太田述正コラム#923(2005.10.27)
<ガーディアンの靖国神社ブログ(その7)>
(靖国神社問題をめぐって、HPの掲示板上で様々なやりとりがなされていますので、ご参照下さい。)
5 今後の展望
(1)収束に向かうA級戦犯合祀問題?
小泉首相が今回靖国神社を「参拝」した直後の17日夜から18日にかけて実施された朝日新聞の世論調査によれば、首相が参拝したことを「よかった」とする人は42%、「参拝するべきではなかった」は41%で拮抗しています。(なお、男性では「よかった」38%対46%と反対が多いけれど、女性では46%対36%で賛成が上回ったことは興味深いところです。)
しかし、「参拝すべきではなかった」とする人は、参拝そのものに反対というよりは、中共や韓国との関係悪化への懸念から反対しているのが大部分だと考えられます(注15)。
(以上、http://www.asahi.com/politics/update/1019/001.html(10月19日アクセス)による。)
(注15)中国や韓国との関係悪化を「大いに」「ある程度」心配している人が、「参拝するべきではなかった」と答えた層では88%に達した。
しかし、その中共は、予定されていた日本の町村信孝外相の訪中を断る(http://www.nytimes.com/2005/10/25/international/asia/25japan.html?pagewanted=print。10月26日アクセス)等不快感を表明したものの、上記靖国神社「参拝」以降、反日行動を徹底的に押さえ込んでおり(注16)、極めて抑制の効いた対応をとっています(http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20051021/mng_____kok_____002.shtml(10月21日アクセス)及びhttp://www.yomiuri.co.jp/main/news/20051024i401.htm(10月24日アクセス)。
(注16)上海の日本総領事館前で抗議しようとした一人の反日活動家が、小泉首相の靖国神社参拝に抗議するためにプラカードを携えて総領事館の正門から数メートルの地点でタクシーを降りた瞬間、警戒していた警察官に拘束され、4時間以上にわたって事情を聴かれ、結局、抗議行動は許されなかった。日本大使館や総領事館は、このような、デモや集会ですらないところの、中共の憲法上も法令上も完全に合法的な行為を官憲が妨げた場合は、当局に抗議すべきだ。
また、韓国では、国民が竹島(独島)問題に対するような激しい反発を示していないこともあって、潘基文(Ban Ki Moon)外交通商相が、一旦は今月末に予定していた訪日について、「靖国で難しい局面にある」と中止を強く示唆していたにもかかわらず、結局予定通り訪日する運びとなりました(http://www.sankei.co.jp/news/morning/25int002.htm(10月25日アクセス)及びNYタイムス上掲))。
従って私は、A級戦犯合祀に関する限り、靖国神社への首相等日本の政治家による参拝問題は峠を越したと見て良いのではないかと考えています。
しかしだからといって、靖国神社への日本の政治家による参拝問題が解決した、というわけではありません。
上記朝日新聞の世論調査で、無宗教の国立追悼施設を新たに造ることについて、賛成51%、反対28%で、6月調査(賛成42%、反対34%)に比べて賛成が増えたことが示しているように、宗教と政治の分離に係る、より深刻とも言える問題が残っているからです。
これからは、靖国神社か国立追悼施設かという争いが次第に先鋭化して行くことは必至だと私は見ています。
それだけに、史観(遊就館)問題と、祭神問題への靖国神社側の真剣な対応がなさるかどうかを、皆さんと共に注視して行きたいと思います。
6 最後に
(1)再度A級等戦犯の合祀問題について。
私自身、A級戦犯の刑死者が靖国神社の祭神として合祀されていることに諸手を挙げて賛成というわけではありません。
彼らは、開戦責任の他、兵士達が犯した一般住民の殺害や捕虜の殺害等の戦争犯罪の上官責任を問われて有罪となり刑死するに至ったところ、開戦責任などはそもそも問えないはずであるし、戦争犯罪の上官責任を彼らのような上層部にまでとらせることには無理がある、とは思います。しかし、A級戦犯の刑死者の多くは、戦争犯罪の防止、つまりは戦時国際法遵守精神の普及、に遺漏があったと言わざるを得ませんし、また、捕虜にならないように指導したことや、兵站に無理がある作戦を黙認すること等で、いたずらに日本の兵士の死者(餓死者・病死者・事故死者等を含む)の数を増やしたことは強く非難されてしかるべきです。
にもかかわらず、私が彼らの合祀に反対しないのは、彼らの「罪」は、計画的・組織的な日本の一般住民の殺戮という戦争犯罪を積極的に行わせた先の大戦中の米国の最高指導者達が犯した罪に比べればはるかに軽い上、これら米国の最高指導者達は、何ら処罰の対象になっておらず、日本のA級戦犯の扱いと著しく権衡を失しているからです。
ついでに余り議論の対象となっていないのですが、BC級戦犯で刑死した人々が合祀されている問題について触れておきます。
