太田述正コラム#9172005.10.21

<シェークスピアをめぐって(その2)>

2 シェークスピアの作品の隠れたモチーフ

 (1)謎の人、シェークスピア

 シェークスピアはシェークスピアだ、という立場に立つとしても、彼にまつわる様々な謎をどう説明するか、という難問が残ります。

(以下、http://books.guardian.co.uk/reviews/classics/0,6121,1323024,00.html20041010日アクセス)、http://www.csmonitor.com/2004/1019/p15s02-bogn.html20041019日アクセス)、http://observer.guardian.co.uk/uk_news/story/0,6903,1557964,00.html(8月28日アクセス)、http://www.nytimes.com/2005/08/30/books/30shak.html?pagewanted=print(8月30日アクセス)による。)

 まず、いくらシェークスピアの博識が不思議でも何でもなかったとしても、知識を確認したり増やしたりするために本を読む必要があったはずですが、シェークスピアの遺言書の中に、蔵書への言及は全くありません。そもそも、シェークスピアは本を買ったり借りたりした形跡すらないのです。

 そこでシェークスピアは、ロンドンの本屋をハシゴして本を読みあさり、記憶するかノートに大事なところを書き写していたのではないか、と推測する学者もいます。

 彼の11歳の息子ハムネット(Hamnet)が亡くなった時に、シェークスピアが全く動揺した様子が見られない(注5)ことも不可解です。

 (注5)もっとも、その4?5年後に書かれた「ハムレット」こそ、息子への鎮魂作である、とする学者もいる。蛇足ながら、遺言で妻に「二番目によいベッド」しか残さなかったことは、夫婦仲が冷え切っていたからだとすれば、不可解とは言えまい(太田)。

 

 より大きな謎は、シェークスピアがどうしてあれほど秘密めかした一生を送ったかです。

 何と、シェークスピアの筆跡で書かれた手紙が一つも残されていませんし、彼の作品は、存命中にはほとんど出版されていないのです。

また、あれほどの名作を数多く残したというのに、彼がカネを儲けたという形跡が全くないのです。それに、当時、劇の戯曲の出版の際には、戯曲ごとに異なったパトロンへの献呈の辞をつけてご祝儀をもらうのが通例だったというのに、シェークスピアの戯曲には、全く献呈の辞がつけられていません。シェークスピアは極めてカネに細かい人物だったにもかかわらず・・・。

 更に、彼の作品の大部分は、死後7年目にしてようやく出版されるのですが、その印税が遺族に渡っていないばかりか、シェークスピアの子孫は、シェークスピアの文学的業績について、一切語ることがありませんでした。

 それはシェークスピアが隠れカトリック教徒だったからだ、という説が1850年代から唱えられています。

最近、改めてこの説が話題になっています。

 隠れカトリック教徒説の根拠の第一は、シェークスピアの故郷のワーリックシャー(Warwickshire)が隠れカトリック教徒の巣窟であり、父親(注6)を始めとして彼の近親者にも隠れカトリックが沢山いた(コラム#183)ほか、彼の通った中等学校にも何人も隠れカトリック教徒(イエズス会信徒)の教師がいて、その事実が露見して逃亡したり惨殺された人が出ていることです。

 (注6)ストラットフォードの執行吏や市長を勤め、カトリック教徒を取り締まらなければならない立場であったにもかかわらず、隠れカトリック教徒達をかくまった。もっとも、シェークスピアの父は隠れカトリック教徒ではなく、風向きが変わった時に備えて保険をかけていただけだ、という説もある。

 

根拠の第二は、シェークスピアが1580年と81年に何をしていたのか記録が残っていない一方で、同じ時期に、極めてよく似た名前のWilliam Shakeshafteという男がランカシャー(Lancashire)地方の隠れカトリック教徒の邸で家庭教師をしていたという記録があることです。

 その頃、近くに住んでいたのでシェークスピアが会った可能性があるキャンピオン(Edmund Campion)は、隠れカトリック教徒不穏分子であることが露見して1581年に殉教し、後にローマ法王によって聖人に列せられていますし、シェークスピアが1587年にロンドンに初めて上京した時には、串刺しにされた隠れカトリック教徒達の首をロンドン橋上で目にしたはずです。

 なるほど、こういうことであれば、シェークスピアが仮に隠れカトリック教徒であったならば、秘密めかした生活を送らざるをえなかったはずです(注7)。

 (注7)イギリスのカトリシズムとの戦いの歴史については、コラム#172181183を参照のこと。

 

しかし、それならそれで新たな疑問が湧いてきます。

 シェークスピアの作品は、当時のイギリスの多数派の物の考え方で貫かれていて、全くカトリック臭がしないのはなぜか、という疑問です。

 (2)カトリシズムへのオマージュとしてのシェークスピア作品?

 そこへ今年、シェークスピアは、その表見的にはカトリック臭が全くしない戯曲や詩に、実は暗号でカトリシズムへのオマージュを込めている、という説が登場したのです。