太田述正コラム#13986(2024.1.22)
<映画評論114:始皇帝 天下統一(続x16)>(2024.4.18公開)
この関連で、『墨子』公輸篇の次のような説話を思い出して欲しい。↓
「あるとき楚の王は、伝説的な大工公輸盤<(こうしゅはん)>の開発した新兵器雲梯(攻城用のはしご)を用いて、宋を併呑しようと画策した。それを聞きつけた墨翟は急遽楚に赴いて、公輸盤と楚王に宋を攻めないように迫る。宋を攻めることの非を責められ困った楚王は、「墨翟が公輸盤と机上において模擬攻城戦を行い、墨翟がそれで守りきったなら宋を攻めるのは白紙にしよう」と提案する。机上模擬戦の結果、墨翟は公輸盤の攻撃をことごとく撃退し、しかも手ごまにはまだまだ余裕が有った。王の面前で面子を潰された公輸盤は、「自分には更なる秘策が有るが、ここでは言わないでおきましょう」と意味深な言葉を口にする。そこですかさず墨翟は「秘策とは、私をこの場で殺してしまおうということでしょうが、すでに秘策を授けた弟子300人を宋に派遣してあるので、私が殺されても弟子達が必ず宋を守ってみせます」と答え、再び公輸盤をやりこめた。一連のやりとりを見て感嘆した楚王は、宋を攻めないことを墨翟に誓った。こうして墨翟は宋を亡国の危機から救った。」(上掲)
すなわち、墨家は、諸子百家・・陰陽家、儒家、墨家、法家、名家、道家、縦横家、雑家、農家、兵家・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E5%AD%90%E7%99%BE%E5%AE%B6
小説家、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E5%AE%B6_(%E8%AB%B8%E5%AD%90%E7%99%BE%E5%AE%B6)
中、農家
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E5%AE%B6_(%E8%AB%B8%E5%AD%90%E7%99%BE%E5%AE%B6)
と並んで、(応用科学(技術)にとどまっているけれど、)珍しくも自然科学を重視したわけだ。
[鄒衍の思想と始皇帝]
「鄒衍<(BC305?~BC240年)は、> 戦国時代の諸子百家の一つ陰陽家の始祖。[五行思想の一種にあたる・・・五徳終始説]〈、陰陽主運の説〉などを説いて、後の<漢>人の世界観や歴史観に大きな影響を与えた。」
https://www.y-history.net/appendix/wh0203-067_1.html
https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwis7rbjlOGDAxX3nK8BHYSGAFMQFnoECAwQAQ&url=https%3A%2F%2Frose-ibadai.repo.nii.ac.jp%2Frecord%2F14853%2Ffiles%2FCSI2010_1750.pdf&usg=AOvVaw0oDsW32AtZ731VkNGCQudK&opi=89978449 (〈〉内)
「稷下の学士の代表的人物・・・の一人・・・だった。・・・
孟子よりやや後の時代の人物で、斉に仕えた後、燕の昭王の師となり、また趙に赴き平原君の信頼を得たという。・・・
始皇帝は斉人から『終始五徳之運』を献上され、その学説を採用した。・・・
「<すなわち、>土・木・金・火・水」の五徳や、それに対応した王朝交替の歴史観(虞<(注32)>土・夏木・殷金・周火)を説いた。
(注32)「舜<は、>・・・虞氏(ぐし)または有虞氏(ゆうぐし)と称した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9C
(続く)