太田述正コラム#11029(2020.1.6)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その17)>(2020.3.28公開)

「・・・かくして、宋学なり古学なり、心学なり、水戸学なりの「実学」から、福澤の「実学への飛躍は、そこでの中核的学問領域の推移から見るならば、実に倫理学より物理学への転回として現れるのである。・・・
 アンシャン・レジームの学問にもそれなりに形而上学(Metaphysik)もあれば自然学(Physik)もある。
 「一木一草の理を窮める」<(注22)>とは朱子学者の好んで口にするところであった。

 (注22)居敬窮理(きょけいきゅうり)。「朱子学が唱える学問修養の根本的方法。朱子学では,人間の本性は至善 (形而上) であるが,気質はそれがおおわれている (形而下) ので,・・・居敬のために・・・静坐<を行って>・・・心の修練<を>・・・するとともに,・・・(経書を中心とする)・・・読書<を行って>・・・「格物致知」つまり物事の本来の理・・・<を、>一木一草の理に至るまでいちいち全部知り尽く・・・<すことによっ>て,人間の先天性 (形而下) <と>修養とが一体となって,円満で統一のある人格を完成しなければならないとした。」
https://kotobank.jp/word/%E5%B1%85%E6%95%AC%E7%AA%AE%E7%90%86-53323
 格物致知。「物の道理を窮め、知的判断力を高める意<。>・・・「礼記」大学の「致知在格物」の意味を、朱子は「知を致すは物に格(至)るに在り」と事物の理に至ることと解し、王陽明は「知を致すは物を格(正)すに在り」と心の不正を去ることと解した。」
https://kotobank.jp/word/%E6%A0%BC%E7%89%A9%E8%87%B4%E7%9F%A5-43788#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8

⇒こういう論述の仕方は、丸山自身が無知でないとすれば、素人に対するこけおどしであり欺瞞です。
 「アンシャンレジーム」の「物理学」も「朱子学者」の「物理学」も、基本的に合理論的(演繹論的)物理学であって、アングロサクソン文明が生み出したところの、近代物理学、すなわち、経験論的(帰納論的)物理学、ではないからです。(太田)

 <福沢>の関心を惹いたのは、自然科学それ自体乃至その齎した諸結果よりもむしろ、根本的には近代的自然科学を産み出す様な人間精神の在り方であった。
 その同じ人間精神がまさに近代的な倫理なり政治なり経済なり芸術なりの基底に流れているのである。
 「倫理」の実学と「物理」の実学との対立はかくして、根底的には、東洋的な道学を産む所の「精神」と近代の数学的物理学を産む所の「精神」との対立に帰着するわけである。

⇒こけおどしであれ欺瞞であれ、せっかく、「西洋」の「アンシャンレジーム」と「東洋」の「朱子学者」、の両「学問」を一括りにして提示して見せた丸山だったのに、彼は、ここで、再び、「西洋」と「東洋」とを、前者への敬意、後者への侮蔑、的な含意の下、切り分けてしまっています。
 こんな無意味にアクロバティックな立論を丸山がしてしまったのは、一つには、彼が、非個人主義と個人主義の座標軸、と、合理論的(演繹論的)科学、と、経験論的(帰納論的)科学の座標軸、という二つの座標軸を、アングロサクソン文明とプロト欧州文明/欧州文明とを区別しないまま、雑駁な形で重ね合わせてしまったからでしょう。
 私なら、さしずめ、次のような論述ぶりになりそうです。
 すなわち、
一、「西洋」のアングロサクソン文明とプロト欧州文明/欧州文明とは、(イスラム文明経由で、)古典ギリシャ文明の高度な合理論的(演繹論的)科学(及び、経験論的(帰納論的)科学の萌芽(観察まで))を継受したのに対し、(イスラム文明以外の)「東洋」のインド文明や漢人文明は低度な合理論的(演繹論的)科学を独自に生み出し、この印漢両文明を(イスラム文明誕生より前の)「東洋」のその他の諸文明は継受したものの、古典ギリシャ文明の高度な合理論的(演繹論的)文明の継受は大幅に遅れることになり、
二、(一)また、アングロサクソン文明の経験論的(帰納論的)科学(実験付き)を、プロト欧州文明は世界のその他の諸文明中最も早く継受し、
  (二)更にまた、アングロサクソン文明の方法論的個人主義についても同じであって、
  (三)それら等の結果、プロト欧州文明は欧州文明へと変貌を遂げ、爾後、アングロサクソン文明と欧州文明とは、その他の諸文明からは一体化して西洋文明と捉えられるに至り、これら諸文明においてかかる西洋文明の継受が図られるようになり、人類は、そのような意味でのグローバリゼーションの時代を迎えることとなった、
と。(太田)

(続く)