BC級戦犯で刑死した人々の大部分は、戦争犯罪の実行犯のはずであり、彼らを英霊として合祀することについては、A級戦犯の合祀以上に問題視されてしかるべきです。
しかし、彼らの少なからざる部分は、上官の命令でやむなく行ったものであるほか、BC級戦犯の連合国の軍事法廷での裁判は、伝聞証拠を採用する等、著しく手続き的に瑕疵のあるケースが多く、何の罪も犯していない者やささいな罪しか犯していない者が多数刑死しており(注17)、しかも、連合国側の同様の戦争犯罪に関しては、ほとんど処罰の対象となっていないことからやはり著しく権衡を失している、ことから、合祀の対象から排除することは適切ではない、と思うのです。
(注17)BC戦犯として処刑された人物の心情を描いた名作TVドラマに「私は貝になりたい」(1958年)がある(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E3%81%AF%E8%B2%9D%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84。10月26日アクセス)。
(2)再度今般の小泉首相の靖国神社「参拝」について
靖国神社への「正式参拝は、参集所から参入し、手水をとり、修祓(しゅばつ)を受けて本殿に昇殿し、玉串を奉げる。その後、二礼二拍手一礼し、退出の時に、御神酒を受け取る。社頭参拝は、鳥居をくぐり、手水をとり、拝殿前で二礼二拍手一礼をする。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE。10月25日アクセス)ということであるところ、中曽根首相(当時)が1985年に行った「公式参拝」は、「二礼二拍手一礼」の代わりに「一礼」で済ませ、「玉ぐし料」の代わりに「供花料」3万円を公費から支出する参拝方式をとり(http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/syusyouyasukunisannpai.htm。10月26日アクセス)、この「公式参拝」が宗教的意義を持たないものであることを客観的に明らかにしたと主張しました(http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yogokaisetyu.html#hatigouseifukennkai。10月26日アクセス)。
これに対し、靖国神社側は「正式参拝」とは言えないとして、不快感を表明してきました(典拠失念)。
他方小泉首相は、首相就任後、公式私的の区別を明らかにしないまま、正式参拝を繰り返し行い、その際、玉串料はポケットマネーから支出してきました(典拠省略)。
今回の小泉首相の参拝は、「一礼」で済ませ、「賽銭」をポケットマネーから支出する方式をとった(注18)ものであり、靖国神社側から「社頭参拝」とは言えないとして、不快感の表明があってもおかしくありません。
(注18)政府は、10月25日の閣議で質問趣意書に対する答弁書を決定し、「(極東国際軍事裁判所やその他の連合国戦争犯罪法廷が科した)刑は、わが国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」と指摘し、A・B・C各級の「戦犯」は、国内では戦争犯罪人とはいえないことを明確にした。また、首相の靖国参拝に関し、「戦没者の追悼を目的とする参拝であることを公にするとともに、神道儀式によることなく、宗教上の目的によるものでないことが外観上も明らかである場合は、憲法20条3項の禁じる国の宗教的活動に当たることはない」との見解を改めて表明した。(http://www.sankei.co.jp/news/morning/26pol002.htm。10月26日アクセス)
しかし首相ともなれば、純粋なプライバシーに係る場面を除き、その言動に公私の区別はありえないという私の考え方に立脚すれば、たとえ靖国神社への参拝が宗教的行為であるとしても、これは首相といえども保証されるべき信教の自由の行使にほかならず、当然合憲だということになります。この場合、玉串料や賽銭を公費から支出することには問題がある一方で、中曽根さんの「公式参拝」や小泉さんの今回の「参拝」のような簡略化された参拝方式による参拝は、「信徒」にあるまじき行為として咎められてしかるべきでしょう。
前にも述べたように私見は、神道は日本の一般的習俗であり、儀礼がそのアルファでありオメガであるというものですから、およそ靖国神社を含むいかなる神社を首相が参拝しても、憲法上の問題は生じない、ということになります。この場合、玉串料や賽銭を公費で支出することに何ら問題がない一方で、簡略化された参拝方式は、日本の一般的習俗に反する不作法として、やはり咎められてしかるべきでしょう。
(3)結論
いずれにせよ、この問題は、集団的自衛権の問題と並ぶ、日本国憲法上の大問題であり、政府が憲法第9条や20条の公定解釈を変更するか、最高裁が集団的自衛権を認める判決を下すとともに神道は宗教ではないという判例変更を行うか、あるいは憲法をこのような方向で改正するか、明確な決着を図る必要があります。
(完)