太田述正コラム#2766(2008.9.2)
<読者によるコラム:太田アングロサクソン論(その2)>
8.本来的には反民主主義的な文明
 「ゲルマン人にとっては、戦争による掠奪こそ、その生業であった。
 ゲルマン人の政治集会には、戦士のみが出席を許された。集会は、各自が武装したまま開催され、軍の司令官である王の選出、慣習法および王例の承認、また戦争によって掠奪された戦利品の分配等が行われた。
 これが西欧における議会制の起源であり、ゲルマン議会制が最も純粋な形で残ったイギリスにおいて、これが後に近代議会制へと変貌を遂げるのである。」(『防衛庁再生宣言』P139~140より抜粋)
 「(注1)イギリス議会の起源はゲルマン民族のどの部族にも見られた部民全
    体会議である。部民全体会議参加有資格者は戦士たる成人男子だっ
    た。王も将軍も基本的にこの会議において選出された。(タキトゥ
    ス「ゲルマーニア」(岩波文庫版。原著が執筆されたのは、紀元97
    ~98年)52~53頁、65~76頁)
     してみれば、議会が軍隊を興して議会の意向に従わない国王と戦
    ったり、その議会軍が代議員を政治集会に派遣したりするのは、
    (大陸に残ってローマ化して「堕落」したゲルマンと違って)純粋
    なゲルマン民族の風習を受け継いだアングロサクソン(イギリス
    人)にとってはごく当たり前のことだったに違いない。」(コラム#372(*15)より抜粋)
 太田さんの「ゲルマン人がユニークだった点は、その個人主義と民主主義です」との言もあり、当然、アングロサクソンは個人主義と同様に民主主義も大好きなのかと思ってしまいますね。しかし、どうもそう単純な話ではないようです。
 「私は手放しの民主主義礼賛者では全くありません。
 私の好きなアングロサクソン文明は、反民主主義文明の最たるものです。フランス人貴族のトックビルが書いた「アメリカにおける民主主義」という余りにも有名な本は、そのタイトルだけでも多大の誤解を読者に与え続けています。哲人ソクラテスを、青年達を惑わしたとして死に追いやったのはアテネの民主主義でした。このような権力を握る多数者による少数者・個人の自由の恣意的侵害を許さない、という世にもめずらしい文明がアングロサクソン文明なのです。
 アングロサクソンは、手続き的正義と実体的正義が渾然一体となった慣習法=コモンローを墨守してきました。議会制定法によるコモンローの改廃を基本的に認めないという考え方です。   
 そして政治制度にあっては、英国は、王制や貴族院制度、そして王制と表裏一体の内閣制度等の反民主主義的制度、米国は、大統領の間接選挙制(その名残が、この前の大統領選挙の総得票数でゴアを下回ったブッシュの当選)、三権分立による権力の相互牽制、連邦制(「合衆国」ならぬ「合州国」)等の反民主主義的制度、を堅持してきたわけです。(議会制そのものが、直接民主制の否定という側面を持っていることもお忘れなく。)
 ですから、英米における民主主義の進展は遅々としたものでした。米国の黒人の投票権問題に端的にあらわれているように、両国における普通選挙権の確立に至る紆余曲折の歴史を振り返ってみれば、そのことは明らかです。英国の貴族院制度、つまりは貴族制度に至っては、その「民主化」に手がつけられたのは、つい最近のことに過ぎません。
 しかし、このようなアングロサクソンの自由主義が貫徹されるのは平時だけの話であり、有事にはアングロサクソンの姿が完全に変貌することを我々は忘れがちです。」(コラム#48(*16)より抜粋)
 「イギリスが筋金入りの個人主義社会であることには既に触れましたが、個人主義社会では自由競争の結果、必然的に階層分化がもたらされます。この階層分化を前提にすると、民主主義は、有能で財産と教養ある上流階層を犠牲とする、無知で無能で貧乏な人々による支配以外のなにものでもないことになります。イギリス人がそんな民主主義を好きなわけがないのです。
 19世紀初頭までのイギリスやbastardアングロサクソンたるアメリカでは、代議政治がすでに確立しており、それはそれで世界史上特筆されるべきことなのですが、それらは、あくまでも、上流階層による代議制であり、英米いずれにおいても、反民主主義的風潮が支配的であったのです。 
 16世紀において、ホッブスが、絶対王政を擁護したことは、よく知られていますが、アメリカ独立革命に大きな思想的影響を与えたジョン・ロックも、決して民主主義者ではありませんでした。
(略)
 ところで、案ずるより生むがやすしということでしょうか、ミルの死後11年たった1884年以降、大衆の要望にこたえて、イギリスでは男子普通選挙制度が実現されていくのですが、ミル達が懸念したような形での、労働者階層による政治の専断的支配は起こりませんでした。
 その後のイギリス民主主義100有余年の経験は、民主主義が、少なくともイギリスでは実行可能であったことを示しています。しかし、依然としてイギリス人は、民主主義が、世界のどこにでも、時と場所を問わず、適用できる普遍的政治システムであるとは考えていません。」(コラム#91(*17)より抜粋)
