太田述正コラム#9937(2018.7.10)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その21)>(2018.10.24公開)

 「・・・「海幸・山幸」<(前出)>の・・・段は、古事記・日本書紀の諸伝間で、異動が際立って少ないことが知られている。
 異動が少ないことは、〈神話〉がしっかり固定化されていたのか、あるいは出来たてほやほやだったということなのか、いずれにせいてもバラエティー豊かな異伝が作られにくい状況にあったのである。
 「海幸・山幸」の話は、古事記・日本書紀の編纂当時、大和王権の〈神話〉における常識中の常識だったということである。・・・
 古事記は、「高天原」から、とにかく「倭」まで、「天つ神の御子」を「天降」らせたかった。
 しかしそれでもなお、〈建国神話〉としての古事記の〈神話〉にとって、「日向神話」<(注52)>を入れることは必須事項だったということなのだ。

 (注52)「一般的に日向神話とは、日向高千穂(場所は諸説あります)に降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の「天孫降臨伝説」、その子である彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト、山幸ともいます)と孫にあたる鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)の、民話浦島太郎の原型とも云われる「海幸山幸伝説」など、日向に住んだ三代の神々<日向三代>の物語をさします。
 また、岩戸隠れ伝説の天照大神(アマテラスオオミカミ)は瓊瓊杵命の祖母とされ、東征伝説を伝える神武(ジンム)天皇は鸕鶿草葺不合尊の子とされています。」
http://history.miyazaki.jp/hyugashinwa
 「その物語の展開は、アマツカミ(天神)とその子孫がクニツカミ(地神)のヒメ神と、さらにはワタツミノカミ(海神)のヒメ神と結婚し、人皇であるカムヤマトイワレビコノミコトが誕生するという構成になっている。これは、アマツカミ(天神)によるクニツカミ(地神)とワタツミノカミ(海神)の統合の上に人皇初代が生み出されたという古代の人々の考えが表わされていて、これが日向を舞台としている神話の特色である。
 なぜ古代国家のなかでも、都から遠くはなれた僻遠の地にある日向が、これらの物語の舞台になったのであろうか。それは一口でいえば、この物語が創りだされる時代に、日向が朝廷と深いかかわりを持っていて、日向を無視できない事情があり、また物語の展開の上で最もふさわしい土地とみられる要素があったことが考えられる。歴代天皇にかかわる日向の女性が物語のなかにしばしば登場するのもそれらを示唆しているものと思われる。・・・永井哲雄 」
(太田脚注)ニニギノミコトは、クニツカミ(地神)のヒメ神であるコノハナサクヤヒメと結婚して海幸(ホデリノミコト)や山幸(ホホデミノミコト)を生み、ホホヂノミコトはワダツミノカミ(海神)のヒメ神であるトヨタマビメと結婚してウガヤフキアエズノミコトを生み、このウガヤフキアエズノミコトが、トヨタマビメの妹のタマヨリビメと結婚してカムヤマトイワレビコ(神武天皇)を生む。
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/shinwa_densho/outline.html
 永井哲雄は、「1934年、宮崎県生まれ。1957年、熊本大学法文学部史学科国史学専攻卒業。県立高等学校教諭を経て、1984年、宮崎県総務部県史編さん室主幹。1988年、同室長。1994年、同総務部参事。1995年、同退職、同総務部県史編さん室顧問。2003年より宮崎県文書センター主席運営嘱託員」
http://www.hmv.co.jp/artist_%E6%B0%B8%E4%BA%95%E5%93%B2%E9%9B%84_200000000199490/biography/

 当時の隼人問題<(前出)>からしてもそうだろう。
 そして、ひょっとするとそのこと以上に、〈建国神話〉の「常識」という拘束力が働いていたのかもしれない。
 「日向神話」は、古事記の独自性を犠牲にしてでも書かないわけにはゆかなかったのだ。
 「高天原から倭へ皇祖が直行する」ような〈神話〉は、あまりにも奇抜すぎ、そこまで〈神話〉をいじってしまっては、「神話力」など期待できなかったに違いない。
 このように考えてくると、古事記の〈神話〉には編者が消極的に採用した部分までが含まれていることになる。

⇒このくだりの松本の説明ぶりについては、分かったと言いたいのは山々なのですが、何だか、すっきりしません。(太田)

 <さて、>古事記<について>は<、>意図的に書かなかった部分の補填を、日本書記に記載されるような別の〈神話〉に任せているのではないだろうか。
 自身の構想に合わないから書けないが、かといって積極的に否定もしていない。
 〈建国神話〉の常識の範囲で、何となくつなげて読んでほしい、ということもあったのではないか。・・・

⇒このくだりの説明ぶりについても、同じような感想です。(太田)

 <そして、>日本書記<は、>・・・古事記・・・に比べれば、・・・〈神話〉・・・<すなわち、>〈建国神話〉<に>に・・・おおむね倍の量を費やして・・・いることになる。
 それは、なぜだろうか。
 日本書記の神代巻には、「一書(あるふみ)に曰(いは)く」として多くの一書(いつしょ)(異伝)が掲載されているからである。
 形式上はこのように簡潔に説明できるのだが、では何故に多くの一書を掲載したのかという問題になると一筋縄ではいかない。」(150~151、162、167~168)

(続く)