太田述正コラム#13032006.6.18

<アングロサクソンによる20世紀以降の原住民虐待(その2)>

(本篇は、コラム#1293の続きです。)

3 米国における住民虐待弁護論とその批判

 (1)始めに

 住民虐待、就中住民虐殺が起こった時、下手人達に対し、米国ではいかなる弁護論が出るのでしょうか。

 ハディサ事件(コラム#1293)に関し、情状酌量論と違法性否定論が出ています。

 アイルランド独立運動に対し、政府の暗黙の同意の下で平然と住民虐殺を行うイギリス人は、米国人のこんな法的弁護論とも言うべき弁護論は一笑に付すのではないでしょうか。いやいや、米国人だってホンネでは政治的弁護論とも言うべき弁護論を展開したいところなのでしょう。イスラエル軍がガザで誤射により住民虐殺を行ったとされる事件(ガザ誤射()事件。後述)を米国人が弁護した論説からそのことが分かります。

 以下、順次ご説明しましょう。

 (2)情状酌量論

 これは、ハディサ事件の下手人が故意犯であるとすれば、その違法性は認めつつも情状酌量を求めるものです。

 つまり、通常の倫理感覚を持っている人間でも、権威ある命令には従いがちであり(注2)、仲間集団への同調性があるため、相手が人間以下だと思うと残虐な行為を行いがちである、ということを勘案すべきだというのです。

 (注21961年にエール大学の心理学者のミルグラム(Stanley Milgram)が行った有名な実験がある。彼が被験者達に対し、物理的懲罰が学習に及ぼす効果を計測すると説明し、対象たる人々(実際にはミルグラムの助手達)に対し、(実際には助手達は電気ショックが加えられたように演技するだけなのだが)電気ショックを加えるように依頼したところ、大部分の被験者達は、助手達が悲鳴を上げ、止めてくれと懇願してもおかまいなしにどんどん電気ショックを強めて行った。

 すなわち、ハディサ事件については、米海兵隊員達には、上司達からは不穏分子を捕縛するか殺すように猛烈な圧力がかけられ、仲間集団からは、決して弱みを見せず、亡くなった仲間の復讐をしようという圧力が加えられ、イラク人は見てくれが違うし異なった言葉をしゃべるし違った世界に住んでいることから当然のように人間以下に見えてしまう、というわけで、残虐行為が行われるための要件が全て充たされていたと考えられる、というのです。

 かてて加えて、イラクにおいては、敵の素性や場所が分からず、米軍兵士達に若者が多い、という悪条件が重なっていたのだから、残虐行為はいつ起こっても不思議でない状況だった、というのです。

 このような議論をつきつめると、部下達に誰それを捕縛するか殺すように猛烈な圧力をかけるのであれば、イラクの紛争地域のように(米国の牢獄並に(?!))危険な環境においては、適切な行動基準等について、上司達が明確、かつ一貫したメッセージを執拗に発し続けていない限り、上司達も部下達が犯した残虐行為について一半の責任を免れない、ということにもなります。

(以上、ロサンゼルスタイムス掲載の評論家論説http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-brooks9jun09,0,5099651,print.column?coll=la-news-comment-opinions(6月10日アクセス)による。)

 (3)違法性否定論

ハディサ事件の下手人達の弁護士達は、そもそも海兵隊員達が行った行為は交戦規則に完全に合致しており、全く違法性がない、という違法性否定論を主張しています。

すなわち、海兵隊員達は、路傍の爆弾を爆発させた犯人が家の中に逃げ込んだのを見て追いかけたところ、犯人側から射撃されたので、家に向かって射撃をした上で中に踏み込んで射撃を続け、更に犯人の一人らしき者が裏から別の家に逃げ込んだように思われたので、その家についてもおなじことをしただけだ、というのです。

 住民達の射殺体の写真から、至近距離から処刑スタイルで撃たれている、とされていることについても、死体の解剖をしない限り本当のところは分からないはずだが、住民側は、解剖を拒んでいる、というのです。

(以上、ロサンゼルスタイムス掲載の記者論説http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-marines12jun12,0,1437628,print.story?coll=la-home-world(6月13日アクセス)による。)

 (4)政治的弁護論

 ガザ誤射(?)事件(後述)で誤射したとされているイスラエル軍側を弁護するワシントンポスト評論家論説(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/06/15/AR2006061501794_pf.html。6月16日アクセス)は、典型的な政治的弁護論を展開しています。

(続く)