太田述正コラム#1289(2006.6.11)
<黒人差別と先の大戦(その1)>
1 始めに
現在93歳の米歴史学者のフランクリン(John H. Franklin。1915年??)が昨年12月に上梓した自伝‘Mirror to America. The Autobiography of John Hope Franklin. Farrar, Straus & Giroux, Dec. 2005’には、黒人差別社会である米国を生き抜いてきた一人の黒人知識人の力強い歩みが記されています。
まず、彼が受けてきた差別の数々を概観した上で、先の大戦時に黒人兵や彼が受けた差別に焦点をあてることによって、日本人の観点からの先の大戦史書き直し作業を志す読者への資としたいと思います。
(以下、http://www.amazon.com/gp/product/product-description/0374299447/ref=dp_proddesc_0/103-8296542-9286228?%5Fencoding=UTF8&n=283155、http://www.nytimes.com/2006/06/10/opinion/10sat4.html?pagewanted=print、http://en.wikipedia.org/wiki/John_Hope_Franklin、http://www.americanheritage.com/articles/web/20051123-jim-crow-john-hope-franklin-fisk-university-civil-rights-mirror-america.shtml、(いずれも6月11日アクセス)による。)
フランクリンは、黒人として初めてハーバード大学で歴史学のPh.Dを取得し、黒人として初めて白人向け大学でテニュア(tenure)付き教授に就任し、その後、シカゴ大学とデユーク大学の教授を歴任した人物であり、1947年に初めて上梓されてから何度も改訂されてきた、彼の主著の’From Slavery to Freedom. A History of African Americans‘は300万部以上売れたベストセラーです。
2 フランクリンが受けた差別
そのフランクリンは、数限りない差別に晒されてきました。
彼は、6歳の時に列車に乗っていて白人専用コンパートメントからつまみ出され、12歳の時に交通の輻輳する街で盲人の白人女性の誘導をしてあげようと思った時に気付いた相手に拒否され、16歳の時に切符売り場でカネをくずしてもらおうとして罵られ、19歳の時にはリンチしてやろうかと脅され、ハーバード大学の大学院生だった21歳の時にデートをしていて給仕を拒否され、40歳の時に「ハーバード出の黒んぼ(nigger)」と嘲られ、55歳の時にニューヨークの銀行に黒人であるが故に住宅ローンを組むのを拒否され、60歳の時にニューヨークのホテルで白人客からポーターと呼ばれ、80歳の時には、クリントン大統領から米市民に与えられる最高の名誉である自由勲章を授与された記念に彼が主宰した晩餐会が終わった直後に、彼が会員であったワシントンのクラブで白人の女性ゲストから番号札を渡されコートを求められたのです。
3 先の大戦時の黒人差別とフランクリン
先の大戦時には黒人は米軍でひどい差別を受けていました。
当時の米軍は、南部で行われていた黒人隔離制度を全面的に採用したのです。しかも、米軍は、黒人隔離を米軍内で行っただけではなく、米兵が稼業外生活を楽しむ街の中にまで普及させたのです。
黒人兵は兵舎も別、訓練も別でそれだけでも米軍の運用に足かせになっただけでなく、兵員数の確保が至上命題であったというのに、隔離兵舎の整備等が追いつかなかったため、徴兵されるべき黒人の多くは徴兵免除になりましたし、志願した黒人の多くは門前払いをくらったのです。
兵士になった黒人には過酷な運命が待ち受けていました。
白人の士官からは虐待され、駐屯先の街では嫌がらせを受けたのです。ドイツ兵捕虜の方がずっとマシな取り扱いを受けたものです。
やがて、米軍内の各所で黒人兵による暴動が起きたのは当然のことでした。
(続く)