太田述正コラム#10381(2019.2.17)
<丸山眞男『政治の世界 他十篇』を読む(その18)>(2019.5.7公開
「今日は内面性に依拠する立場自体が、好ましからざる政治的組織化に対抗して自主性を守り抜くがためには必然にまた自己を政治的に組織化しなければならなうというパラドックスに当面している。・・・
現代に於ける政治の巨大な力は、一面に於ては政治権力・・・が捉えうる人間の数の未曾有の増大として、いいかえれば、政治の世界の横へのひろがりとして現れるとともに、他面に於ては、政治権力が個人個人の生活の内部に滲透する程度の増大、つまり政治的世界の縦への深まりとして現われています。
前者の現象を端的に表現するものは、国際政治の圧倒的重要性です。・・・
政治的社会の最終の単位は、最近までの長い間、民族国家(nation state)でありました。
⇒全球的には成り立ち得ない認識を丸山はここで開陳しています。
私見では、ナショナリズム/民族国家、なるものは、プロト欧州文明地域、すなわち欧州文明地域、におけるところの、アングロサクソンの脅威なる「国際政治」の産物だからです。(太田)
政治現象の大部分は、この民族国家内部の事件であって、国際関係というのは、このいわゆる主権をもった民族国家相互間の、いってみれば任意的偶然的な交渉に過ぎませんでした。
⇒このような認識は、超長期的な人類史の観点からは、必ずしも間違っているとまでは言えないのかもしれませんが、繰り返しになるところの、すぐ上で改めて開陳した私見に照らせば、例えば、プロト欧州文明地域、すなわち欧州文明地域、においては、国家(民族国家)の成立自体が「国際関係」の所産なのですから、丸山が言っていることは間違いである、と申し上げておきましょう。(太田)
ところが、今日特に第一次大戦以後に於ては、政治権力が民族国家を超えて益々国際的に組織化されるようになりました。
⇒欧州に限定しても、このような丸山の記述は甚だ誤解を呼ぶものです。
というのも、第一次世界大戦によって、オスマントルコ、オーストリア=ハンガリー両帝国が民族国家群へと解体され、ロシア帝国の欧州側の一帯が民族国家群へと解体されたのですからね。(太田)
第一次大戦後に出来た国際連盟、さらにそれが第二次大戦後に発展した国際連合は、こうした国際的政治組織の尖端を行くものでありますが、権力の国際的組織化の傾向は、必ずしも、そういう狭い意味の国際組織だけに現れているのではなく、民族国家の帝国への膨張や、アメリカ圏、ソ連圏、英連邦、アジア・アラブ連合といった広域ブロックの形成される傾向などがみなこれを表示しています。・・・
⇒両大戦後の「民族国家の帝国への膨張」が一体何を指しているのか見当がつかないことはさておき、英植民地諸国の独立が、インド亜大陸以外では、まだ緒に就き始めたばかりだったとはいえ、「英連邦」のうちの拡大英国諸国は「アメリカ圏」へ、旧植民地諸国は第三世界へ、と分裂・解体していくことへの予感が、丸山にはなかったのでしょうか。
なお、「アジア・アラブ連合」などというものは、私は聞いたことがありません。
丸山がこのくだりを書いたのは1952年3月であり(460頁)、第三世界という概念が生まれる寸前
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E4%B8%96%E7%95%8C
であったことから、その種のものを念頭に置いて、適当に概念をでっち上げたのかもしれませんが・・。
このこととも関連し、どうして、丸山が、1945年3月に既に創設されていた「アラブ連盟(League of Arab States)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E9%80%A3%E7%9B%9F
を持ち出さなかったのかが、私には不思議です。(太田)
いわゆる冷い戦争(コールド・ウォア)という現象は、決して昔のような意味でのアメリカという国と、ソ連という国との争ではなく、実はこれは、アメリカの実力を中心としてその利益とイデオロギーに従って国際社会を組織化して行こうという傾向と、ソ連の実力を中核としてその利害とイデオロギーに従って世界を組織化して行こうという傾向、との争なのです。
嘗ては或る局地に起った事件は、その地方の属している国家内、或いは、せいぜいその隣接地域の諸国家間の問題として処理されたのですが、今日では、世界の片隅の出来事が、忽ち世界に電波のように伝わり、世界的な関心を惹き、世界的な紛争にまで発展して行きます。」(63、69~71)
⇒すぐ上の段落の丸山の認識は一般論としては成り立つのですが、その更に上の段落の文脈においては、必ずしも成り立ちません。
私は、米ソ冷戦は、モンゴルの軛症候群に憑依されているロシアと全球的覇権国との対峙なのであって、19~20世紀初における英露グレートゲーム・・その時にも、ロシアとの接壌国の大部分が全球的覇権国の英国に与した・・の20世紀中期以降の新ヴァージョンに他ならない、という見方をしているところです。(太田)
(続く)