太田述正コラム#1371(2006.8.10)
<現在進行形の中東紛争の深刻さ(その1)>

 (事務所では昨日ガスを開栓し、料理ができるようになりました。ところが、ベランダに設置されている給湯器がこわれていて修理不可能であることが判明し、まだ事務所ではシャワーを浴びられない状況です。また、事務所の電話は、通常携帯に転送しているため、事務所でのFA受信ができない状況を是正するため、電話番号をもう一つもらって、FAX専用とする方向で検討中です。他方、8日の1200にメーカーに修理に出したEpsonのパソコンは、今朝(10日)0900過ぎには早くも自宅に戻ってきました。私が訴えた不具合状況が再現できなかったというのに、マザーボードとモデムカードを取り替えた上で迅速に送り返してくれました。(9月で3年間の保証期間が切れるのですが、まだ期限前なので修理費はタダ)。Epsonのサービスは素晴らしいですね。いずれにせよ、当分は自宅と事務所を行ったり来たりで大変です。)

1 始めに

 まだ誰もレパント紛争(コラム#1356、1364)と呼ぼうとはしないので、「現在進行形の中東紛争」としましたが、この紛争については、「どんなに重視しても重視しすぎることはない」と(コラム#1369で)申し上げた理由をご説明しましょう。これまでの話と若干の重複が生じるのはご容赦下さい。

2 紛争の始まりと現状

 (1)紛争の始まり
 2000年5月にイスラエルが南レバノンから撤退して以来、イスラエルとレバノンの間では小競り合いがひっきりなしに続いてきました。
 イスラエル空軍は我が物顔でレバノン領空内を飛び回り続けましたし、2000年10月にはイスラエル軍は国境越しにレバノン領内のデモ隊を射撃し、3名を殺害し、20名を負傷させました。
 他方、ヒズボラはロケットや迫撃砲をイスラエル軍めがけて撃ちかけ、これに対してイスラエル軍が砲撃したり、時には空爆したりして反撃することも繰り返し起こり、双方から若干名の死傷者が出ています。
 今年5月26日には、レバノンの首都ベイルートでパレスティナ過激派の一つのイスラム聖戦機構の幹部2名が車に仕掛けられた爆弾で死亡しましたが、これはイスラエルの諜報機関モサドの仕業だと信じられています。これに対し、ヒズボラはロケット8発をイスラエル領内に打ち込みました。その後、国境線をはさんで銃弾が飛び交い、ヒズボラの1名が死亡しています。
 こうして、今次紛争の始まった7月12日がやってくるのです。
 ヒズボラがこの日の朝9時にイスラエル領内に侵入し、イスラエル兵士3名を殺害し、2名を拉致し、しかも同じ日の同じ時刻にヒズボラは(イスラエル軍の注意をそらすために)イスラエル領内にロケットを打ち込んだのです。
 このヒズボラの行為は、イスラエルの南レバノン撤退以降の、一方による他の一方に対する最も大きな攻撃であったと言えるでしょう。ねらいは、イスラエル兵士を拉致し、イスラエルが南レバノン占領中に逮捕・収容したレバノン人ら15名と交換することでした。
 ところが、ヒズボラの予期に反してイスラエルが大反撃に出たことはご承知のとおりです。
 実はイスラエルは、かねてからヒズボラを壊滅させる機会をうかがっていたのです。
 2004年からイスラエルは、ヒズボラを、空爆から始まって地上部隊の進撃へと3週間で壊滅させる作戦の立案を開始し、何度も机上演習やシミュレーションを繰り返し、昨年には米国政府にも、いずれこの作戦を発動する旨を伝えていたのです。米国政府は、この作戦の発動に暗黙の了解を与えていた、ということになります。
 イスラエルは、建国以来、最も周到に準備した戦争を遂行したのです。
(以上、
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,1839280,00.html
(8月8日アクセス)による。)

 (2)現状
 ところが、イスラエルや米国の予期に反し、ヒズボラは3週間では壊滅しませんでした。
 それどころか、紛争が始まってから一ヶ月になろうとする現在、イスラエル空軍が連日爆撃を敢行しているというのに、ヒズボラが毎日イスラエル領内に打ち込むロケットの数は100発以上で全く減っていませんし、レバノン領内に進撃したイスラエル陸軍も苦戦を強いられています(注1)。

 (注1)8月9日までの死者は、レバノン側はヒズボラが98名(イスラエル軍は400名と主張)、一般住民1,005名、イスラエル側は、兵士63名、一般住民35名に達している
http://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,,1841096,00.html
。8月10日アクセス)。

 8月9日には、対ヒズボラ地上戦の司令官が差し替えられる、ということまで起こりました(注2)。正しくは、これまでの司令官(陸軍少将)の上に更に総司令官(陸軍少将。ただし先任者)を据えたのです。

 (注2)こんなことは、エジプト軍の奇襲を受けて、イスラエル軍が敗北の危機に陥った1973年の第四次中東戦争の時以来だ。

 前者の将軍は戦車畑出身であるのに対し、後者の将軍は歩兵畑出身で、しかも、前回の南レバノン進撃・占領時代に南レバノンでの戦闘経験があります。これは、戦車といったハイテク兵器が(ヒズボラが強力な対戦車火器を持っていることもあって)ヒズボラ相手の対ゲリラ戦闘では余り役に立たなかったという反省等に基づく、と評されています。
 (以上、特に断っていない限り
http://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,,1841102,00.html
(8月10日アクセス)による。)

(続く)