太田述正コラム#11816(2021.2.2)
<呉座勇一『応仁の乱–戦国時代を生んだ大乱』を読む(その2)>(2021.4.27公開)

 「初めて院政を行った白河院の時代(1073~1129)から、藤原氏の嫡流である摂関家の子息が興福寺に入寺するようになる。
 その最初の例が、藤原師実(もろざね)(道長の孫)の息子、覚信<(注2)>である。

 (注2)1065~1121年。「1116年・・・大僧正に任ぜられた。南都(奈良)の僧が大僧正となるのは行基以来であった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%9A%E4%BF%A1

 かれは・・・1074<年>に10歳(数え年、以下同じ)で出家し、興福寺別当(興福寺のトップ。「寺務」ともいう)だった頼信(らいしん)の弟子となる。
 そして・・・1100<年>に興福寺別当に就任する。
 以後、摂関家の子弟が興福寺別当になる流れが確立する。
 このように摂関家が興福寺との関係を強化していったのは、院政の定着による摂関の政治的権威の低下に危機感を抱いていたからである。
 実際、この時期から、従来は藤原氏の氏長者(藤氏長者(とうしのちょうじゃ))が行っていた興福寺人事に院=治天が介入するようになり、これに反発する興福寺の嗷訴(強訴)が頻発した・・・。
 こうした院と摂関家・興福寺の対立姿勢の中で、興福寺の軍事力は強化された。

⇒私の見方は全く異なります。
 聖徳太子コンセンサス/桓武天皇構想が成就する直前の、院政時代に、予定通り、権力が摂関家の手から離れ、永久にその手に戻ることはなくなる一方で、摂関家を筆頭とする公家が恒久的に権威の担い手であり続けるところの、天皇家、を支え続けるためには、倦んだり気力が弛緩したりしてはならないわけであって、そのために、摂関家等は、有職故実や和歌等の諸芸の伝承者たることを目指したのであり、たまたま、仏教に関しては、出家しなければ芸を極めることができないことから、朝廷外で、つまりは、諸寺において、とりわけ、摂関家にあっては、興福寺、における職を確保する必要に迫られた、というのが私の見方です。
 そして、興福寺人事に院=治天が介入するようになったのは、むしろ、摂関家からの要請で、以上のような事情から、興福寺の諸職を、国の諸職に準じる「重要な」ものへと格上げすることに協力した、と。
 更に言えば、僧兵=大衆、の出現は、興福寺に限らず、大荘園保有社寺全般にあっても、聖徳太子コンセンサス/桓武天皇構想の下で、地方分権化/封建社会化、が推進された結果、日本全国の治安が乱れ、荘園関係者達が、自力救済を迫られた結果として、武装化したことの一環である、とも。(太田)

 俗に言う「僧兵」、当時の言葉に直すと「大衆(だいしゅ)」の台頭である。
 白河院政に続く鳥羽院政期には大和源氏<(注3)>、つまり武士出身の僧侶である真実<(注4)>(しんじつ)が興福寺において権勢をふるい、「日本一の悪僧武勇」と称された。」(5~6)

 (注3)「頼親は大和国の国司となり同国に勢力を拡大、その過程で興福寺などの南都(奈良の寺院)勢力と武力衝突を起こして流罪となった。しかしその子孫は大和一円に広がり、引き続き南都勢力との抗争を繰り返しながら土着傾向を強めていった。中には頼親から五代後の僧信実のように、宿敵であるはずの興福寺の上座となって南都勢力と同化し、同族の大和源氏と抗争する者までも出現した。
 信実の好敵手であった源親治(宇野親治、同じく頼親から五代後)は、・・・1156年・・・の保元の乱において崇徳上皇方についたため捕虜となるが、南都勢力の伸張を牽制したい後白河天皇の深謀遠慮により、罪を赦されて帰郷を果たしている。降って・・・1180年・・・に源頼政が以仁王と語らって挙兵した際には、決起を促す諸国の源氏の一群の中に親治とその子達の名前が見え、なおも国内に一勢力を保っていたことが窺える。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%BA%90%E6%B0%8F
 (注4)「興福寺の権寺主、寺主、上座を歴任し、別当の覚晴の死後は寺務を掌握する。「日本一悪僧武勇」と称され、大和国内にて同族の源親治と抗争した他、・・・1145年・・・には興福寺の大衆を率いて金峯山を襲撃するなど、武装化傾向を強める興福寺の中にあって中心的な役割を果たした。
 藤原忠実、頼長父子との関係が深く、・・・保元の乱においては崇徳上皇方に加勢する。上皇方が敗北した後は、南都に逃れてきた忠実を尋範・千覚らとともに守護し、朝廷から挙兵の疑いをかけられたという。このため、乱の直後は所領を没収されたが、・・・1158年・・・には法橋に任ぜられており、依然として朝廷から一目置かれる存在であったことが窺える。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E5%AE%9F

(続く)