太田述正コラム#11222006.3.13

<人格は仲間集団で形成される?(その2)>

 ピンカーの絶賛は、決してお世辞ではありません。

 何せ、ハリスの説は、育児学における通説・・養育仮説(Nurture Assumption)・・を根底から覆すものだったからです。

 通説は、まず哲学者のルソー(Jean-Jacques Rousseau1712?78年)(コラム#646671)によって形作られました。彼は、人はみんな善人として生まれるけれど、社会が堕落させてしまう、と唱えたのです(http://www.strugglingteens.com/opinion/nurtureassump.html。3月10日アクセス)。

 つまりルソーは、遺伝を無視し、養育を絶対視したわけです。

 次に大きかったのがフロイト(Sigmund Freud1856?1939年)の影響です。彼は、子供の時の親との(性的)関わりがその子供の人格形成に決定的な役割を果たす、と主張しました。

 つまりフロイトは、養育にあたって、家庭における養育を絶対視したわけです。

 ただし、ルソーの時代と違って、フロイトの時代には、遺伝の重要性は認識されるようになっていました。

 ところが、(第一次と第二次世界大戦の間の)戦間期にはそれが行きすぎて優生学が一世を風靡し、ついにはナチスによる「劣性」遺伝子保有者たるドイツ人の強制断種や、「劣性」遺伝子保有民族たるユダヤ人やジプシーの抹殺まで行き着いたことの反動で、戦後は遺伝の重要性を指摘することがタブーになってしまいました。

 こうして、人間の人格形成において、遺伝を軽視し、養育を重視し、かつ養育に関し家庭における養育を絶対視する考え方が通説となったのです。この通説を、ハリスは養育仮説と名付けたのです。

 その後、フロイトの説は廃れ、他方で遺伝の重要性が次第に再認識されるようになったにもかかわらず、この通説はしぶとく生き続けていたのです。

(以上、http://gos.sbc.edu/h/harrisj.html(3月10日アクセス)、及びhttp://groups.google.com/group/uk.philosophy.humanism/browse_frm/thread/b2362b59650e5d25/(3月13日アクセス)による。)

 ハリスは、遺伝の重要性を改めて強調した上で、養育に関し、仲間集団の決定的重要性、すなわち、子供は遺伝によって人格の約50%を与えられるけれど、仲間集団に適応することで人格の残りの約50%近くを身につけること(注2)を指摘し、上記のような養育仮説を根底から覆したわけです(注3)。

 (注2)これは、親は、一人っ子かどうか、兄弟がいる場合は、長男か末っ子か等によって、養育の仕方を違えるのは事実だけれど、そのことが子供の人格形成に及ぼす影響はほとんどない、ということを意味する(典拠省略)。ただし、親が子供にひどい虐待を加えたような場合は、子供の人格形成に永続的な悪影響を与えることは忘れてはならない(典拠省略)。また、いわゆるお袋の味や宗教は親から子に伝えられる(http://www.justchristians.com/abundantLife/101998/4.html。3月10日アクセス)

 

(注3)ハリスが、左派・・通説に拠っている心理学者や育児学者・・から批判されたのは当然だが、右派・・キリスト教原理主義者・・からも批判された。興味ある方は聖書を詳細に引用したハリス批判を参照されたい(http://www.justchristians.com/abundantLife/101998/4.html上掲)。

ハリスのこの説が正しいとすると、次のようなことが言えそうです。

 第一に、孟母三遷という言葉の存在が示すように、支那においては、大昔からハリスの説が有力説であったらしい、ということです。それはともかく、親は、子供が良い仲間集団にめぐりあえるような環境を引っ越し等によって整えてやることが大事だ(http://keirsey.com/harris.html。3月10日アクセス)、ということです(注4)。

 (注4)だからといって、引っ越し等をやりすぎると、子供は仲間集団がどんどん変わるため、人格形成が妨げられかねない(典拠省略)、また、学級の能力別編成は、できる子にはメリットがあるが、できない子はますますできない子になりがちなので問題あり(典拠省略)、ということになる。

 

第二に、かつては、アングロサクソン社会のような個人主義社会以外の社会では、多かれ少なかれ大家族制だったわけで、家庭が仲間集団的要素を包含していたことから、養育に関し、家庭の重要性も無視できないものがあったと考えられる(http://www.edge.org/3rd_culture/harris/harris_index.htmlhttp://www.georgejacobs.net/Review_of_the_nurture_assumption.htm。3月10日アクセス)、ということです。

ただし、現在は世界中で核家族化(家庭のアングロサクソン化)が進展しており、養育に関する家庭の重要性はおしなべて低下してきていると考えられます。つまり、ハリスの説は時と共に普遍性を増しつつあると見て良いのではないか、ということです。

 第三に、上記と一見矛盾するようですが、個人主義なるものは虚構である、ということです。

 なぜなら、人格は、遺伝で与えられたものを、自分が主体的に発展させ形成していくものではなく、仲間集団への適応という受動的な形で形成されるものだからです。(http://pacujo.net/artikoloj/harris.en.html。3月10日アクセス)

 和辻哲郎やジョン・マクマレーの言うところの、人間(じんかん)的存在としての人間(コラム#113114)、という捕らえ方の正しさが、ハリスの説によって裏付けられた、と言っても良いのかも知れません。

(続く)