太田述正コラム#1040(2006.1.11)
<「アーロン収容所」再読(その6)>
(コラム#1037に関する一読者と私との、HPの掲示板上でのやりとりを、コラム#1039と併せて、お読み下さい。)
第三のグループである「捕虜」に対しては、ジュネーブ条約で保護されていることから、恐らく復讐の対象からは除外したのではないでしょうか。
第二のグループである(会田らの)「降伏軍人」がひどい目にあったと思ったことで、これまで紹介されなかったことを一つ挙げると、会田らの部隊が最初に収容されたアーロン収容所は、ラングーンの塵埃集積所と道一つへだてたところに設置され、後半収容されたコカイン収容所は、家畜放牧場の放尿所に接したところに設置されたことです。会田はこれらロケーションについて、英軍の復讐の意図は明らかだと指摘しています(62頁)が、まさにその通りでしょう。
しかし会田が、英軍は、「非難<されることなく>うまく言い抜けできるように<し>ていた。しかも、英軍はあくまでも冷静で、「逆上」することなく冷酷に落ちつき払ってそれ(=復讐(太田))をおこなったのである。」(注9)とし、「これこそ、人間が人間に対してなしうるもっとも残忍な行為ではなかろうか」と主張している(67?68頁)のはいただけません。これは、西欧中世の研究者としてホンモノの残忍な行為とはいかなるものかを熟知していてしかるべき人物の吐いたものとは思えぬ妄言です。それどころか、あえて言いますが、私は、英軍の復讐のやり方の自制ぶりに、敬意とほほえましさすら覚えます(注10)。
(注9)しかも、英兵一人一人はほとんど日本兵に対し非違行為を行わなかった。憎悪をむき出しにして、タバコの火を日本兵の顔で消したり、日本兵を四つんばいにして足かけ台にしたり、日本兵の顔に小便をかけたり、といった非違行為を行ったのは、もっぱら豪州兵だった(63頁)。
(注10)考えても見よ。例えば収容所のロケーションについて言えば、すさまじい悪臭等に、日本兵だけでなく、グルカ兵もインド兵も、そして英兵自身も晒されたはずだ。
ここで重要なことは、日本兵は英軍によって復讐の対象にされた、という事実です。
英軍が日本兵を「家畜」ないしは「非人間」視していたとすれば、日本兵による自分達の同僚への非違行為に対する復讐を、他の日本兵に対して行おうとするはずがありません。
このことは、飼い犬(家畜)があなたの友人をかみ殺したとして、あなたはその犬を殺すことはあっても、他の犬に対し、復讐心を抱いたり、復讐の対象にしたりすることはありえないことを考えれば明らかでしょう。
つまり、英軍は日本兵を同じ人間だと思っているからこそ、日本兵に復讐心を抱き、日本兵を復讐の対象にしたのです。そうである以上、会田の用いた表現は不適切であり、社会科学者としてはいかがなものか、と私は思います。
もっとも私自身、当時の英軍並びに英兵一人一人は、日本兵、ひいては日本人一般に対し、家畜視こそしてはいなかったけれど、差別意識を持っていたに違いない、とは思います。会田もそういう「穏当な」表現を用いるべきでした。
4 アーロン収容所の根本的問題点
それにしても、これまで説明してきたような生活習慣についての誤解や表現の不適切さを超える致命的な問題点が会田の立論にはあります。
それは会田が、英軍(すなわち英国人)を、西欧人一般と同一視した上で、英国人が日本人・インド人・ビルマ人等のアジア人(そしてアフリカ人)に対して差別意識を抱いている(家畜視している)、と主張したことです(注11)。
(注11)例えば、4頁の「私の・・この戦争や捕虜の経験<を通じて培った>目で見るとき、ふつうの目でながめるのと大変ちがった・・イギリスの、広くはヨーロッパ・・というものの特殊な姿が浮かび上がって来<た>」や、41頁の、イギリスの女兵「たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに「人間」ではないのである。それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような感覚を持つ必要はないのだ。」
私のコラムを長期にわたって読み込んでこられた方々にはお分かりでしょうが、英国人(正確にはイギリス人)は、西欧人と自分達は全く別物であって異なった文明に属していると考えているのですし、同時に英国人は、自分達(アングロサクソン)以外のあらゆる人々に対し、差別意識を抱いているのです。
つまり英国人は、それが西欧人やアジア人(やアフリカ人)であれば、肌の色が白かろうと黄色かろうと(黒かろうと)、等しく野蛮人として、差別意識を抱いているのです(コラム#1005)。