太田述正コラム#1381(2006.8.19)
<「自然状態」のイラク>
1 始めに
レバント紛争が歴史的な大事件であるとすれば、イラクの現状は、有史以前の人間の姿、換言すれば人間の本性をわれわれにつきつけている深刻なものではないでしょうか。
本格的な分析は他日を期し、本日は問題提起にとどめます。
2 ホッブス的世界となったイラク
ホッブスは、人間は互いに相争う自然状態から、絶対権力者を選ぶことで、初めて脱することができた、と説きました(典拠省略)。
実際、狩猟採集経済下の人間はおおむね恒常的に戦争状態にあったらしいことを、以前(コラム#1336で)ウェード(Nicholas Wade)の本を引用しながらご説明したことがあります。
この説の正しさは、現在イラクで行われている壮大な「実験」で裏付けられたのではないでしょうか。
2003年の対イラク戦争でサダム・フセインという絶対権力者が米国の主導する多国籍軍によって取り除かれた後、米国の愚かな戦後統治によって、その空白が埋められなかった(注1)結果、イラクはホッブスの言う「自然状態」へと退行してしまった観があるからです。
(注1)米軍は戦後「統治」のためには一貫して兵力不足であり、また、現時点でなお、イラク政府はシーア派三派(後述)とクルド人の寄せ集めに過ぎず弱体であり、イラク治安部隊の練度も志気も低い。
イラクでは、レバント紛争の北方戦域での約一ヶ月間の死者の三倍(3,000人)もの数の死者が一ヶ月間に発生しており、しかも死者の数はじりじりと増えてきています。また、レバント紛争においてもそうでしたが、死者の大部分は一般住民です。
イラクの場合、直接的な原因は第一に党派間の争い、第二に米軍等とイラク不穏分子の間の戦いであり、それに治安の悪化に伴うありとあらゆる犯罪の横行が状況を更に悪化させています。
更に困ったことには、これまでは党派間の争いはバグダッド地区に集中しており、米軍等とイラク不穏分子の間の戦いもスンニ三角地帯に集中していたところ、党派間の争いがクルド地区を除くイラク全土、とりわけ南部のシーア派地区に拡散しつつあります。
バグダッド地区の党派間の争いこそ、もっぱらシーア派とスンニ派の間であり、相互の「民族浄化」の結果、シーア派とスンニ派の混住地帯は急速に減少しつつあるところ、シーア派地区での争いは、シーア派の各派の間のものです。
もともとシーア派内の分派としては、ダワ(Dawa)、イラクイスラム革命最高評議会(Supreme Council for Islamic Revolution in Iraq)の二大政党とサドル(Sadr)派があり、いずれも親イランである点は共通であるものの、二大政党は米軍駐留賛成、サドル派は米軍駐留反対であり(注2)、それぞれが民兵を擁してきました。
(注2)しかし、レバント紛争が始まってから、二大政党は反米的スタンスを取り始めている。シスタニ師(後述)も同様だ。
最近では、この三派のほかに、シーア派ながら、反イランでかつイラクのシーア派で最も信望の厚いシスタニ師(Grand Ayatollah Ali Sistani)を公然と批判するハッサニ(Mahmoud Hassani)派という分派並びにその民兵が台頭し、争いの状況は一層複雑かつ混迷の度を加えています。もとより、民兵を抱えるシーア派の党派は、これら以外にもあります。
(以上、
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-menon9aug09,0,3347205,print.story?coll=la-opinion-rightrail
(8月9日アクセス)、
http://www.nytimes.com/2006/08/16/opinion/16Wed1.html?pagewanted=print
(8月17日アクセス)、及び
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-cleric18aug18,1,890308,print.story?coll=la-headlines-world、
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,1853720,00.html
(どちらも8月19日アクセス)による。)
3 感想
このイラクに比べれば、現在のレバント情勢など、天国のように思えてきますね。