太田述正コラム#1367(2006.8.6)
<第二回オフ会の報告(続)>
1 始めに
朝、昨日の2次会を共にした方から電話があり、携帯電話等が入っているバッグが見当たらない、というのです。あるとしたら、恐らく昨日2次会をやった居酒屋だろう、ということになりました。
昨日泥酔された方といい、くれぐれも飲み過ぎないように注意しましょう。
次回以降のオフ会では、2次会まで、アルコール飲料はお預けにした方がよいかもしれません。
なお、昨日14時39分(オフ会の始まりの定刻から39分後)に下掲のメールが届いていることに昨夜気がつきました。
太田樣、
過日、お電話させていただいたジャーナリストのxxxxです。その折、今日の会合(オフ会)のことをうかがい、出向かせていただこうと思っていたのですが、緊急な用事が生まれかないません。
まことに勝手な申し出で恐縮ですが、また機会のあるとき、お会いさせてくだされば幸甚に存じます。
たびたびのお騒がせで申し訳ございません。
よろしくお願い申し上げます。
敬具
これに対し、今朝、下掲のような返事を出しておきました。
メール拝読。
あえて憎まれっ子になる覚悟で申し上げておきます。
前回の本年1月の一回目のオフ会の時は、出席予定の某大新聞の記者の方が、突然入った仕事でこられなくなったとやはりオフ会が始まってから、お断りのメールを送ってこられました。
彼の場合は、特段、取材の申し込みを私にされていたわけではなく、しかも、勤務先の事情で取材に行かざるを得なくなったということだと理解しています。
しかし、貴殿の場合、10日ほど前に私に対して取材の申し込みがあり、私がオフ会の場でお答えすると申し上げて、オフ会出席をお誘いした経緯があり、かつ貴殿は「フリー」ジャーナリストであって、誰かの指示を受けて予定を変更せざるをえないお立場ではないはずです。
ですから、同じ時間に他の仕事をお入れになったこと自体がいかがなものかと思いますし、少なくともオフ会が始まる前に電話で私にご連絡あってしかるべきでした。
実際、私は貴殿のために、取材ご希望の二件について、事前に時間をかけて整理し準備し、オフ会の冒頭でお話をする予定にしておりました。それが終わったら、お帰りいただいてもよいと考えておりました。
ところが、なかなか貴殿がおいでにならない。
(しかも、その間、メールをチェックしていたわけではない)ため、一時間以上、出席者の雑談で時間つぶしをし、ためにオフ会の進行予定がすっかり狂ってしまいました。
よって、遺憾ながら、二度と貴殿の取材をお受けすることはないでしょう。
2 私の話したこと(続き)
「ベトナムでのひどい経験に懲りたはずなのに、どうしてイラクで再びあのていたらくなのか」という2次会での質問に対しては、更に、「ベトナムは米国がいわば勝手に手を出しただけだが、イラクを攻撃したのは、何と言っても2001年の9.11同時多発テロの衝撃が大きい。米国の本国の、しかも政経中枢が攻撃されたのは、米国にとってはほとんど経験したことのない大事件なのだ。アルカーイダ系テロリストが、核兵器を手にして再び米国の政経中枢に攻撃をしかけてきたら大変なことになる、という恐怖感にかられてアフガニスタンへ、イラクへと先制攻撃的に出て行ったわけだ」とも指摘しました。
また、その場で、「どうして米国民は、イスラエルをめぐる今次紛争において、圧倒的にイスラエル支持なのか」、という質問が出たので、「米国のマスコミでユダヤ系の影響力が大きいこともあって、マスコミがイスラエル寄りの論調を展開していること、また、米国民の間でキリスト教原理主義勢力の力が増しつつあり、米国の昨今のキリスト教原理主義勢力は、ユダヤ人国家の存続を、メシア降臨の前提条件と考えているため、イスラエルの存続を否定するヒズボラやハマス、更にはイランといったイスラム教原理主義勢力に対して敵意を抱いていること、も挙げられる。しかし、英国政府もイスラエル寄りの姿勢であることに注目すべきだ。面白いことに、英国のマスコミや世論はどちらかと言うと反イスラエルだ。しかし、重要なのは、政府のスタンスだろう。とにかく、アングロサクソン諸国の政府はすべてイスラエル寄りのスタンスであり、アングロサクソンの文明的基準に照らせば、今次紛争では、イスラエルが正しく、ヒズボラ等は間違っているわけだ。私は、皆さんにもそう割り切って考えていただきたいと思っている。日本人には喧嘩両成敗的発想があって、どっちもどっちだと考えがちだが、本件に関しては、イスラエル側が100%正しく、ヒズボラ側が100%間違っていると考えていただきたいのだ。だからといって、日本政府が全面的にイスラエル支持を打ち出すべきだ、とは思わない。石油の供給を安定的に確保することは日本にとって重要な国益であり、産油国の多いアラブ・イスラム側に政府がリップサービスをするのは当然のことだ。ただし、そのことと、ことの善悪とを混同してはならない。」と答えました。