太田述正コラム#10477(2019.4.6)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その4)>(2019.6.24公開)
マルクスとバジョットとはともに「自然学」を最も典型的な「近代」の学問とみなし、それをモデルとして、「近代」の最も先端的な現実を体現している英国近代の歴史的事例を主要な素材としながら、政治学や経済学における「近代」を模索しました。
⇒三谷が「近代」の定義をしていないこと、「英国」に果たしてその「近代」なるものが存在するのか、また、「英国近代」が「「近代」の最も先端的な現実を体現している」的なことをマルクスとバジョットがそれぞれどこで言っているのか、(はたまた、いささか些末な問題かもしれないけれど、バジョットについてはともかく、マルクスには「政治学」という言葉の出て来る著書はない
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88 前掲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9
ところ、果たしてマルクスは学問分野としての政治学の存在を認めていたのか、)を明らかにしていない点に食い足りなさを覚えます。
もう一つの疑問は、マルクスにせよ、バジョットにせよ、果たして「「近代」を模索し・・・た」のだろうか、という点です。
(「模索」の意味にもよりますが・・。)
マルクスは、近代を超克することによる農業革命以前の共産制への回帰を模索した人物
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%A7%8B%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%88%B6
ですし、バジョットは、保守的リベラルであることを自認し、急速な産業化と都市化が様々な社会問題を引き起こしていること、(すなわち、我々にとって近代的なもの、)に対して批判的であった人物
https://www.britannica.com/biography/Walter-Bagehot
だからです。(太田)
しかし二人の「近代」概念は著しく異なっていました。
両者はともに政治と経済の関係を重視しながらも、バジョットは英国の国家構造を実際に機能させる「実践的部分」の中枢としての政党内閣の出現に英国近代の歴史的意味を見出したのに対して、マルクスは商品とその価値の分析を通して抽出した資本の論理によって「近代」を説明しようとしました。
つまり、バジョットは政治体制の変化に重点を置いた「近代」概念を提示し、マルクスは資本主義の成立に重点を置いた「近代」概念を提示したといえるでしょう。
⇒三谷に対する、より根本的な疑問、というか、批判、ですが、「近代」なるものが仮にあるとして、どうして、その解明を、「大昔」の19世紀の前半に生まれた2人の説を手掛かりに行おうとするのか、という点です。
三谷の同時代人たる現在の政治学者や経済学者の説を手掛かりにすべきではないか、ということです。
現に、私に言わせれば、マルクス、と、バジョット、のどちらの説にも、時代的制約から、遺漏があります。
マルクスについて言えば、イギリスが最初から資本主義社会であった、とのアラン・マクファーレン(コラム#1397等)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3
の説をマルクスが知る由がなかった点を指摘せざるをえませんし、バジョットについて言えば、イギリスにおいては、最初から議会主権だった(典拠省略)わけですから、以下は私見ですが、変化を、「政党内閣の出現」とすべきではなく、議会が行政府の首長として国王を「選ぶ」ことには変わりはないけれど、18世紀末に、国王には基本的に権威のみを担わせることとし、別途、「議会が、(それまでは存在しなかったところの、)権力を担う(副首長たる)首相を選ぶようになった」こと、が18世紀末における、イギリスの政治における変化であった、とすべきだった、と思うからです。(太田)
(続く)