太田述正コラム#1263(2006.5.29)
<キッシンジャーの謎(その2)>
このAFP電の前段は、そのとおりであり、日中国交正常化に応じた中共の思惑もそのあたり・・日本の宗主国米国からの引き離し・・にあったことは、田中との会談の時に毛沢東が語ったとされる下掲から明らかです。
「田中先生、組むというなら徹底して組もうではありませんか。・・あなた方がこうして北京にやってきたので、どうなるのかと、世界中が戦々恐々として見ています。なかでも、ソ連とアメリカは気にしているでしょう。彼らはけっして安心はしていません。あなた方がここで何をもくろんでいるのかがわかっているからです。・・ソ連と比べると、アメリカはまだいくらかはましでしょう。しかし、田中先生が来たことを愉快には思ってない。・・ニクソンはこの二月、中国に来ましたが、国交の樹立までは出来ませんでした。田中先生は国交を正常化したいと言いました。つまりアメリカは後からきた日本に追い抜かれてしまったというわけです。ニクソンやキッシンジャーの胸にはどのみち気分の良くないものが有るのです。」(http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/papers/tanaka-mo-kaidan.htm。5月29日アクセス)
4 キッシンジャーの謎とその謎解き
(1)キッシンジャーの謎
しかし、3で紹介したAFP電の後段は、キッシンジャーがなにゆえ日本を蔑視するのかを説明していません。
また、そもそも、2で紹介したキッシンジャーの中共(や北ベトナム)への不必要なまでの媚びや、ノーベル平和賞を平然ともらい受けるという鉄面皮ぶりも謎です。
(2)謎解き
キッシンジャー(1923年??)は、ドイツ生まれのユダヤ人たる国際政治学者であり、いわゆる世俗的リアリズム(コラム#1233)の権化ということになっていますが、私は彼が、チェコスロバキア生まれのユダヤ系のオルブライト(コラム#1233)も真っ青になるくらいの移民の過剰適応の典型例ではないか、と思うのです。
戦前の米国の対外政策を思い出しましょう。
当時の米国は、できそこないのアングロサクソンたるホンネ丸出しの対外政策を行って恬として恥じるところがありませんでした。
すなわち米国は、アングロサクソンの本家たる英国に対する強い嫉妬心、欧州由来のイデオロギーであるファシズムや共産主義への寛容、有色人種に対する差別意識、といったホンネに基づき、ナチスドイツの脅威に直面した英国に支援の手を差し伸べるのを出し惜しみ、ソ連と手を組むことを躊躇せず、黄色人種の国であるにもかかわらず米国等に対抗しようとする「生意気な」日本に憎悪の炎を燃やし、逆にこの日本に「いじめられている」黄色人種の弱者の国である支那の国民党や共産党に同情を寄せ、支援したのです。(いずれ、機会を見て再論したい。)
戦後米国は、英国を意識的に蹴落として名実ともに世界唯一の覇権国にのし上がるや、爾来上記ホンネを深く胸中に隠して現在に至っていますが、キッシンジャーのような移民は、米国内で生き抜き、立身出世を図るために、往々にして米国社会に過剰適応しがちなものであり、上記ホンネに忠実すぎるくらい忠実な言動を顕在化させてしまう、と考えられるのです。
キッシンジャーの追求したところの、ソ連とのデタント(ウィキペディア前掲)・中共との和解・共産主義北ベトナムによる南ベトナム併合の黙認・日本蔑視、はこう考えれば論理的に首尾一貫していることになります。
なお日本が、戦後米国の保護国になったというのに、米国の経済力の相対的低下を背景に日本に再軍備を迫ったニクソン政権の意向(Nixon Doctrine)に対しては言を左右にして逃げ回り、その一方で、米国の中共との和解を見るや米国の対中政策の枠内と誤解して対中国交樹立に乗り出したこと対する怒りが、キッシンジャーの日本人評、より端的には田中首相評、の言葉をより過激なものにした面もあったことでしょう。
では、彼が厚顔無恥にもノーベル平和賞を受賞したココロは何か?
これも不思議でも何でもありません。あらゆる機会をとらえて立身出世を図るという、彼の移民としてのあくなき意欲の表れだと思います。
キッシンジャーがいかに米国社会に過剰適応しているかは、ニクソン政権で安全保障担当補佐官を勤め、引き続き同政権とフォード政権で国務長官を勤めて退官した(ウィキペディア前掲)後の彼の生き様が見事に物語っています。
キッシンジャーは、学者としての生活に完全復帰することなく、ロビイスト会社を設立して、金儲けに精を出す「余生」を送って現在に至っているのです(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/05/27/AR2006052700919_pf.html。5月29日アクセス)(注4)。
(注4)過剰適応は逆に敵意を生む。ブッシュ大統領が2001年に、9.11同時多発テロへの米国政府の対応の是非を検証する委員会の委員長に指名した時、ロビイスト活動とこの委員長職(無給)が抵触する懼れがあるとの非難で四面楚歌となり、指名辞退に追い込まれたことは記憶に新しい。
これは、カーター大統領の安全保障担当補佐官を勤めた、ポーランド生まれのブレジンスキー(Zbigniew Kazimierz Brzezinski。1928年??)が、学究生活に戻ったことと好対照です(ワシントンポスト上掲)。
ところで、キッシンジャーはかつてインドのインディラ・ガンジー首相を売女(bitch。女性なのでson ofはつかない)と呼んだことをすっぱ抜かれた時には謝罪をしている(ウィキペディア前掲)のですが、今回、田中首相に悪罵を投げかけたことが露見したことでキッシンジャーの首に鈴をつけて謝罪させる気骨ある政治家やジャーナリストは、保護国日本にはいそうもありませんね。
(完)