太田述正コラム#14146(2024.4.11)
<加地伸行『儒教とは何か』を読む(その5)>(2024.7.7公開)

 「こうした儀礼を続けるうちに、尸がかぶる頭蓋骨がマスク(魌頭(きとう))に代り、さらに尸全体が木の板に代り、その板上に文字で姓名をはじめとして死者のことを表現することとなる。
 この木の板を神主(しんしゅ)あるいは木主(ぼくしゅ)と言い、・・・この神主が仏教に取り入れられて位牌<(注4)>となってゆく。

 (注4)「儒教では後漢のころから位板(いばん)・木主・神主(しんしゅ)・虞主(ぐしゅ)等の名称で40cm程度の栗の板に生前の位官や姓名を心霊に託す風習があった。・・・
 その起源は、霊の依り代(よりしろ)という古来の習俗と仏教の卒塔婆が習合した物ともされる。・・・
 日本には鎌倉時代に禅僧が南宋から伝えたとされているが(文献記述としては、14世紀成立の『太平記』には見られる)、庶民に一般化するのは江戸時代以降である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8D%E7%89%8C

 また、香を焚いて魂を呼ぶ儀式も仏教に取り入れられて焼香<(注5)>となる。・・・

 (注5)「お焼香は、もともと「香を焚いて悪臭を取り除き、空気を清らかにする」というインドの風習が、仏教の供養として取り込まれたものでした。・・・
 ちなみに、香を焚くという風習は、仏教が伝わる以前の中国や日本にはなく、仏教と共に行われるようになったそうです。」
https://zenessay.kosonji.com/incense

⇒「注5」から、著者の焼香論には疑問符が付くのでさておくとして、位牌については、「注4」を踏まえれば、「<支那>地域への仏教の伝来は、1世紀頃と推定される」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99
以上、「栗の板に生前の位官や姓名を心霊に託す風習」が生れたのはその後だということになります。(太田)

 〈招魂再生の儀礼とシャマンと〉と言うだけでは、これという特色のない、世界の至るところによくある原始宗教、原始信仰にすぎない。・・・
 ところが、儒は、・・・世界共通のこの招魂儀礼を基礎にして、一大理論体系を作っていったのである。・・・

⇒著者自身も注意深く「儒」という言葉を使い、「孔子」と言っていませんが、儒が、「招魂再生の儀礼とシャマンと」「を基礎にして、一大理論大家を作っていった」のは、後漢以降である、というわけです。
 私に言わせれば、孔子の思想は、こういったことを通じて、矮小化され貶められてしまったのです。(太田)

 <すなわち、>(一)祖先の祭祀(招魂儀礼)、(二)父母への敬愛、(三)子孫を生むこと、それら三行為をひっくるめて〈孝〉としたのである。・・・
 つまり、孝の行ないを通じて、自己の生命が永遠であることの可能性に触れうるのである。
 すなわち、<このような形で>〈生命の連続〉があり、自己の肉体が継承されていっていると考えれば、死の恐怖も不安も解消できるではないか。・・・
 この生命論としての孝を基礎として、後の儒教はその上に家族倫理(家族理論)を作り、さらにその上に、社会倫理(政治理論)を作ったのである。
 後世になり12世紀の新儒教になると、さらにその上に宇宙論・形而上学まで作るようになった。・・・」(19~22)

⇒もっともらしくは感じます。
 但し、繰り返しますが、仮にその通りだとしても、これらは全て、孔子が関知しない成り行きであった、と、私は見ているわけです。(太田)

 「上からの礼教性と下から支持する宗教性と、この両者があればこそ、キリスト教の長い生命があるのである。
 同じ事情が中国においても言えるであろう。
 キリスト教の場合と同じく、儒教においても、礼教性と宗教性の両者がある、と。
 にもかかわらず、魯迅を始め中国近代の知識人は、まさに儒教における礼教性のみを見て、それを攻撃している。
 しかし、もう一方の宗教性をほとんどまったく見ていないのである。
 いや、分っていないから見えていないのである。

⇒ここまでは、もっともらしくは感じます。
 但し、魯迅の当時、既に、儒教の宗教性は殆ど失われていたのではないでしょうか。(太田)

 これでは、いくら礼教性を攻撃しても、儒教はびくともしない。
現在、儒教では、社会構造の変化とともに礼教性の力が確かに衰えてしまっている。
 しかし、宗教性の方は依然として健在なのである。・・・

⇒本書の増補版が出たのは2015年で少し前であって、当時は現在ほど深刻化はしていなかったけれど、旧儒教国と言ってよい、中共、台湾、韓国・・北朝鮮はさておく・・のいずれも、現在では、日本並み、あるいはそれ以上の出生率低下にあえいでいる(典拠省略)点だけからも、儒教の「宗教性の方」も「衰えてしまっている」と、見ていいのではないでしょうか。(太田)

私は、「宗教<(注6)>とは、死ならびに死後の説明者である」と定義する。・・・

 (注6)柳川啓一は、「世界には日常の経験によっては証明不可能な秩序が存在し、人間は神あるいは法則という象徴を媒介としてこれを理解し、その秩序を根拠として人間の生活の目標とそれを取り巻く状況の意味と価値が普遍的、永続的に説明できるという信念の体系をいう。」
https://kotobank.jp/word/%E5%AE%97%E6%95%99-76838
としている。
 また、英語ウィキペディアは、’Religion is a range of social-cultural systems, including designated behaviors and practices, morals, beliefs, worldviews, texts, sanctified places, prophecies, ethics, or organizations, that generally relate humanity to supernatural, transcendental, and spiritual elements—although there is no scholarly consensus over what precisely constitutes a religion.’ としている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Religion

 宗教から倫理道徳を除いた場合、何が残るであろうか。
 死–死に関する問題が残るのみである。・・・

⇒宗教については、コンセンサス的な定義こそありませんが、「注6」のような説明がなされるのが一般的であり、著者による宗教の「定義」は、支那の宗教にすらそぐわない可能性が高いのではないでしょうか。(太田)

 そして、その民族の考えかたや特性に最もぴったりと適合した説明ができたとき、その民族において心から支持され、その民族の宗教になると考える。
 中国の場合、<それが>・・・儒教であり、また、儒教の後に出てくる道教である。・・・」(26、34~35)

⇒それは、儒教と道教ではなく、もっぱら道教だったのではないか、という気が私にはします。(太田)

(続く)