太田述正コラム#1639(2007.1.27)
<星亨の主張をめぐって>(2007.9.2公開)
(光線銃はマイクロ波(microwave)ではなく、ミリ波(millimetre-wave)が使われています(http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/6300985.stm
。1月27日アクセス。以下同じ)。コラム#1638を訂正させていただきます。)
1 星亨の主張
コラム#1629で「日本文明は米国を含むアングロサクソンの文明と極めて親和性のある文明であるところ、このことを記した、駐米公使当時の星亨(1850~1901年)の1897年の英文草稿が残っていますが、実際に使われたものかどうかは不明です(拙著「防衛庁再生宣言」日本評論社 192~193頁)。幕末から維新にかけて、星を含め、日本の指導層の間で広範に共有されていたこのような常識が日本で急速に失われて行ってしまったということなのでしょうか」と記したところです。
拙著を読んでおられない方への便宜上、ここに星の主張を紹介した文章(有泉貞夫『星亨』朝日新聞社1983年 225頁)を再録しておきましょう。
「<星>は、明治維新以降の日本の改革と進歩が偶然によるものではなく、アジアの他の国々とは異なる歴史的前提によって可能となった、着実なものであることを力説する。まず、ペリー来航以前の日本が専制国家と普通見なされているけれど、実際は徳川将軍と天皇の二重主権(dual sovereignty)というべきもので、権力と権威が分離しており、将軍と大名との関係も直接支配・被支配ではなく、大名は広範な自治権をもち、さらに農・工・商階級も、範囲は狭いが、共同体的自治により行政を分担してきた。このことが国民のなかに自主性と法の支配の観念を育て、明治維新を用意し、また維新後のさまざまな試練を乗り越えるのに役立ったと説く。つぎに、日本人は古代から外来宗教に寛容で、外来の宗教と固有信仰とを共存させてきた。近世初頭のキリスト教弾圧は、宗教的非寛容からではなく、宣教師の布教の仕方がもたらす治安妨害に対する政治的処置として行われたものであった」
2 維新前暗黒時代論はどこからきたのか
ところが、星のように、明治維新以前の日本を高く評価する人は星の同時代人にはほとんどいませんでした。
例えば、九州の中津藩の武士であった福沢諭吉(1835~1901年)は、「封建の門閥制度・・・は親のかたきでござる」という有名な言葉を残しています(『福翁自伝』旺文社文庫(原著は1899年)26頁)。
しかし、それは、「私の父は・・・漢学者であって、大阪の藩邸に在勤してその仕事は・・・大阪の金持ち、加島屋、鴻ノ池というような者に交際して藩債のことをつかさどる役であるが、元来父はコンナことが不平でたまらない。金銭なんぞ取り扱うよりも読書一偏の学者になっていたいという考えであるに、存じがけもなくそろばんをとって金の数を数えなければならぬとか、藩借延期の談判をしなければならぬとかいう仕事で、・・・純粋の俗事に当たるというわけであるから、不平も無理はない」(同20~21頁)ということであり、江戸末期には武士の生活が窮屈で困窮していて屈辱的であったことを指しているのです。
どうして武士の生活が困窮して町人に頭が上がらなくなるに至ったのでしょうか。
そもそも、検地の段階で村の土地面積や生産性を実際より少なめに把握していた場合が多かった上、時代とともに農業の生産性が高くなり、商品作物の導入が進み、農工複合体のような農産加工業が発展し、農民の出稼ぎ賃金収入などが増えても村高には反映されなかったので、総じて言えば、武士以外の人々は江戸時代を通じてどんどん豊かになって行きました(石川英輔『大江戸開府400年事情』講談社文庫2006年 169頁)。
年貢は村高に対して五公五民ないし四公五民の割合で算定されたのですから、上記経済成長に年貢収入が追いつくはずがなく、しかも稲作の生産性が高まり慢性的な米価安が続いていたので、給与が石高で支給される武士は次第に困窮して行ったのです(同168、171頁)。
これでは、武士であった人々が、江戸時代を暗黒時代視するはずです。
明治期の日本の指導層の多くは元武士でしたから、「不思議なことに、今の日本人は自分自身の過去についてはなにも知りたくないのだ。それどころか、教養人たちはそれを恥じてさえいる。「いや、なにもかもすべて野蛮でした。」、「われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今、始まるのです。」という日本人さえいる。」と、お雇い外国人たるドイツ人のベルツ(1849~1913年。日本滞在は1876~1905年)が証言している(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%84
。1月27日アクセス)ように、江戸時代は暗黒時代だったというイメージが日本人全体に広まり、定着してしまったのだと私は考えています。
星は、江戸の左官屋の息子(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E4%BA%A8
。1月27日アクセス)ですから、福沢らのような武士的偏見に目を曇らされることなく江戸時代を回顧することができたのでしょう。
星亨の主張をめぐって
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