太田述正コラム#11394(2020.7.6)
<末木文美士『日本思想史』を読む(その71)>(2020.9.27公開)

 「家は先祖代々継承されてきたもので、家父長はそれを受け継ぎ、次代に渡す役目を負う。
 そこで、その家を継承してきた祖先への崇拝が必須となる。
 幕末の水戸学や神道でも祖先祭祀が重要視されてきた。
 それは、みえざるものの世界(冥・幽冥)の秩序に関する。
 こうして神道は皇室の祖先崇拝の祭祀として位置づけられる。

⇒家父長制と祖先崇拝の結びつきを当然視しているところの、この末木の論理が私にはさっぱり分かりません。
 「民俗学者の折口信夫は・・・、琉球の宗教を・・・琉球神道の名で話を進めたいと断った後、琉球神道は日本本土の神道の一つの分派、あるいはむしろ<日本本土の神道の>巫女教時代のおもかげを今に保存していると見る方が適当な位であると述べた<が、>・・・<その琉球の>古代<は>母系社会や女性上位社会<だった>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E7%A5%9E%E9%81%93#%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%9C%AC%E5%B3%B6%E3%81%AE%E7%A5%96%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0
ところ、私自身も、日本本土の神道は沖縄の「神道」と基本的に同じである、と見ています。
 そもそも、天皇家の祖先は女性たる天照大神ですしね。(太田)

 それに対して、民間では祖先祭祀を仏教が担当し、それを象徴する墓と位牌を仏教の方式で維持するのが基本となる。
 仏教が近世の国家宗教的な地位を降ろされ、神仏分離等で打撃を受けても衰えなかったのは、こうして葬式仏教<(注225)>と言われる形でその存立基盤を再編したことによる。・・・

 (注225)「それまでの民衆の葬式は、一般に村社会が執り行うものであったが、檀家制度以降、僧侶による葬式が一般化した。
 また、檀家制度は、寺院に一定の信徒と収入を保証する一方で、他宗派の信徒への布教や新しい寺院の建立を禁止した。これらにより、各寺院は布教の必要を無くし、自らの檀家の葬儀や法事を営み、定期的に布施収入を得るばかりの、変化のない生活に安住する様になっていった。
 また明治維新時、大日本帝国政府の国家神道政策による神仏分離の推進と「肉食妻帯勝手たるべし」という布告により、それまでも浄土真宗以外の宗派では、現実的に破戒が常態であったのが、公然と妻帯が行われる様になっていった。このため戒律を順守する僧侶(比丘)ではなく、妻帯して僧職で生計を立てる(実質的に)者の子女が寺を継ぐという、世襲制度が他宗派でも一般化<するに至っ>ている。この事も<戒律・教義を重視する本来の仏教が、その>葬式仏教化<に>拍車をかけている一因と云える。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%AC%E5%BC%8F%E4%BB%8F%E6%95%99

 近代日本の精神構造は、このような形で、表側(顕・顕明)では、世界へ向けた近代的立憲国家として現われるが、それを支える下部構造は教育勅語の道徳である。

⇒戦後日本の文系学者がおしなべてそうであるように、弥生性(軍事/安全保障)音痴であるとお見受けする、末木、に申し上げても詮無いことですが、一言。
 安全保障上の理由で封建制を(それがかつて存在した)支那から古代の日本政府が継受したのと同様、今度は・・すなわち近代では・・、安全保障上の理由で欧米的近代国家制を欧米から日本政府が継受した、ということなのであって、その目的は、縄文文化を基調とする日本文明の存続を全うならしめるためだったのであるところ、この縄文文化の核心たる人間主義を祖述・宣明したのが古代にあっては十七条憲法であり、近代にあっては教育勅語だったのです。
 ついでに復習ですが、西欧のと支那のとを問わず、封建制なるものが軍事制度であったことと同様に、いや、それ以上かもしれませんが、近代的国家制なるものは(イギリス発祥の)軍事制度なのですからね。
 (蛇足ながら、末木のように「立憲」をつけてしまうと、肝心のイギリスの国家制が除かれてしまうので間違いです。)(コラム#省略)(太田)

 裏側(冥・幽冥)では、神道と仏教がそれぞれ皇室=国家と国民のそれぞれの家の祖先祭祀を担当することになり、この四肢構造によって、大伝統に代わる中伝統の基礎構造が形作られることになった。」(179)

⇒残った二肢についても、国民は江戸時代の祖先祭祀、というのは大げさであって葬式、の仏教式のやり方をそのまま維持したのに対し、皇室は、神仏分離制の下、葬式について、神仏のやり方のどちらかを選択しなければいけなくなったところ、皇室の祖先は天照大神であり、この神を神道によって祀ってきたことから、神道式のやり方(だけ)を採用した、ということでしょう。
 末木は、ただそれだけのことを、どうして、こんなに肩を怒らして語っているのでしょう。
 なお、日本は、古代から、一度たりとも「皇室=国家」であったことなどありませんからね。(コラム#省略)(太田)

(続く)