太田述正コラム#1579(2006.12.20)
<できそこないの米国(その2)>

 (2)テト大攻勢と米軍の撤退について

 北ベトナム/ベトコンによるテト大攻勢を挫折させた後、米国は「北ベトナムを殲滅」する必要などありませんでした。駐ベトナム米軍を徐々に撤退させつつ、南ベトナム軍の強化を図り、最終的には在韓米軍並みの5万人程度の米軍の駐留を続ければよかった、と私は考えています。
 当時は米軍の総兵力は大きく、しかも、まだ現在のように中東地域には駐留していなかったのですから、南ベトナムに5万人程度の兵力を駐留させておくことは完全に可能だったはずです。
 ところで、私が問題にしたいのは、単に米国のメディアを通じて米国民がテト大攻勢について誤った認識を持ってしまい、時の米ジョンソン政権、及び次のニクソン政権が、米国民を説得する努力を行わないまま、ずるずると米軍撤退に追い込まれて行ってしまったことだけではありません。
 テト大攻勢に米軍が勝利した事実が、長い間封印され続けたことも問題だと思うのです。
 そもそも元に戻って、何故にテト大攻勢の際、米国のメディアは、日本のメディアではあるまし、米軍敗北説を一斉に流したのでしょうか。
 一人の犯人がいたのです。
 ウェヤンド(Frederick Weyand。1916年??)将軍がその人です。
 将軍は陸軍中将としてメコン川デルタ地帯に駐留していた第3軍団の司令官を務めていた1967年8月、ニューヨークタイムスとCBSの記者に対し、匿名を条件に、「私は<敵の>師団を三回も殲滅した。・・私は<敵の>主要な部隊をベトナム中追いかけ回したがその効果と言えば無に等しい。そんなことは<ベトナムの>人々にとっては何の意味もないことなのだ。単なる反共以外の、もっと積極的で人の心をかき立てるテーマを見つけない限り、こんなことがずっと続き、何世代も経った頃に、疲れ果ててもうやーめたということになることだろう。」と語り、ニューヨークタイムスはこれを「ベトナム:膠着状況の兆し」という見出しの記事に仕立てたのです。CBSもほぼ同じ内容で放送をしました。
 当時の米大統領のジョンソンも、ベトナム派遣米軍総司令官のウェストモーランド(William Childs Westmoreland。1914??2005年)もこの報道に烈火のごとく怒りましたが、発言の主は分かりませんでした。
 1984年にも、退役してから久しいウェストモーランドは、自分の当時の部下の将軍達のうちの誰かがそんなことを言ったはずがない、と怒りで声を震わせながら語っています。
 ちなみに、ウェヤンド将軍は、1974年に退役し、上記匿名発言については一切語ることはなかったのですが、匿名発言当時、そしてテト大攻勢当時のベトナム派遣米軍総司令官であったウェストモーランド将軍が亡くなったことで、今年の12月になって、ようやく上記匿名発言の主が自分であることを明らかにしました。
 いずれにせよ、上記ウェヤンド発言があったらこそ、テト大攻勢が起きた時、米国のメディアは、このウェヤンド予言が的中した、と思いこんでしまい、米軍敗北説を一斉に流したのです。
 そのウェヤンド将軍が、ニクソン政権によって1972年にベトナム派遣米軍の最後の総司令官に任命され、ニクソン政権が決定したところのベトナムからの米軍の撤退を見届け、ニクソン政権の覚え益々めでたく、今度は1973年に、陸軍軍人としての最高位である米陸軍参謀長に任命されたため、テト大攻勢に米軍が勝利した事実を米政府サイドは明らかにするのを避け続けたのではないか、と私は想像しているのです。
 また、米国のメディアはメディアで、自分達のテト大攻勢についての「誤報」を自ら明らかにすることには、心理的抑制が働き続けたのではないか、と私は想像しているのです。
 (以上、事実関係については、
http://www.nytimes.com/2006/12/11/opinion/11fromson.html?pagewanted=print
(12月12日アクセス)、及び
http://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_C._Weyand
(12月20日アクセス)による。)
 米国の政治家もメディアも、戦後の日本の政治家やメディアよりは数等マシではあるけれど、英国の政治家やメディアに比べると、丸でダメだ、米国はやはりできそこないのアングロサクソンだ、という私の主張に首肯していただけるのではありませんか。

 (3)付け足し

 湾岸戦争について、私が問題にしているのは、ブッシュ父政権が、バグダッドまで攻め上らなかったことではなく、さんざんクルド人やシーア派にフセイン政権に対する蹶起をけしかけておきながら、実際に蹶起した彼らを見殺しにしたことです。
 また、イランの学生がテヘラン米大使館占拠事件を引き起こすといった程度のことは米国政府にも予見できたかもしれませんが、学生達による占拠をイラン革命政府が黙認し、放置することまでは、いかなる政府でも予見できなかったでしょう。
 ですから、米国はパーレビの入院・亡命を積極的に認めるべきだった、と私は思います。

(完)