太田述正コラム#10590(2019.6.1)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その38)>(2019.8.20公開)
国民国家の形成を目的として始まった日本の近代は、自立的資本主義<(注46)>の形成をその不可欠の手段としました。
⇒「自立的資本主義」とはこれいかに?
資本主義って、「通説」では、そもそも、自立的なものではなかったでしょうか。↓
「資本主義では、経済(社会的再生産)が社会の経済外的な要因から分離された自立したものとして現われるようになる」
http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/archive/~kosuke/seikei/19/3rd.pdf
三谷は、単に「資本主義」と書くべきでした。
国民国家の形成と自立的資本主義の形成は不可分の一体だったのです。
そのことが日本の資本主義を特徴づけることとなりました。
⇒ここは、「日本資本主義は、商品経済と資本の自律的発展が長期間をかけて制度の近代化を促すという先進国(イギリス)型ではなく、「上からの資本主義」といわれる後発国(ドイツ)型の特質をもって成立した。」
https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9-1193030
というこれまた「通説」に従うとすれば、「国民国家の形成と資本主義の形成は不可分の一体だったのです。そのことが日本の資本主義を特徴づけることとなりました。すなわち、後発国に見られた「上からの資本主義」です。」とでも、三谷は書くべきでした。(太田)
日本の近代化を方向づけ、それに沿う資本主義の発展を正当化する有力な論拠とされた学説があります。
19世紀後半の世界を席捲した英国人学者ハーバート・スペンサーの社会学説です。
スペンサーは「軍事型社会」から「産業型社会」へという社会の発展段階の図式を示しました<(注44)>が、これが、幕藩体制社会を離脱し、将来の社会に向かって進化する明治日本の歴史発展にそのまま適用することができると考えられたのです。・・・
(注44)「H・スペンサー・・・は、社会を支配的な社会活動の差異に従って軍事型社会<(militant type of society)>と産業型社会<(industrial type of society)>に類別し・・・た。
軍事型社会の典型は原始社会にあるとされ、それは自給自足的な社会、外部社会とは不断に攻撃・防衛の関係に置かれた社会であるから、軍事的活動が支配的で、それが政治的統制をも絶対化する。すなわち、対内的規律は「強制的協同」であり、公的組織が全体を支配し、私的組織は排除され、全体の諸権利がすべてであって、成員の私的な諸権利はすべて無である。それは、個々の有機体が主要な神経中枢に支配されているように、個人は社会に服従するものとされ、動物有機体に近い。」
https://kotobank.jp/word/%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%9E%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A-58338
「社会が原始状態を脱して軍事的活動が重要性をもたなくなると、・・・商品の売手と買手とから成り立つ<ところの、>・・・産業が支配的な社会となり、成員は自由に産業に従事し、職業の分化に伴って異質性と連帯性が増加し、対内的規律は「自発的協同」が支配的となる。そこでは、自由な貿易、私的組織の民主的かつ自由な発達がみられ、成員の意志を至上のものとする政府の役割は個人の権利の保護と調整に縮小されるようになる。社会有機体説をとる<スペンサー>の立場からすると、こうした産業型社会は「超有機体」に近いものとなる。
彼は、この産業型と軍事型の2社会類型がどの社会でも併存してきたと考えるが、後者から前者への<比重の?>移行を進化と考えており、・・・<産業型中心?>の社会が 19世紀後半のイギリスにおいて出現しはじめたとみ・・・産業型社会こそが近代市民社会の完成態とみていた。」
https://kotobank.jp/word/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E5%9E%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A-70522
⇒スペンサーについては、彼が社会進化論者であったということはもちろん承知していたけれど、彼の「注44」で説明されている説は、私には初耳です。
この説、要は、イギリスの歴史が、私の「「日本型」経済体制論」で提示した、「固い組織」と「市場」なる概念を用いれば、戦時における「固い組織」を主、平時における「市場」を従としていた形から始まり、主従が逆転するに至った、ということを主張しているわけです。
これは、イギリスの歴史にはあてはまるのかもしれないけれど、イギリス以外の文明や文化や社会にはあてはまらないのではないでしょうか。
なお、「「日本型」経済体制論」で、私は、日本の社会に特徴的な「柔らかい組織」という概念を併せ提示したところです。(太田)
(続く)