 多数により少数の権利が犠牲になるから民主主義は嫌いだ、というわけです。なるほど、個人主義が徹底しているのなら、そういう意見はむしろ出てきて当然なのかもしれません。しかし、民主主義を絶対的価値として崇めるような社会より、民主主義を警戒しつつも代議制や内閣制などの工夫をしつつ民主主義を維持していく社会のほうがよほど健全な社会のように感じます。
(*15)コラム#372<民主主義の起源(その1)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955461.html
(*16)コラム#48<先の大戦中の日本の民主主義(続き)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955788.html
(*17)コラム#91<民主主義嫌い(アングロサクソン論9)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955742.html
9.戦争とイギリス
 「緊急事態において、近代国家は意外な本性をかいまみせる。
(略)
 最初の例は平時の場合だし、その次の例は植民地における有事の場合である。これが英国本土での有事ともなれば、次のようなおどろおどろしい場面が展開する次第となる。すなわち、戦争が勃発し、勅令等で緊急事態が宣言されるや、全地方自治体は機能を停止させられ、国土全体が10個の方面に分けられ、各方面は、軍・警察・行政の三者統合委員会の掌握するところとなる。そして全てのマスコミは接収され、電話の私的使用も原則禁止されるに至るという(コリガン&セイヤー『ザ・グレート・アーチ』ブラックウエル、1991年による)。
 これらのことは実は意外でも何でもない。近代国家の最大の特徴は、国民等の自由・人権を憲法によって保障する立憲国家たるところにあるが、近代国家たる欧米諸国にあっても、国内外の敵に抗して自らの存続を図ること、すなわち安全保障が至上命題であることに変わりはない。その限りにおいて、物理的生存権を含め、人権が制限されることがあるのは、至極当然のこととされているからだ。
 今日、近代文明の恵沢を我々を含め世界中の人々が享受しているのも、その近代文明発生の地であるイギリスにおいて世界で最初に成立した近代国家が、島国であるという地理的優位性を生かしつつ、強力な安全保障政策を一貫して採用し、近代国家を育み、発展させてきたからである。
(略)
 戦争好きで戦争に強いイギリス人!この恐るべきイギリス人が後に、あの日が沈むことのない大帝国を築くのである。」(『防衛庁再生宣言』P202~204より抜粋)
 「(注2)このように、多くの欧州諸国の憲法は、人権の一部を制限したり、
    制限をすることを許容しているわけだが、それに対し、日本の場合
    は、憲法に人権制限規定はないし人権制限を許容するような憲法解
    釈論も存在しない代わり、憲法に国権の一部(自衛権)を制限する
    規定(第9条)がある。日本の憲法の国権制限規定は、「押しつ
    け」られたものであり、憲法を改正するなり解釈改憲をすること
    で、この制限規定を廃止すればよいだけのことだ。他方、上記欧州
    諸国では、制限や制限許容を取りやめることなど、到底考えられな
    い。」(コラム#993(*18)より抜粋)
 「さて私は、アングロサクソンの本来の生業は戦争である、と繰り返し申し上げてきました(コラム#41、61、72、82、125、307、399、426、489)。
 そう言うと、新しい読者の中には、英国は最近そんなに戦争をしていないではないか、という素朴な疑問を抱かれる方がおられることでしょう。
 私に言わせれば、英国が戦争を余りしなくなった理由は単純そのものです。経済的利得につながる(ベネフィットがコストを上回る)ような戦争が少なくなったからです。そういうわけで最近では、不本意ながらイギリス人は戦争以外で主たる生計を立てているのです。」(コラム#616(*19)より抜粋)
 近代国家においては安全保障は至上命題であり、一旦戦争状態になれば、平時の個人主義とは正反対に人権は制限されます。大変メリハリが利いていますね。このアングロサクソン由来の安全保障体制が今ではすっかりグローバルスタンダードになっているわけですが、何のことはない、戦争を生業とすること以外は、ゲルマン人の生き様そっくりですね。
(*18)コラム#993<徒然なるままに(その2)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954840.html
(*19)コラム#616<米国とは何か(完結編)(その1)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955217.html
10.欧州文明とは何か
