太田述正コラム#1364(2006.8.3)
<イスラムにスピノザなし>(有料→2007.1.25公開)

1 始めに

 アインシュタイン(Albert Einstein)は、彼の世界観に最も影響を与えたのはスピノザ(Baruch Spinoza。1632??77年)の汎神論であると言ったことがあります。
 今回は、日本人のわれわれが忘れがちなスピノザを取り上げたいと思います。
 
2 スピノザの破門と「余生」

 スピノザは、ユダヤ人出身の最も偉大な哲学者であるとともに最初の近代人たるユダヤ人であって、彼の考えはユダヤ教最大の異端である、とされています。
 スピノザは、異端審問で悪名高いスペインがユダヤ人を追放したため、ポルトガルに逃れたものの、そこでも迫害されてカトリックに強制的に改宗させられたユダヤ人・・マラノ(Marrano)と呼ばれた・・を両親としています。
 彼の両親は、ポルトガルで投獄された後、オランダのアムステルダムに逃亡し、ユダヤ教徒に戻っていたのですが、アムステルダムで生まれたスピノザは、父親を悲しませないようにその死去まで待った上で、ユダヤ教やキリスト教・・オランダでは当時カルヴィニズムが盛んだった・・に疑問を呈し、神は自然や宇宙のメカニズムそのものであって人格を有してはおらず、また、聖書は神がいかなるものかを教えるための比喩ないし寓話に他ならないと主張するとともに、ユダヤ人が神の選民であることにも疑問を投げかけました。
 その結果、1656年、23歳の時にスピノザはアムステルダムのユダヤ人社会から破門されます。(破門を契機にBaruch からBenedictへと改名。)
 破門直後には、スピノザは、命をねらわれ、短刀で顔に傷を付けられるという深刻な経験をします。
 この破門はついに解かれることがありませんでしたが、スピノザは(自分の両親を迫害した)キリスト教の信徒にもならず、いかなる宗教の信者でもないまま一オランダ人としてその生涯を終えます。
 スピノザの考え方や生き様は、ユダヤ人だけでなく、キリスト教徒にとっても「危険」なものであっただけに、スピノザは、主著の「倫理学」を含め、著作を生前にはほとんど出版することなく、かつ独身のまま、ドイツの大学教授就任の誘いも断り、レンズ磨きとしての収入でつましい生活を送るのです。

3 スピノザの考え方とその影響

 スピノザの考え方は、人間は誰しも理性を与えられており、この理性を行使することは各人の権利であると同時に責任でもあり、教会や国家といった外部の権威にその行使を委ねることは、不合理で非倫理的であるというものです。
 すなわちスピノザは、宗教はドグマを押しつけることによって個々人の理性の行使を妨げるから、政治は宗教の影響を排しなければならない、と主張します。
 同様スピノザは、君主制や貴族制は、特定の個人や特定の階級の考えを押しつけることによって個々人の理性の行使を妨げる、と指摘します。
 ここからスピノザは、宗教と分離された民主制こそ、最高の統治形態であると結論づけるのです。
 スピノザの限界は、彼がほぼ同世代人であるイギリスの哲学者ホッブス(Hobbes)の影響を受けつつも、結局のところ、もう一人のほぼ同世代人であるフランスの哲学者デカルト(Descartes)の申し子であって、徹頭徹尾欧州的な演繹的・合理論的な哲学者であったことです。
 しかしスピノザが、アングロサクソンの帰納的・経験論的な方法論をついに身につけなかったにもかかわらず、アングロサクソン的価値観にかなり接近したことは高く評価すべきでしょう。
 スピノザが亡くなった直後にアムステルダムで何年間か過ごしたイギリスの哲学者ロック(John Locke)は、スピノザの唱えた民主主義論や政教分離論に共鳴し、このスピノザとロックの考え方が米独立革命の父達に強い影響を与えた結果、米国は、宗主国イギリスの国教制を排し、かつ宗主国イギリスに比べて自由主義より民主主義にウェートを置いた統治形態を採択することになるのです。

4 イスラムにスピノザなし

 ユダヤ教の世界で3世紀半も前に出現したスピノザに相当するところの、理性を尊重し、政教分離の民主主義を唱えるイスラム教徒出身の世俗的哲学者はまだ出現していませんし、出現する兆しもありません。
 それもそのはずであり、スピノザは暗殺未遂で済んだけれど、イスラム教を棄教した上に、政教分離の民主主義を唱えたりすれば、そんな人物は間違いなく、殺害されてしまうからです。
 だからこそイスラム世界では、今次レバント紛争だけを見ても、スンニ派原理主義のハマスやシーア派原理主義のヒズボラ、そしてその背後に見え隠れしているシーア派原理主義のイラン、という時代錯誤的な存在がのさばり、害悪を垂れ流し続けているわけです。
 当面、イスラム世界の世俗化の実現はあきらめるほかない、ということであれば、彼らの流す害悪を抑制・除去する手段はむきだしの力しかない、ということになりそうですね。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/05/18/AR2006051801125_pf.html
(5月21日アクセス)、
http://www.nytimes.com/2006/07/29/opinion/29goldstein.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
(7月30日アクセス)、及び
http://www.bookclubs.ca/catalog/display.pperl?isbn=9780805242096&view=excerpt
http://www.forward.com/articles/8018
http://www.nytimes.com/2006/06/18/books/review/18bloom.html?ei=5090&en=69d53032b750804e&ex=1308283200&partner=rssuserland&emc=rss&pagewanted=print
http://en.wikipedia.org/wiki/Baruch_Spinoza
(以上、8月3日アクセス)に私見を加えた。)