太田述正コラム#1388(2006.8.26)
<アジアの近代化を阻害する巨悪>(有料→2007.2.11公開)
1 プロローグ
北インド出身のミシュラ(Pankaj Mishra。1969年??)は、現在インドとロンドンに住んで、英国と米国で小説家・評論家として活躍している人物であり(http://www.nybooks.com/authors/196。8月26日アクセス)、
このたび、広義のインド亜大陸(インド・パキスタン・ネパール・アフガニスタン等)の近代化の苦悩を描いたTEMPTATIONS OF THE WEST: How to be Modern in India, Pakistan and Beyond, Picador を上梓しました。
この本、というよりこの本に対する下掲の英ガーディアンと英サンデー・タイムス紙の書評を通じ、英国人がアジアの現状をどう見ているかを浮き彫りにしてみましょう。
http://books.guardian.co.uk/reviews/politicsphilosophyandsociety/0,,1793853,00.html
(6月11日アクセス)
http://books.guardian.co.uk/reviews/politicsphilosophyandsociety/0,,1805177,00.html、
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,23118-2285188,00.html、(以上、8月26日アクセス)
ただし、「2 カール・マルクスの予言」だけは、ミシュラ自身によるこの本の紹介
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2006/06/14/2003313535
(GUARDIAN2006.6.14からの転載。8月26日アクセス)
によりました。
なお、部分的に私の言葉に置き換えています。
2 カール・マルクスの予言
19世紀中頃にカール・マルクス(Karl Marx)は、私的所有権の欠如と硬直した中央集権体制によって特徴づけられるアジア的生産様式が、変化と近代化を妨げるものの、腐敗し暴力的な西側の植民者達が意図せざる歴史の道具となってインドや支那の近代化をもたらすだろうと予言した。
エドワード・サイード(Edward Said)は、このようなマルクスの見方は、オリエンタリズムの典型であって、欧米的な進歩の観念を絶対視するものだと批判した。
しかし、米国のコラムニストのトーマス・フリードマン(Thomas Friedman)が指摘したように、グローバリズムの進展による資本主義ないし自由民主主義の普及のおかげで、インドや支那が近代の恵沢を全面的に享受できるようになるのもそう遠くないように見える。
しかし、果たしてそうだろうか。
3 英帝国主義という小悪
インド亜大陸を例にとろう。
2世期間におよぶ英帝国主義の非産業化政策と分割統治政策は、それぞれ、インド亜大陸の経済を荒廃させ、内部対立を激化せしめた。
また、インド亜大陸の支配層は、英帝国主義の買弁化してしまい、大衆と乖離し、現在に至っている。
4 欧州文明の影響という巨悪
冷戦時代には、スターリン主義や毛沢東主義はアジア的専制の変形であって、およそ非欧州的な代物であるかのような見方が一般的だった。
しかし、スターリン主義も毛沢東主義も、欧州啓蒙主義に由来するユートピア思想のなれのはてなのだ。
イスラム教も、そもそも欧州の一神教たるキリスト教と同根の宗教であるところ、イスラム過激派に至っては、どちらも欧州のイデオロギーであるところのマルクスレーニン主義とアナーキズムの混淆的産物なのだ。
話をインド亜大陸にしぼろう。
ヒンズー教だって、インド亜大陸の非イスラム系の支配層が、英国の支配からの離脱を夢見て、豊饒かつ雑多な信仰と習俗の集合体を、欧州のキリスト教にならって、変形し単純化することによって創造した代物だ。
インド亜大陸の支配層は、欧州のナショナリズム・・歴史・文化・価値観・目的意識を共有する人々が相結束したネーション単位で国家を形成しなければならないというイデオロギー・・も熱心に輸入した。
要するにインド亜大陸の支配層は、欧州の宗教/イデオロギーそのものかそれにならって創造したものを民衆に普及させ、その宗教/イデオロギーを受け入れることによって均質化した民衆を単位とするナショナリズムを掲げることによって、初めて英国の支配から離脱して欧州諸国のような独立国家を形成することができるし、また、そうすることによって、初めて欧州諸国のように近代化することもできると考えたのだ。
しかし、これは、英帝国主義の分割統治ともあいまって、インド亜大陸内に、ヒンズー教徒対イスラム教徒といった、それまでは存在していなかった先鋭な対立を生み出し、欧州史の負の側面であるところの、絶え間ない内紛や戦争という状況をインド亜大陸に出現させることになったのだ。
5 結論
インド亜大陸諸国が、英帝国主義という小悪や欧州文明の影響という巨悪を乗り越えて、近代化、すなわち資本主義化/自由民主主義化、を達成することは容易ではないけれど、普通選挙に基づく民主主義が連邦および州レベルで根付いているインドには希望が持てる。
以上のことは、アジア諸国全体にもあてはまると考えられる。
6 エピローグ
ミシュラ自身は、はっきり自覚していないように見受けられるにもかかわらず、ガーディアンやサンデータイムスの評者達がよってたかって、巨悪であるところの、欧州の宗教(カトリシズム系キリスト教)ないしイデオロギー(アナーキズム・マルクスレーニン主義・スターリニズム・毛沢東主義・ナショナリズム)と、基本的には善であるところの、アングロサクソンの資本主義/自由民主主義を明確に対置した上で、前者の影響がアジア諸国、就中インド亜大陸諸国における後者の定着を困難にしている、とミシュラが指摘していると断定するような書評を書いていることを感じとっていただけたでしょうか。