 ではアングロサクソンと同じように見られがちな欧州文明とは具体的にどのような文明なのでしょうか。
 欧州文明の源泉は、西欧大陸の人々が継承した古代ローマ文明にあり、カトリック政教一致時代(=プロト欧州文明。宗教権力が世俗権力と連携しつつ個人に対して宗教教義(doctrine)の強制を行うことを最大の特徴とする文明)を経て、欧州文明時代(=全体主義的独裁時代)へと至ります。
 「大方のイギリス人は、古代「ローマは、巨大で、一枚岩の独裁体制であって、いやがる人々にその意思を押し付け、どのように生きるか、何をしゃべり、何を信仰するかを指示した<ところの、>ナチスのごときものと見て」います(http://www.bbc.co.uk/history/ancient/romans/questions_01.shtml。5月3日アクセス)。」(コラム#1755(*20)より抜粋)
 「(1)ローマ帝国のキリスト教国教化
 ローマ帝国におけるキリスト教弾圧は、ネロ(Nero)帝による紀元64年のキリスト教徒迫害から始まり、哲人マルクス・アウレリアス(Marcus Aureliu)帝による165~180年の迫害、更にはディオクレティアヌス(Diocletian)帝による303年の大迫害へと続きます。
 ところがコンスタンチヌス(Constantine)帝の時にそれが一転します。コンスタンチヌスは313年にミラノ勅令を発出してキリスト教を公認し、325年にニケーア(Nicea)にキリスト教指導者達を集めて会議(council)を催し、原始キリスト教の反政治的・反権威的色彩を改めたニケーア信条(Nicene Creed)を制定させ(注4)、かつ337年の臨終の際にローマ皇帝として初めて正式にキリスト教の洗礼を受けるのです。
(注4)これは、キリスト教の堕落を意味した。
(略)
 その結果、ギリシャ文明が全地中海世界を包摂したヘレニズム時代は、いわば信教の自由が担保された開放的な時代であったというのに、ローマ帝国が上記のような形でキリスト教を国教化したことによって、単一の宗教が国家権力と結びついていた、ヘレニズム以前の信教の強制を伴う閉鎖的な古代地中海世界がここに復活してしまうのです。
 そして、西欧はカトリック教会の下で、東欧及びロシアは正教会の下で、そして7世紀にはキリスト教の影響の下で生まれたイスラム教の下で、欧州、ロシア、及び中東は爾後それぞれ、抑圧に満ちた悲劇的な歴史を歩むことを運命づけられるのです。」(コラム#413(*21)より抜粋)
 「(注2)プロト欧州文明とは、キリスト教(カトリシズム)を体現する教会
    と欧州の諸国家が提携しつつ、各国家が勢力伸張を競い合った文明
    であり(コラム#61、65、231、457)、欧州文明とは、欧州の諸国家
    が各種イデオロギー(ナショナリズム・共産主義・ファシズム)を
    手段として勢力伸張を競い合った文明だ(多すぎるのでコラム番号
    は記さない)。そしてこの両者をつなぐ移行形態が、ルイ13、14世
    時代のフランス絶対王制であり、フランスがカトリシズムを手段と
    してその勢力伸張を図った(コラム#100、127、129、148、162、
    498)。」(コラム#503(*22)より抜粋)
 「私は、世界の近現代史の最大のテーマは、アングロサクソンと欧州大陸(後には欧州・ユーラシア大陸)の間の大抗争(Great Game)であると考えている。これは、「個人主義=自由主義・経験主義」対「全体主義・合理主義」の大抗争であった。全体主義の起源は、欧州大陸において原始キリスト教が変容して生まれたカトリシズムである(ここでカトリシズムというのは、欧州の中世のそれであって、現在のカトリシズムではないことに注意)。
 カトリシズムにあっては、主権者(国王等)が被治者に特定の信仰を強制するのが特徴である。つまりは、特定のイデオロギーによる洗脳が行われる。このカトリシズムの風土に生まれたのが、(フランス革命の鬼子たる)ナショナリズムであり、(ドイツ観念論の鬼子たる)マルクシズムやナチズム(ファシズム)である。異端審問(あるいは審問会議)や魔女狩り(あるいは粛清、エスニック・クレンジング)がカトリシズムと結びついていることは、容易に理解できよう。
 これらは、アングロサクソンの最も嫌いな代物である。だからこそ、イギリス人は、今でも「English Channelの向こうから野蛮が始まる」(1988年、ロンドン滞在中に聞いたイギリス人の友人の言)と思っているのだ。」(『防衛庁再生宣言』P191~192より抜粋)
 「両文明は本来相容れないはずです。なぜなら「自由」を至上原理とするアングロサクソン文明は人間の言動のみならず心までも規制しようとするイデオロギーを何よりも厭うのに対し、欧州文明は、世界史上めずらしいイデオロギーの文明だからです。カトリシズム・プロテスタンティズム・絶対主義・ナショナリズム・共産主義・ファシズム・無神論等のイデオロギーは、カトリシズムを原型として、欧州文明が手を代え品を代えて次々に生み出してきた欧州文明固有の特産物であり、アングロサクソン文明にとっては、ことごとく異質な仇敵なのです。」(コラム#504(*23)より抜粋)
