太田述正コラム#1070(2006.2.4)
<防衛施設庁談合事件等に思うこと(続)(その2)>
官需で入札が行われるものについては、そのほぼすべてで談合が行われています。
談合当事者の中で、悪びれずにその事実を教えてくれる人は少なくありません。
彼らに違法性の認識はあるのですが、20kmオーバー前後のスピード違反程度の認識です。(露見すれば、スピード違反より重く処罰される一方で、スピード違反を犯す者はドライバーの一部なのに対し、官需で入札に参加するほぼ全員が談合を犯すのですから、罪責の認識の度合いは同じくらいになるわけです。)
ところで、談合がなぜ悪いか知っていますか。
刑法等で談合が処罰の対象だから?
それじゃあ、刑法等から消せば悪くなくなることになりますよね。
談合が悪いのは、そうではなく、談合を認めるような制度を設計することは不可能だからです。私は、談合当事者達に、そんなに談合が必要なら、その旨を文書にして世間に訴えればいいじゃないか、といつもけしかけたものですが、そのとたん、彼らは一様に口をつぐんでしまいます。
仲間内同士で順次国民から超過利潤の形で税金をくすねてそれを山分けするのが談合なのであり、よそ者を排除し、コスト感覚のない、技術革新にも不熱心な企業をつくってしまうような談合という代物について、胸を張って第三者に説明することなどできるわけがないのです。
談合を禁止している文書たる刑法等と、文書の存在しない(きちんと説明することができない)談合なるものの蔓延という現実とが並存している、タテマエとホンネが完全に乖離した世界が戦後の日本なのです(注1)。
(注1)日本の官需の対外開放を迫った米国に対し、官製談合の中に米国企業を引き入れることによってお茶を濁した、という笑えぬ話があった(典拠失念)ことがつい最近のように思い出される。
戦後の日本には、OBの天下りに係る官僚機構と業界との癒着スキームもあり、こちらは全中央官庁(と恐らく全地方官庁)がこのスキームの「メンバー」ですが、更にもう一つ、自民党と(官僚機構を筆頭とする)権益擁護諸団体との癒着スキームもあり、この三つがオーバーラップしていることは既にご説明したとおりです。
ところで、このようなタテマエとしての制度とホンネたる実態が乖離しているケースは戦後日本では他にも沢山あります(注2)。
(注2)明治期においては、欧米の制度をそのまま日本に移植したものが多く、当然実態と乖離があったのですが、その乖離が次第になくなっていったのに、戦後になって再び乖離が大きくなった、という感がある。これについては、いずれもう少し掘り下げてみたい。
ここで私が言いたいことは、かかる乖離は、タテマエにホンネを合わせるか、タテマエをホンネに合わせるかしかないのであって、前者と後者のどちらにするかは、ホンネの妥当性をきちんと説明することができるかどうかにかかっている、ということです。
そのためにも、日本国民の皆さん一人一人が、言挙げすることにお務めになる必要がある、と私はかねがね痛感しています。
言挙げする、とはきちんとしたディベート(典拠付きの議論)を行う、と言い換えてもいいでしょう。
幕末の時もそうなのですが、明治維新後の新政府において、後に明治の元勲と言われた人々が、議論を提起する時には、文書をよく用いた、という事実があります(典拠失念)。日本も当時は言挙げする国だったのです。
今は、グローバル化の時代です。明治当時よりも、一層日本が言挙げする国になる必要がある、と私は思うのです。
言挙げを回避する人は、私に言わせれば、談合を悪いとは思っていない人です。
4 細川首相の思い出
(続く)