太田述正コラム#1374(2006.8.13)
<自由民主主義の成立(その1)>(有料→2007.1.26公開)

1 始めに

 私が、アングロサクソン文明は、欧州文明は日本文明のように、古代・中世・近代・現代といった具合に変化・発展して行く文明でもなければ、支那やインド亜大陸の文明のように、帝国が生まれては亡ぶ循環型の文明でもないところの、不変の文明である、と考えていることは何度かお話ししたと思います。
 アングロサクソン文明は、個人主義=資本主義=自由主義、という属性を持つユニークな文明であって、この属性が歴史を通じて変わらない、という点で不変の文明なのです。
 しかし、アングロサクソン文明が大きく変化した点が一つあります。
 それは、19世紀から20世紀にかけての普通選挙運動の結果として、20世紀(1928年。コラム#373)において英国で普通選挙が実現したことに伴う変化です。
 つまり、アングロサクソン文明は、反民主主義的な自由主義文明(コラム#48、91等)から自由民主主義文明へと変化したのです。
 米国では独立時に既に自由民主主義が確立していたのではないか、と思われるかもしれませんが、独立当時の米国は、女性や黒人奴隷に選挙権が与えられていなかった上、奴隷以外の男性の選挙権も制限されていたことから、自由民主主義が確立していたとは言えません(コラム#373)。
 同じ頃の英国は、男性の選挙権が米国以上に制限されていたのです。
 その英国において、多数の先駆者が血で購うことによって、米国(普通選挙実現は1956年。コラム#373))に先んじて自由民主主義が確立した結果、人類は、考え得る最高の政治形態を手にしたのです。
 今回は、これら先駆者達への感謝の意を込めつつ、英国における自由民主主義成立の歩みを振り返ってみることにしましょう。
(以下、特に断っていない限り
http://www.guardian.co.uk/britain/article/0,,1827491,00.html
(7月24日アクセス)による。)

2 英国における普通選挙実現の歴史

 (1)前史
 ジョン・ボール(John Ball。1381年刑死)を首謀者とする14世紀後半(1381年)の農民暴動(Peasants’ Revolt)で平等主義が掲げられたこと
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Ball_(priest)
(8月13日アクセス)も参照した)、17世紀前半のピューリタン革命の過程で、専制的なチャールス1世率いる国王軍(Cavalier)と議会軍(Roundhead)が戦い、国王軍が敗北し、最終的にチャールスが首をはねられ、更にレベラーズ(Levellers)という政党が男子普通選挙の実現を追求したこと(コラム#373)が、英国における普通選挙運動の前史です。

 (2)ピータールーの虐殺
 1819年の8月16日、6万人から8万人の群衆が工業都市マンチェスターのセント・ピーターズ広場(St Peter’s Fields)で集会を開き、男子普通選挙実現と穀物法(corn laws。穀物価格カルテル)廃止等を要求しました。大土地所有者たる貴族による政治的経済的権力独占への挑戦でした。
 当局は、民兵(yeomanry)(騎兵)を投入してこの集会の解散と首謀者の逮捕を図りましたが、うまくいかず、更に軍隊(騎兵)を投入したところ、サーベル傷と馬に踏みつけられることによって集会参加者11名が死亡し、400名以上が負傷しました。この中には、女性や子供も多数含まれていました。
 この事件は、1815年のワーテルロー(Waterloo)の戦いになぞらえて、ピータールーの虐殺(Peterloo massacre)と呼ばれるようになり、この事件への怒りがチャーチスト運動(後述)誕生の伏線となります。
 (以上、http://en.wikipedia.org/wiki/Peterloo_Massacre(8月13日アクセス)も参照した。)

 (3)チャーチスト蜂起(Chartist rising)
 1832年に改革法(Reform Act)が制定されるのですが、男性選挙権が中産階級まで拡大されたものの、労働者階級までには及ばなかったことから、1836年にロンドン勤労男性協会(London Working Men’s Association)が設立され、彼らは1838年に人民憲章(People’s Charter)を起草し、男子普通選挙実現等を要求します。
 この運動の支持者はチャーチストと呼ばれるようになるのです。
翌1839年の11月3、4日の両日にわたり、鉱山労働者を中心とする5,000??8,000人のチャーチストが、リーダー達の逮捕に抗議してウェールズ地方のニューポート(Newport)へ向けてデモ行進を行い、男子普通選挙実現と議会改革を唱えました。
これに対し、当局は兵士に命じてデモ隊に銃火を浴びせた結果、約22名が死亡し、約50名が負傷するのです。
 (以上、http://www.gtj.org.uk/en/item10/24492(8月13日アクセス)も参照した。なお、コラム#373も参照されたい。)

(続く)