太田述正コラム#1090(2006.2.22)
<ムハンマドの漫画騒動(その8)>
5 エピローグ
(1)欧州からの叫び
私が指摘したところの、英米の有識者達のものの考え方を知ってか知らずか、表現の自由の錦の御旗を掲げて例の漫画の掲載・転載を擁護することに疑問を投げかける声は、当初から欧州の有識者の間でくすぶっていました。
一つは、欧州はイスラム原理主義勢力・・イラク不穏分子・イランのアフマディネジャド政権・パレスティナ議会選挙で勝利したハマス等々・・と戦争状態にあるのであって、戦争中の検閲は当然許されるとことから、これら原理主義勢力がイスラム世界で欧州への憎しみを一層かき立てることにつながる報道(火に油を注ぐような報道)がなされることを、検閲を行うことによって回避するのは当然だ、という声です。
もう一つは、欧州はホロコースト否定論の検閲を続けながら、一方でイスラム教のタブーに触れる報道の検閲を拒否するのはおかしい、という声です(注16)。
(以上、特に断っていない限りhttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/02/02/AR2006020202720_pf.html前掲による。)
(注16)これに対し、歴史「学者」によるホロコースト否定論の講演や出版とイスラム教のタブーに触れる報道のいずれも検閲の対象となるとする欧州の有識者間の多数説は間違っていないとの反論も行われている。それによれば、戦後国連総会で採択された世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights。1948年)は、その第一条で、’They are endowed with reason and conscience and should act towards one another in a spirit of brotherhood.’と謳っており、アングロサクソン流の表現の自由絶対主義は修正されているとする。すなわち、国家権力(あるいはかつてのカトリック教会のような国際的権力)に対する個人の表現の自由は絶対に尊重されなければならないが、強力な個人である学者や強力な組織であるメディアは、特定の(とりわけ宗教的・民族的少数派たる)集団や個人の気持ちに配慮した形で表現の自由を行使しなければならない、というのだ。(http://www.guardian.co.uk/cartoonprotests/story/0,,1712408,00.html。2月19日アクセス)
(2)英米におけるホンネの吐露
ア 始めに
これに対し、英米側のガードは堅く、なかなかホンネらしきものは漏れてきませんでしたが、最近になって少しずつ聞こえてきました。より直截的に語り出したのは、やはり、できそこないのアングロサクソンの米国の有識者達です。
イ 英国
第一に、例のムハンマドの漫画にせよ、ドイツのビルド紙が掲載したイランのサッカー選手を自爆テロ犯に擬した漫画にせよ、その背後には、欧州の人々のイスラム世界の人々に対する人種的偏見がある、という指摘(ガーディアン上掲)です。
私に言わせれば、これは、自分達アングロサクソンのホンネを欧州の報道に藉口して語っているのです。
第二に、欧米諸国に対するイスラム教徒のヒステリー(Muslim hysteria)は、20年に一回程度の頻度で起こっており、過去二回は英国が対象だったところ、一回目の時は、ヒステリーを引き起こしたコラムをタイムスに書いたコラムニストをタイムスが首にしてケリをつけた(注17)が、今回は欧州が対象となったところ、欧州諸国は英国のようにご免なさいと言わずによく頑張っている、という指摘(http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,,1711104,00.html。2月18日アクセス)です。
(注17)一回目は1970年のことであり、パキスタンのラワルピンジのブリティッシュ・カウンシルが焼き討ちされ、ロンドンの新聞街にはイスラム教徒のデモ隊が押し寄せた。二回目は、1989年のラシュディーの小説をめぐる騒動だ。
これは、ヒステリーと真面目に戦っている欧州諸国をおちょくっているのです。