太田述正コラム#10459(2019.3.28)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その1)/八幡市市民講座・福岡オフ会での質疑応答(補遺)>(2019.6.15公開)
–三谷太一郎『日本の近代とは何であったか」を読む(その1)–
1 始めに
Chaseさんからの要請もあり、本日、メイン・パソコンがイカれてバタバタしてしまって疲れたこともあり、三谷本のシリーズの立ち上げと、八幡市レク・福岡オフ会質疑応答の補遺で凌ぐことにしました。
さっそく、前者です。
私の法学部時代も昔々の物語になってしまい、表記の本の著者である三谷さんの名前はもちろんよく存じ上げているものの、彼の授業をとったかどうかが思い出せません。
そもそも、とったとすれば、(科目名だけは、今でもはっきり覚えている、)日本政治外交史のはずですが、三谷さんのウィキペディアを見ると、「コロンビア大学東アジア研究所(1969-70年)、ハーヴァード大学東アジア研究所(1970-71年)」とある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%e4%b8%89%e8%b0%b7%e5%a4%aa%e4%b8%80%e9%83%8e
ので、私が法学部に在籍していた1969~71年には、彼は海外滞在中であったわけで、では、他の先生だったのか、と、東京大学の人物一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e5%a4%a7%e5%ad%a6%e3%81%ae%e4%ba%ba%e7%89%a9%e4%b8%80%e8%a6%a7
中の政治学・行政学のところのリストを眺めてみたものの、私が日本政治外交史の授業を仮にとっていた場合に想定されるような教授の名前は出てきません。
で、結論的には、私は、日本政治外交史は、(たまたま、東大法学部の本来の先生である三谷さんがいなかったので(?))とっていなかった、ということになりそうです。
さて、日本政治外交史は、「明治以降の日本「列島」を中心とした地域で生起した政治、外交についての諸問題を歴史的に考察する」
https://www.ouj.ac.jp/hp/kamoku/H30/kyouyou/C/syakai/1639188.html
政治学・行政学の一部門らしきところ、ひょっとすると、好奇心旺盛で科目は何でも手を出す私が、結果的にこの科目をとっていなかったとすれば、それは幸いだったのかも、という気がしてきました。
八幡市レクの3回目で扱ったのは、「江戸時代」から、とりわけ、「幕末」から現在までの日本政治外交史であって、これは、(恐らくは)「江戸」と「明治」が断絶しているとの発想だからこそ「明治」から現在までを扱うところの、日本政治外交史を法学部生時代に注入されていたら思いつかなかったかもしれない、という一点だけをとっても・・。
さて、三谷さん(1936年~)は、「岡山県岡山市生まれ。父・・・は弁護士。・・・政治学者・歴史学者。・・・千葉県立千葉第一高等学校卒・・・東京大学法学部・・・卒・・・<同>法学部で・・・助手、助教授、教授を務め、・・・定年退任後は、成蹊大学法学部の教授・・・を務めた。・・・東京大学名誉教授、宮内庁参与・・・。専門は日本政治外交史、特に大正デモクラシー期の日本政治史研究で知られる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%e4%b8%89%e8%b0%b7%e5%a4%aa%e4%b8%80%e9%83%8e 前掲
という人物です。
(続く)
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–八幡市市民講座・福岡オフ会での質疑応答(補遺)–
[八幡市市民講座]
H:憲法改正についてはどう考えているのか。
O:まともな国であるイギリスやイスラエルには憲法などない。
憲法があるような国は、自国民を信用できない不幸な国なのだ。
日本の場合は、憲法と書かれたものはあるのだが、そのお札は、有難いものとして、神棚に祭ってあるだけで、大日本帝国憲法も日本国憲法も、一度も改正されていない。
(一度も改正されない不磨の大典であることは、規範性がないから改正する必要がないということなのであり、)日本にも憲法は実はないのであって、日本もまた、まともな国である、というわけだ。
この点だけからしても、(安倍)改憲は行われてはならないのだ。
I:毛沢東が日本に通じていた、という話は聞いたことがある。
O:時々TVに出てくる、中国通の小太りのおばちゃん(遠藤誉)がいるが、不思議な人だ。
彼女は、自分が「右」であるにもかかわらず、中国共産党、毛沢東、が、いかにワルだったかを力説する際に、毛が日本に通じていたことを持ち出し、非難する。
しかし、通じていたのなら、その相手方たる帝国陸軍ないし日本政府だって、思惑があって毛に通じていたわけであり、彼女は、日本側の思惑、というか、日本側、もまた、非難していることになるわけで、それは、「右」である自分のスタンスとは相容れないはずなのに・・。