 「欧州的な考え方とは、古代ローマないしカトリシズムに由来する合理論的・演繹的な考え方・・理論ですべてを割り切ろうとする・・だ。これに対し、イギリス的な考え方は、ゲルマンに由来する経験論的・帰納的な考え方・・理論と現実のフィードバックを重視する・・だ。」(コラム#1256(*24)より抜粋)
 欧州文明は、宗教のドグマや特定のイデオロギーを人々に強制する、集団主義的、絶対主義的な文明だったと言えそうです。
 また、社会や世界の仕組みを、経験によらず、「理論」で以て組み立てて導き出し、その導き出した「答え」を、現実の政治に適用することで(そこで初めて試す!)、その度に欧州の人々に惨禍をもたらしてきた、とも言えそうです。
 このような欧州をアングロサクソンは当然のように野蛮な文明視しているわけですが、それを表に出してしまっては欧州の人々を怒らせることになるので、けっして表に出さないのがアングロサクソンのようです。だから欧州地域以外の人々には、両者の違いが分からないのかもしれません。
 「この手の論考は、イギリス人の間では常識的な共通認識・・アングロサクソン文明は世界の頂点に位置し、欧州文明も、その他のもろもろの文明同様、一段と低い野蛮な文明である・・をイギリス人たる筆者とイギリス人たる読者が密かに再確認し合い、ほくそ笑み合うのが目的なのです。内々のエールの交換だ、と言ってもいいかもしれません。
 そんな身内同士の密かな楽しみのために、イギリス人以外の人々、とりわけ一衣帯水の位置関係にある欧州の人々、を怒らせてしまうようなことは愚の骨頂であり、避けなければなりません。
 そこで筆者は、意図的に論理構成を無茶苦茶にすることによって、欧州の人々に具体的な攻撃材料を与えないようにしているのです。
 欧州の人々は、イギリス人が自分達を野蛮人視していることをうすうす感づいているし、この論考がこのようなイギリス人の欧州観を記したものであることも何となく分かるけれど、筆者は、プライドが高い欧州の人々が、明確に侮辱的文言が記されているわけではない上に論理構成も無茶苦茶である論考であれば、怒りを飲み込んであえてイチャモンはつけないことを知っているのです。」(コラム#1256より抜粋)
(*20)コラム#1755<米国とは何か(続々)(その1)>
http://blog.ohtan.net/archives/51059826.html
(*21)コラム#413<トラディショナリズム(その4)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955420.html
(*22)コラム#503<米国とは何か(続)(その2)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955330.html
(*23)コラム#504<米国とは何か(続)(その3)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955329.html
(*24)コラム#1256<アングロサクソン論をめぐって(続x3)(その3)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954577.html
11.最後に
 以上、アングロサクソンとは何かを順を追って見てきましたが、自由主義、民主主義、資本主義、これらの価値観はすべて個人主義に由来し、その個人主義は軍事を前提としていました。今やグローバルスタンダードになっているこれらの諸価値が、アングロサクソンの由来であることが正しければ、リベラルな人々は、これらの大好きな言葉と同じように、軍事も尊重すべきではないでしょうか。いや、リベラルでここまで軍事を忌避しているのは日本だけでしょう。
 「世界の歴史と現状を理解するためには軍事とアングロサクソンを理解しなければならない。」これは太田さんの言葉ですが、アングロサクソン文明のほぼすべてが軍事から来ているとするのなら、即ち、軍事の知識を身に付けることが、政治、社会、世界、そして個人の生活をも、本当に理解することに繋がるのかもしれません。
 ところで太田さんは、日本文明はアングロサクソン文明と最も親和性があり、日本人は本来アングロサクソンの最大の理解者です、と仰っています。
 「こう見てくると、アングロサクソンと日本は、違いは沢山あるものの、多元主義と寛容の精神という、世界的に見て極めて稀な価値観を共有していることになる。」(『防衛庁再生宣言』P192より抜粋)
 日本とアングロサクソンが、お互いを良き理解者として、対等な立場で尊重しあえる日は来るのでしょうか。
(終わり)
<太田のコメント>
 私より私のアングロサクソン論をよくご存じであるとさえ思える遠江人さん、すばらしい紹介をしていただき、まことにありがとうございました。