太田述正コラム#10455(2019.3.26)
<八幡市市民講座・福岡オフ会での質疑応答(その3)>(2019.6.13公開)
a:杉山は、終戦の時期を原爆投下で早めた、との指摘だが、余り遅いとソ連が日本本土に上陸してきていたのでは?
O:いや、そもそも、杉山は、北海道はスターリンにくれてやるつもりだったと私は見ている。
というのも、彼は、北海道とその北方の日本領とを一纏めにして(第5方面軍)、第1総軍の管轄外にしているからだ。
これは、スターリンに対し、日本は北海道も内地だとは思っていないよ、取りにおいで、というシグナルを送った、ということではないか、とね。
で、米国には本州以南を占領させ、青函海峡を挟んで、米ソを事実上接壌させ、米国を覚醒させ、親ソ(露)から反ソ(露)へと回心させよう、というわけだ。
阿南陸相が、1945年7月という慌ただしい時期に札幌に赴き、(第5方面軍)司令官(の樋口季一郎中将)を訪問している(コラム#10340)が、これは、既に、赴任時に覚悟していたと思われる樋口に、翌月のソ連参戦を控え、損な役割を果たすことになることについて、仁義を切りに行ったのではなかろうか。
a:杉山らが、共産主義を必ずしも危険なものと考えなかったのはどうしてか。
O:陳独秀と李大釗が日本留学中に、そして、毛沢東がこの2人を通じて、マルクス主義を知った時、恐らく毛沢東以外の2人も日本大好き人間だったのだろうが、そうだとすると、支那人を日本人のような人間主義者にするにはどうしたらよいのか、という問題意識を持っていたと思われるところ、日本人は、もともとから人間主義者だった以上、人間主義者になる方法なんて知らないし、知らないから教えてもくれなくて途方に暮れていた時に、マルクスが、彼らの見る限り、日本人のような人間主義者達からなる社会を理想化していて、この理想を実現する方法として、独裁政党による、人間改造(と生産力向上)を提示していたので、これぞ、方法論だ、と膝を叩いたのだと思う。
そんな、真の理想主義者であった彼らには、マルクス・レーニン主義は、(レーニンらの個人的権力追求、や、)ロシアの拡張、のための手段へと改悪されたところの、マルクス主義のまがい物である、と映ったに違いないのだ。
これは、杉山らの見方でもあったはずだ。
a:同じ認識を、魯迅は文学的に表現したわけだな。
O:そうだ。支那人を阿Qと表現し、(日本人的な人間に)変わらなければならない、と訴えたわけだ。
b:明治維新には負の部分もあったと思う。
廃仏毀釈や神道への国家介入・・例えば、神社での二礼二拍一礼という参拝形式の押し付け
< https://www.xn--t8j4c7dy42mj9kt8e4tsjg7cfa.net/nireinihakuichirei/ >
・・だ。
O:廃仏毀釈は薩摩藩から始まったのだが、その目的は、仏教寺院を召し上げ、その財産や土地を軍資金に変えるためだったが、斉彬が(現在の)日蓮正宗に帰依していたことと形式的には平仄が合っている。
日蓮は他宗派を排斥したし、薩摩藩には日蓮宗の寺院はなかったからだ。
国家神道については、前から言っていることだが、イギリスの国教会に相当するものを作ったということではないか、と見ている。
なお、斉彬を日蓮正宗に帰依させたのは、「大叔父」の八戸藩主(南部信順)で、更に、斉彬が篤姫を帰依させ、篤姫は、まさに人間主義者の鏡のよう晩年を送るのだが、斉彬らの帰依は、先ほどの話に限らず、かなり重要なことなのであって、戦前昭和期における、広義の日蓮宗派に傾倒する、宮沢賢治や石原莞爾ら識者達の活躍につながっていると思う。
c:太田さんの「解説」中に、米国のオーバーストレッチへの言及があるが、本当にオーバーストレッチだったのだろうか。
O:ポール・ケネディがそれを言い出してから、なかなか米国が目に見えて「衰退」せず、ケネディ批判が行われてきたことは事実だが、私は、オーバーストレッチによって、米国の衰退が確実に加速されて今日に至っている、と思っている。
考えてもみよ、米国が、戦後、名実共に全球的覇権国になり、世界中の国や地域の情報の収集や分析に従事する、役人や学者等をどれだけ大勢擁し、どれだけ公的私的資金を使ってきたかを。
これらのヒトやカネを経済成長や技術開発に使うことができなかった、というだけではないのだ。
かねてから私が指摘してきたように、米国人というのは、概ね、故郷が大嫌いで移民してきた者ないしその子孫なのであって、生来的に米国以外の国や地域に強い偏見を抱いていることから、彼らがいくら情報を収集し分析したところで、成果など碌に上がるワケがない、ということからして、米国は、これらのヒトやカネをドブに捨て続けてきた、と言っても過言ではないのだ。
(続く)