太田述正コラム#1489(2006.11.5)
<産業革命をめぐって(その1)>(有料)

1 始めに

 私が10月末に(コラム#1477で)産業革命に関して行った問題提起は、イギリス(英国ではない!。同コラム)で産業革命が起こったのは偶然だったのか→偶然ではなかった、この産業革命は「革命」と言えるような飛躍を伴ったものであったのかどうか→ノー、でした。
 余り時間が経ってもどうかと思うので、不十分ながらご説明をさせていただきたいと思います。
 なお、産業革命とは、人力の機械による置き換え・(馬等の)動物的動力源の(蒸気機関等の)非動物的動力源による置き換え・植物的・動物的原料の(鉱物等の)天然資源による置き換え、という三つの改善からなる工場システム(factory system)の出現をいう(David Landes, 1969年(
http://www.fi.edu/case_files/energy.html
。11月1日アクセス))、ということにしておきましょう。

2 イギリスで産業革命が起こったのは偶然ではない

 1835年にイギリス人のベインズ(Edward Baines)は、次のように記しました。
 「製造業におけるこの国<(イギリス)>の政治的・道徳的優位は、物理的優位に勝るとも劣らない。芸術は平和と自由の娘だ。イギリスほど、平和と自由の祝福を高度かつ長期にわたって享受してきた国は他に存在しない。正義にかなった法の支配の下で、個人的自由と財産が保障され、商業的企業が資本の収益を得ることが許され、資本が安全のうちに蓄積され、勤労者が仕事や労働に夜まで従事し、このようにこの国の製造業の繁栄が守られ保護されてきたおかげで、製造業は根を深く張り、その枝を地球の果てまで広げるに至ったのだ」と(米ペンシルバニア州フランクリン・インスティチュート科学博物館サイト 上掲)。
 このフランクリン・インスティチュート科学博物館自身が、同じサイトでもう一つ強調しているのは、イギリスの政治家にして哲学者であったフランシス・ベーコン(Francis Bacon。1561??1626年)の貢献です。
 すなわち、ベーコンは、自然哲学(現在で言うところ科学)は現実の諸問題の解決のために適用することができるとし、ここに近代技術の観念が生まれたというのです。ベーコンは、生存のために必要なものを供給するために常に労働をしていなくてはならないのでは人間は完全な自由を享受することはできないとし、「知識は力なり」と述べ、人間が労働を節約できてその節約分を他の方面に用いることができるようにするための装置、つまり機械、の導入を提唱したというのです。
 このように、産業革命は、イギリスのユニークな政治・法・自由・哲学があって初めて起こったのであり、イギリスで世界で最初に産業革命が起こったのは決して偶然ではなかった、というのが、アングロサクソン世界における19世紀以来の圧倒的通説なのです。
 確かに、オーストラリア国立大学教授のスヌークス(Graeme Donald Snooks)のように、産業革命は(地理的意味における)欧州の産業革命であって、それが偶然イギリスで始まっただけだと主張する人がアングロサクソン世界にいないわけではありません。
 スヌークに言わせれば、数多くの国々が軍事的優位を求めて競っていた欧州において、どの国もより強大な軍事力を整備するための余剰資金を飛躍的に増大する方法を見いだそうと努力していた中から、たまたまイギリスがそれに最初に成功しただけのことだ、というのです。
 ただし、そのスヌークですら、自分の主張が圧倒的少数説であることを認めているのです。
 (以上、Was the Industrial Revolution Necessary?, Routledge 1994 PP14??15 による。)
 ちなみに、このようなスヌークの主張は、支那に産業革命が起こらなかった主要な理由を説明できるように見えますが、欧州とほぼ同じ政治的軍事的状況が継続していたインドで産業革命が起こらなかったこと一つとっても、全く説得力がないと思います。

(続く)