太田述正コラム#12442006.5.19

<米国的な日常の象徴二つ(その2)>

3 自家用車

 私は、スタンフォード大学に留学するまではペーパードライバーだったのですが、米国では、車が不可欠であるとのかねてから仕入れていた知識に基づき、到着から一週間ほど経った時に、大学構内の掲示板に貼りだしてあった、自分の中古車売ります、という米国人女子学生のメモを見つけて、すぐその車を買いました。

 比較的新しい黄色いフォード・ムスタング(8気筒・6000ccだったか)で、2400ドルでした。(二年後に帰国する時に、日本人の友人の学生に2000ドルで売ってきました。)

 こいつに初めて乗った時は、戦車みたいだなと思いました。その戦車が、アクセルを踏むと、スポーツカーのような音を響かせて飛び出すように走り出します。高速性能もすばらしく、アリゾナ州の誰もいない直線道路で105マイル出した時も、快適そのものでした。(当時の米国の最高速度は55マイル。)

 今振り返ってみると、独身学生である前のオーナーの女性にとっても私にとっても、これは不必要に大きく、不釣り合いに高性能の車でした。

 スタンフォード大学をつくったスタンフォード氏は19世紀の米国の鉄道王の一人であり、大学構内に鉄道の駅があるのですが、二年間の米国留学中には、サンフランシスコの路面電車を除いて、電車・列車のたぐいを利用したことはなく、移動や旅行(カナダ・メキシコ旅行を含む)にはもっぱらこのムスタングを使いました。

 スタンフォード大学は、大都会であるサンフランシスコ近郊にありますが、米国では、農村地帯の住民だけでなく、都市や都市近郊の住民にあっても、(大きくて高性能であるかどうかはともかく、)自家用車なしの生活は考えられません。

 米国では昔からそうだったに違いない。馬や馬車が車に変わっただけだろう、と思っている人はいませんか。

 とんでもありません。

 戦前の米国では、多くの都市で電車網が整備されていました。ですから、通勤に車を使うような人はほとんどいなかったのです。

当時は都市自体がこじんまりしていて、歩いて用が足せることが多かったし、繁華街(downtown)が都市の中心をなしていました。

ところが現在の米国の都市の中心部では繁華街がなくなってオフィスしかありませんし、都市・都市郊外空間がスプロール的に拡大し、その空間内を網の目のように高速道路が走っていて、車がなければ何もできなくなってしまったのです。

これに伴い、自家用車は生活必需品となり、差別化のため、ど派手な大型車を乗り回すのがステータスシンボルになりました。

現在、米国人は全体で一日10億回移動しますが、そのうちの1.9%しか大量公共交通機関は担っていません。総人口2億9000万人に対し車は2億2000万台もあり、米国の平均的な家庭は車で毎日10回移動しています。

一体どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。

その責任は大企業や行政にあります。

大企業について言えば、1936年から1950年にかけて、自動車メーカーのGMがタイヤメーカーのファイアストンやスタンダード石油と組んで、米国の45の都市の100の電鉄会社を買収して電車を廃止し、GM製のバスで置き換えたところ、多くのバス路線が赤字でつぶれ、市民が車を買わざるを得なくなったことがその代表例です。

行政について言えば、1940年代から1950年代にかけて、都市計画者達が公共交通機関から車へという政策を推進しました。彼らが目指したのは高速道路網で結ばれた広大な都市・都市郊外空間です。これをやった都市計画者として一番有名なのは、ニューヨーク市のモーゼス(Robert Moses1888??1981年)(注)です。

(以上、特に断っていない限りhttp://observer.guardian.co.uk/columnists/story/0,,1776877,00.html(5月19アクセス)による。)

 (注)モーゼスは、ドイツ系ユダヤ人の両親のもとに生まれ、エール大学とオックスフォード大学を卒業した後、ニューヨーク市のコロンビア大学でPh.Dを取得した。彼自身は生涯車の免許をとらなかった。(http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Moses。5月19日アクセス)

4 コメント

 以上見てきたように、芝生と自家用車が米国的な日常を象徴するようになったのは、どちらも戦後のことであり、水や殺虫剤を「過剰」消費する芝生と石油を「過剰」消費して炭酸ガスや有毒ガスを「過剰」排出する自家用車に対する戦後米国人のフェティシズムは、米国を資源浪費・環境汚染社会に作り替えてしまったことになります。

 しかし、水資源の枯渇や殺虫剤による水質汚染の危険、あるいは石油の枯渇や地球温暖化等が叫ばれているにもかかわらず、いまだに米国の為政者や一般国民の間から、自分達のこの歴史の浅いフェティシズムを見直そうという動きは出てきていません(http://www.msnbc.com/news/685645.asp?cp1=1#BODY

http://www.austinchronicle.com/issues/dispatch/2006-03-17/pols_naked4.html。どちらも5月19日アクセス)。

わずかに、石油価格の高騰にともない、燃費の悪い米国製の大型車から燃費の良い日本製等の小型車へのシフトが起こっただけとは心許ない限りです。

 

(完)