太田述正コラム#1093(2006.2.25)
<中共のネチズン達の戦い(その3)>
ウ 党内での政治活動
最近(コラム#1082で)記したように、氷点前編集長の李大同(Li Datong.52歳)は、親雑誌である中国青年報新編集長(50歳)による、共産党幹部へのゴマスリ度に応じて記者の報酬を決める新方式の導入を粉砕したのですが、粉砕できたのは、李が中国青年報の社内LANに、この方式を糾弾する文章を掲げたところ、これを社内の誰かが、インターネット上に流した結果、中共全土から李を支持する声がインターネット上に寄せられたからです。
当初当局は、李の文章が転載されたサイトを次々にアクセス禁止にしていったのですが、この文書の伝播に追いつかず、結局2日後に当局側が折れて、上記青年報編集長にこの新方式を撤回させたのでした(注2)。
(以上、特に断っていない限りhttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/02/18/AR2006021801389_pf.html前掲による。)
(注2)やはりコラム#1082で記したように、1月24日、李は11年間務めた氷点の編集長の座を逐われ、氷点は発行停止になったが、その後、氷点は新しい編集長が任命され、復刊することになった。李はクリスチャンサイエンスモニター紙のインタビューに以下のように答えている。
「党の情宣部は権力を持っている。しかしそれは党の一機関に過ぎない。われわれは国に対しては裁判を提起できるが党に対してはできない。党には法的な根拠がない。だから党は司法制度になじまない。党は法を超越した存在なのだ。・・1959年から62年までの間、中共では失政による大飢饉があったが、教科書ではそのことに一言も触れられていない。歴史を書く権限を党は独占している。党が書く歴史はコロコロ変わるが、党の無謬性に疑念を投げかけることは許されない。4千万人もの餓死者を出しながら、そのことに全く触れない政党がいまだに権力を握り続けて恬淡として恥じないのは一体どういうことだろうか。・・<しかし>希望はある。10年前だったら、氷点は発行停止されたままだっただろう。また、私は党籍を剥奪され、新聞界から追放されていただろう。<今では、>私はもはや編集に携わることはできないけれど、<青年報の調査部で>給料を引き続きもらえる。・・われわれが<いつの日か>報道の自由を獲得し、真実を報道できるようになれば、物事は変わるだろう。ベルリンの壁はびくともしないように見えたが、一瞬にして崩壊し、跡形もなくなったではないか。」
(以上、http://www.csmonitor.com/2006/0224/p01s04-woap.html(2月24日アクセス)による。)
エ 党外での政治活動
ブログが中共に登場したのは、2002年の夏でした。
そのきっかけになったのは、Fang Xingdongが書いた、IT界におけるマイクロソフトの独占的な力の行使を批判するインターネット(チャット・フォーラム)上の文章が次々に消されたことです。
マイクロソフトは否定しているものの、Fangは、これはマイクロソフトの差し金だと思い、この時、中共初のブログを立ち上げたのです。やがて、Fangは、中共最大のブログのサービス・プロバイダー会社の経営者となります。
その過程で、Fangは、中共国民のだれもが気軽に「出版」できるようになることに懼れを抱いた中共当局の説得に努めたといいます。
ブロッガーの数は急速に増えますが、最初のうちは、彼らは、ブログを私的日記帳として、或いは趣味を披瀝する場としか用いませんでした。
ところが2004年12月、自分の創刊したミニコミ紙が発禁処分をくらったZhao Jingが、中共初のブログ・ジャーナリズムを立ち上げます。そして、抑制を効かせつつも微妙な政治的イッシューを積極的にとりあげ、アクセス数を増やして行ったのです。
昨年の5月にはマイクロソフト(MSN)が中共でブログ・サービスを始め、そのサービスの質が高かったことと、「検閲」のやり方がソフトであったので、ZhaoはこのブログをMSNに移します。やがてこのブログへのアクセス数は、一日15,000を数えるようになります。
昨年末には、ついに当局が、マイクロソフトに、このブログの閉鎖を求めました。Zhaoは許可なくニュース報道をしているし、新しく決まった方針・・ブログでは、政治・経済・軍事・外交に関することは記述してはならない・・にも反している、という理由です。
翌日、マイクロソフトは、このブログを閉鎖しました。
しかし、現在1600万人にのぼる中共のブロッガー達の多くは、この措置に反発しており、今後の展開がどうなるのか、私は興味津々、見守っています。
(以上、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/02/20/AR2006022001304_pf.html(2月22日アクセス)による。
(続く)