太田述正コラム#10245(2018.12.11)
<井上寿一『戦争調査会–幻の政府文書を読み解く』を読む(付け足し)(その20)>(2019.3.2公開)
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[先の大戦における帝国海軍の唯一の功績]
終戦への布石という意味もあったのだろうから、大功績とは言えないが、戦間期から先の大戦にかけての時期における、帝国海軍の唯一の功績が、海軍出身の鈴木貫太郎による下掲の談話だ。↓
「鈴木貫太郎<(注12)>・・・の<首相>就任後、まもなく死亡したアメリカ大統領ルーズベルトの訃報を知ると、同盟通信社の短波放送により、<「>今日、アメリカがわが国に対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導があったからです。私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。我々もまたあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います<」、>という談話を、世界へ発信し<た>。1945年4月23日のTIME誌の記事で<も、この>発言<を>引用<した。>
(注12)1868~1948年。「和泉国大鳥郡伏尾新田(現在の大阪府堺市中区伏尾で、当時は下総関宿藩の飛び地)に<譜代の>関宿藩士で代官の・・・長男として生まれる。」海兵、海大。「海軍次官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長・・・など・・・を歴任した。予備役編入後に侍従長に就任、さらに枢密顧問官も兼任した。二・二六事件において襲撃されるが一命を取り留めた。枢密院副議長・・・、枢密院議長・・・を務めたあと、小磯國昭の後任として内閣総理大臣・・・に就任した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%B2%AB%E5%A4%AA%E9%83%8E
同じ頃、・・・ヒトラーも敗北寸前だったが、ラジオ放送で<ロ>ーズベルトを口汚く罵っていた。<米国>に亡命していたドイツ人作家トーマス・マンが鈴木のこの放送に深く感動し、<英>BBCで「ドイツ国民の皆さん、東洋の国日本には、なお騎士道精神があり、人間の死への深い敬意と品位が確固として存する。鈴木首相の高らかな精神に比べ、あなたたちドイツ人は恥ずかしくないですか」と<の>声明を発表・・・<し>た。」(上掲)
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〇原爆投下も織り込み済みではなかったのか?
陸軍自身が、陸相時代の東條も承知の上で、1941年5月から原爆開発に取り組んでおり、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E9%96%8B%E7%99%BA
米国もそうしているであろうことは、杉山らも、当然、予想はしていたはずです。
(海軍も一応研究はしていました。(上掲))
しかし、研究はうまく進捗しないまま、空襲等により、1945年6月に研究は打ち切られて・・投じた研究費は、日本が2000万円、米国は当時の為替レートで100億円超!・・、1945年8月を迎えていた(上掲)こともあり、杉山らは、米国が開発に成功していたとは思っていなかった可能性が高いのではないでしょうか。
なお、米国が、開発に成功した原爆の投下を行わなかった可能性も皆無ではなかったことは知っておきましょう。↓
「原子爆弾の作用<の>説明<受け>た後、・・・<米>陸海軍最高司令官(大統領)付参謀長<の>・・・リーヒはトルーマン大統領に対して「これは我々がなしえた最も馬鹿げたことです。この爆弾は使うべきではありません。私は爆薬の専門家として進言します。と話した。原子爆弾の試験後も、リーヒは広島と長崎への投下に強く反対した。回想録では以下のように語っている。
「日本上空の偵察で米軍は、日本に戦争継続能力がないことを知っていた。また天皇の地位保全さえ認めれば、実際原爆投下後もアメリカはそれを認めたのだが、日本は降伏する用意があることも知っていた。だがトルーマン大統領はそれを知っていながら無視した。ソ連に和平仲介を日本が依頼したことも彼は無視した。この野蛮な爆弾を日本に投下したことは、なんの意味を持たなかった。海上封鎖は十分な効果を挙げていた。
この新兵器を爆弾、と呼ぶことは誤りである。これは爆弾でもなければ爆発物でもない。これは“毒物”である。恐ろしい放射能による被害が、爆発による殺傷力をはるかに超えたものなのだ。
アメリカは原爆を投下したことで、中世の虐殺にまみれた暗黒時代の倫理基準を採用したことになる。私はこのような戦い方を訓練されていないし、女子供を虐殺して戦争に勝ったということはできない!」・・・
<ちなみに、>リーヒは、トルーマンに無条件降伏に固執せず、被害を大きくするべきではないと<も>意見している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92
〇杉山らの事績を開示してしまってよかったのか?
杉山らは、杉山構想の遂行を、後世において顕彰されるためにやったのでないことは確かであり、自分達の事績が永遠にうずもれてよいと思っていた可能性が大です。
何と言っても、構想の遂行のためとはいえ、数百万人、いや、計算によって2千万人もの死をもたらしたのですしね。
それに、まだ、アジアの復興が完全になったわけではなく、現に、米国が中共に対し、全力で潰しにかかり始めています。
しかし、そうは言っても、杉山らの事績を永遠にうずもれさせていいとも思いませんし、そうである以上、他人によってそれが開示される前に私が、就中日本人としての私が、開示したいという思いもありました。(注13)
(注13)「自分は日本に行ったことがないが、日本人に接触したことのある人はみんな礼儀正しいという。そんな日本人がなぜ侵略戦争を起こしたのか、理解に苦しむ」
http://www.recordchina.co.jp/a133927.html (コラム#8347)
と、既に人民に言わせている中共当局は、いずれ、開示するだろう、と私は踏んでいる。
他方、陸軍出身の「阿部<信行首相が>総辞職の際に原田熊雄に「今日のように、まるで二つの国、陸軍という国とそれ以外の国とがあるようなことでは、到底政治がうまくいくわけはない。自分も陸軍出身で前々から気になってはいたがこれほど深刻とは思っていなかった。認識不足を恥じざるをえない」と語っている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E4%BF%A1%E8%A1%8C (コラム#9973)
ように、大東亜戦争開始の2年近くも前の1940年1月16日の時点で、既に、杉山構想を遂行中であった帝国陸軍とそれ以外の日本の一般官僚達や政治家達等との間に乖離・・要は、杉山構想に対する無知、無理解・・が生じていたことを思い起こせば、私が目の黒いうちに、杉山らの事績を開示しなければ、日本人の中から開示する者が将来とも出現しない恐れがある。
というわけで、どうかご理解を賜れば幸いです。
(完)