太田述正コラム#1134(2006.3.20)
<アイルランド史から見えてくるもの(その1)>
1 始めに
アイルランドについては、これまで一度(於コラム#632)しかとりあげたことがありませんが、余り日本人には知られていない、英国とアイルランドの関係史は、示唆に富んでいます。
2 アイルランドついに完全独立達成へ?
歴史の旅への出発点は、現在の北アイルランドです。
1921年にアイルランドが英国から独立するにあたって、プロテスタントが多数を占める東北部・・北アイルランド・・は英国に残った(注1)わけですが、北アイルランドのカトリック住民はアイルランドとの統合を望み、IRAが対英武装闘争(テロ)を行ってきました。シンフェーンは、このIRAの公然組織たる政党です。
(注1)アイルランド側が北アイルランド切り離しを受忍したのは、統合後、予想される北アイルランドのプロテスタント住民の武装闘争を鎮圧する自信がなかったからだ。
199年のベルファスト協定(Belfast Agreement=Good Friday Agreement)(注1)によって、アイルランド政府は北アイルランド統合を断念すること、そしてIRA(シンフェーン)は武装闘争を放棄すること、を英国政府に約束し、北アイルランド(とテロが吹き荒れた英本土)に平和が戻ってきました。
(注1)北アイルランド及びアイルランドで住民投票が行われ、この協定賛成がそれぞれ71%、94%を占めた。しかし、北アイルランドのプロテスタント住民の賛成票は過半数をわずかに超えた程度だったと考えられている。(http://en.wikipedia.org/wiki/Good_Friday_Agreement。3月20日アクセス)
しかし、シンフェーンは決して「勝利」を諦めたわけではなかったのです。
上記ベルファスト協定には、北アイルランドの住民投票の多数決で北アイルランドの体制変革ができる、という一項があるからです。住民の多数が望めば、アイルランドと統合してもよい、ということです。
北アイルランドにおいて、少数派のカトリック住民は多数派のプロテスタント住民との数の差を縮めつつあり、10年前には37%だった北アイルランドのカトリック住民比率は現在45%にまで高まっています。
これは、北アイルランドでは、伝統的にカトリックの方がプロテスタントより出生率が高い上、プロテスタントの中産階級の子弟は英本土の大学に進学する者が多く、そのまま英本土にとどまってしまうからです。
どうやら近い将来、北アイルランドでカトリック住民が多数を占めるようになるのは必至であり、その時点で北アイルランドはアイルランドに統合されることになりそうです(注2)(注3)。
(以上、http://www.slate.com/id/2138163/(3月17日アクセス)による。)
(注2)北アイルランドのプロテスタント住民の政党の一つ(Democratic Unionist Party)は、このことを指摘し、ベルファスト協定に反対した(http://www.michiganaoh.com/pictures_contributed_by_brother.htm。3月20日アクセス)。
(注3)2005年のIRAの完全武装解除を見届けた英国政府は、その後ただちに北アイルランドからの撤兵に着手した。
残された「障害」は、北アイルランド経済が不振にあえいでおり、その経済の三分の二が英国政府の財政支出に依存していることだけだ。今やアイルランドの一人当たりGDPは英国のそれを追い越した(コラム#632)とはいえ、統合後の北アイルランドに対し、アイルランド政府が英国並みの財政支出を続けることは困難だからだ。
これは、人類史上、最も長期にわたって維持されてきた植民地であるアイルランドが、宗主国たるイギリス(後には英国)への同化を拒み抜いたあげく、ついに完全独立を果たそうとしている、ということです。
このことについては、私は、持論であるアングロサクソン文明と欧州文明とのせめぎあいの歴史の観点からも、感慨を禁じ得ません。
それでは、歴史の旅を通じ、私のこの感慨の拠って来たるところをご説明することにしましょう。
(完)