニヌシが誕生したということである。
結局のところ、スサノヲの<三番目の>指令・・・が、オホクニヌシの倭支配の妨げとなったのだ。
以上のように、制限つきながらも国土の支配神となったオホクニヌシは、地上世界にその一族を反映させる・・・。
そして国作りを行う。
始めはスクナビコナ<(スクナヒコナ(前出))>と、そして最後は倭の御諸山(みもろやま)の神と協力して国を作り上げてゆく。・・・
<この>スクナビコナが国作り半ばにして常世の国に去った後、オホクニヌシは・・・倭の支配権<を獲得するためには、>・・・倭の御諸山(三輪山<(注33)>のこと)に祀られる・・・オホモノヌシ<(注34)>・・・の協力が必要なのであった。」(80~81、86~87)
(注33)「三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山の中でもひときわ形の整った円錐形の山です。古来、大物主大神が鎮しずまる神の山として信仰され、『古事記』や『日本書紀』には、御諸山・・・、 美和山、三諸岳(みもろだけ)と記されています。・・・特に杉は・・・「三輪の神杉」として神聖視され、後世に三輪山の杉葉で造られた杉玉
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E7%8E%89 ←写真>
が酒造りのシンボルとして酒屋の軒先に飾られるようになりました。また、山中には神霊(しんれい)が鎮しずまる岩が点在し、磐座(いわくら)と呼ばれて信仰の対象となっています。神社の古い縁起書には頂上の磐座いわくらに大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、中腹の磐座いわくらには大己貴神(おおなむちのかみ)<(≒オホクニヌシ(太田)>、麓の磐座いわくらには少彦名神(すくなひこなのかみ)が鎮しずまると記されています。」
http://oomiwa.or.jp/jinja/miwayama/
(注34)「もともとオホモノヌシ(大物主)とは固有名詞ではない。「モノ」は、神話的観念では畏怖すべき対象(鬼、魔物、怨霊、精霊など)を一般的、抽象的に表現する語で、そのような「モノ」のボスをオホモノヌシと呼びならわしていた。」
https://books.google.co.jp/books?id=ALNiCgAAQBAJ&pg=PT260&lpg=PT260&dq=%E3%82%AA%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%8C%E3%82%B7&source=bl&ots=hmKhRvK-hO&sig=chsfuvZHOl5jxiLnG6sNIrLeXpw&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwj01KbgyoLcAhWK2LwKHVV4CzgQ6AEILjAB#v=onepage&q=%E3%82%AA%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%8C%E3%82%B7&f=false
(続く)