太田述正コラム#1483(2006.11.2)
<履修漏れ事件と日本の教育(その1)>

 (コラム#1481をめぐって、私のホームページの掲示板上で議論が行われています。)

1 始めに

 今、話題になっている履修漏れ事件について、評論家の立花隆氏と教育コンサルタントの亀井信明氏が、考えさせられることをそれぞれ発言しておられるので、発言内容をご紹介した上で、私の感想を申し上げたいと思います。

2 立花隆氏の指摘について

 (1)立花隆氏の指摘
 http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/061101_yutori/(11月2日アクセス)から、少し長くなりますが、立花隆氏の論考の抜き書きを以下に掲げます。

 なぜ世界史が高校社会の科目で必修になっているのかというと、かつて世界史を、日本史や地理とならべて選択必修の科目としておいたところ、世界史を忌避する学生があまりに多かったからなのである。このままにしておくと、日本は今後あらゆる意味で国際社会の中で生きていかなければならないのに、日本人全体が国際社会の常識を欠いた国民になってしまうこと<が>危惧<された>からである。だが、<今回の必修漏れ>事件が明らかにしたことは、世界史を必修にしても、多くの高校生が、世界史の基礎知識を欠如させたまま、大学生になり、そのまま大学を卒業して社会に出てきてしまうという事実なのだ。日本の平均的大学卒業生は、今後とも、グローバル・スタンダードからいって、世界の歴史を何も知らないレベルの非常識人だということなのだ。
 問題は、それが世界史の領域だけで起きているのではないということである。最近、原田武夫「タイゾー化する子供たち」(光文社)という本を読んでいたら、こんな驚くべきエピソードが紹介されていた。著者の原田氏は、東大法学部卒業後外務官僚になり、在ドイツ日本大使館、外務省西欧第一課、北東アジア課などを経て、独立系シンクタンクを設立したという人物で、今年の4月から東大教養学部で非常勤講師として、「実践的現代日本政治経済論」を講じている。教養学部での実地の体験談として、こんなことを書いている。ある日、原田氏は今年4月23日に行われた千葉7区の衆院選補欠選挙(自民党候補が民主党候補に敗れた)を例にとって、そのときその選挙区で、どのような政治意識の変動があったのかを分析してみせた<時のことだ>。その日の授業が終わったところで、1人の女子学生が教壇に寄ってきて、こんな質問をした。「さっき、先生は今の与党が自民党と公明党で、連立政権だって言いましたよね。今日聞くまで、そのことを知らなかったのですが、政治のキソを勉強するために適当な本ってありますか?」いうまでもなく、現在の政権が、自民党と公明党の連立政権であることなど、日本人なら誰でも知っている社会常識に属すると思っていた原田氏は唖然とする。しかし、彼女はもぐりでも何でもなく、正真正銘の東大生なのである。事情を聞いてみると、彼女は高校で理系の進学組に属していた。社会は1科目ですむため、受験科目は必死で勉強したが、社会科の常識部分をほとんど欠如させたまま大学生になってしまった。そういうことが現実にありうるのだと知って原田氏はショックを受ける。そして、「この子が何も知らないまま『東大卒』として社会に出ていってしまったら大変なことになる」と身震いしたという。全くその通りで、受験競争の勝ち組の東大生の中には、社会常識の点では、何もかも欠けている学生が珍しくない。だいたい、いまの東大生で、毎日、新聞を読んでいる学生は半分以下だから、自分の社会常識の欠如にすら気がついていない。
 私は、9年前に・・「東大生はバカになったか」(2001、文藝春秋)という本を書いた。・・その本で主として論じたことは、学生(中学生高校生)の理科離れの問題とか、高等学校理科の履修制度を変更してしまったため、どれほど多くの大学生の頭から理科の常識が吹き飛んでしまったか、といったことだった。・・<その証拠に、>東大の理科1類(理学部と工学部に進学する予定)の学生に簡単なテストをした結果・・根本的常識、日常感覚に欠けている答え<が結構あった。>・・こういう学生を合格させてしまう(スクリーニングできない)東大の入試試験のやり方はまちがっている。
 教育水準の切り下げは、1977年から徐々に一貫して進行してきた。76年をピークとすると、いまの子供たちは、全教科において、小中高校を通して、学校で教えられる知識の総量が半分以下になっている。その水準切り下げは、はじめゆっくり進行したが、「ゆとり教育」で加速度がつき、一挙に進行した。あまりに急激な学習内容水準の切り下げに、高校のカリキュラム編成が追いつけなかったというのが、今回の「高校必修科目の履修漏れ問題」の根本原因である。いわゆる「ゆとり教育」の問題が大声で叫ばれる以前から進行していた、中等教育における履修内容の切り下げ問題が大学側の入試水準ないし、大学での教育水準とのインターフェース不整合を起こしてしまっていたということである。
・・「ゆとり教育」を推進してきた文科省幹部は、今からでも遅くないから、「全員頭を丸めろ」といいたい。

 (2)感想
 立花隆氏にしては、できの悪い論考だと言わざるをえません。
 第一に、彼が、現代の平均的日本人ないし平均的大学生がバカになってしまったことを問題視しているのか、東大生等がバカになってしまったことを問題視しているのか、つまりは、庶民教育を問題視しているのかエリート教育を問題視しているのか、が判然としないことです。
 第二に、彼は、ア:学校での教育水準が引き下げられたこと、イ:入試に関係すること以外生徒が勉強しようとしないこと、ウ:入試のやり方がそもそも適切ではないこと、の三つの問題を提起しているところ、このうち、アが最大の問題であると考えているらしいことは分かるものの、その理由を示していないことです。
 それにしても唖然としたのは、立花氏が、公明党が自民党と連立政権を組んでいないことを知らなかった東大生がいるという愚にもつかない話を、著者が原田武夫なる東大法卒(東大法中退の間違い!(太田))の元外務官僚で東大非常勤講師である人物の本に出ていることを強調しつつ、長々と引用していることです。
 この本を私は読んでいませんが、原田氏の別の本を読んでただちに感じた、この人物のうさんくささについて以前(コラム#1280??1282に)詳しく記したことがあります。東大法学部ブランドや高級官僚ブランドに目を眩まされるとは、東大文学部で二つの学科を出た立花氏の正体を見た思いがします。

(続く)