太田述正コラム#14240(2024.5.28)
<和辻哲郎『日本の臣道 アメリカの国民性』を読む(その7)>(2024.8.23公開)

 「・・・清明心<(注7)>は奈良時代から平安時代へかけての宣命<(注8)>に正直之心として現れて居ります。

 (注7)「『古事記』<において、>・・・スサノヲが荒ぶる神から神性な存在に成長していく途中に「清明心」が祭祀的な「清き」の意味として現れる」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/58/6/58_KJ00010165823/_article/-char/ja/
 (注8)せんみょう。「天皇の命令を漢字だけの和文体で記した文書であり、漢文体の詔勅に対していう。この文体を宣命体(-たい)、その表記法を宣命書(-がき)、また宣命を読み上げる使者を宣命使(-し)、宣命を記す紙を宣命紙(-し)という。宣命体は、漢字仮名交じり文の源泉となった文体で、かなの発達史上、大変重要な文書である。
 天皇が宣(の)りたまう大命(おおみこと、命令)の意で、本来は口頭で宣布され、それを宣命体で書記した。
 奈良時代は朝賀・即位・改元・立后・立太子などの儀式に用いられ、平安時代以降は任大臣・贈位・神社・山陵などの告文にだけ用いられた。・・・
 現在でも祝詞では宣命体が用いられており、祭りや祈願の際に神官によって記されている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E5%91%BD

⇒上掲には宣命の4事例が掲げられていますが、清明心っぽい語句は、孝謙天皇宣命(文武天応即位時)にはなく、後伏見上皇宣命(光厳天皇践祚時)には「清直心」、光厳上皇宣命(光明天皇践祚時)には「清直心」、須高天皇瀬奥井宣命には「正直之心」、とあり、「清明心」そのものズバリが用いられることは余りなかったようですが・・。(太田)

 臣が大君に仕へまつる道は常に正直心として説かれてゐるのであります。
 この伝統は鎌倉時代に至つても弱まつて居りません。
 幕府の政治家が政治の方針として第一に重んじてゐるのは正直であります。
 この考へはやがて北畠親房の神皇正統記の中に三種の神器の解釈となつて現れました。
 鏡は正直を現し、玉は慈悲を現し、剣は智慧を現す。

⇒親房がそう解釈したとして、どうしてそう解釈したのかが分かりませんでした。
 鏡について、分かったことはこれくらいです。↓
 「ニニギノミコトが降臨をする際に、アマテラスオオミカミから、八咫鏡<(ヤタノカガミ)>・草薙剣(天叢雲剣)・八尺瓊勾玉という三種の神器(みくさのかむだから)を受け取り、3つの神勅を受けます。3つの神勅の一つが、八咫鏡に関わる重要なもので、宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅というものです。<「>(アマテラスオオミカミがお渡しになった八咫鏡である)宝鏡を見るときは、私(アマテラスオオミカミ)を見るのと同じように見なさい。そしてこの鏡は同じ屋根の下、同じ床に必ず置いてしっかりと祀りなさい<」。>古くから「かがみ(鏡)」から「が(我)」を抜き取ると、「かみ(神)」となると言われますが、鏡は神につながる重要なものであるという考えはこの神勅にも表れています。・・・崇神天皇の御代までは八咫鏡は、ニニギノミコトのご神勅にもあった通り、同じ屋根の下、同じ床において寝るという「同床共殿」というスタイルがとられていました。しかし、ある時宮中の崇神天皇のいる部屋にアマテラスオオミカミが現れ、他の場所へ移動するようにと告げます。こうして、崇神天皇の娘の豊鍬入姫命(トヨスキイリビメ)によって他の地へと移動します。・・・伊勢にたどり着くまでには、大和、伊賀、尾張、美濃、尾張等の国に行きます。そして、最終的にアマテラスオオミカミのご神託があり、伊勢の地に落ち着くのです。」
https://shinto-bukkyo.net/shinto/%E7%A5%9E%E9%81%93%E3%81%AE%E7%9F%A5%E8%AD%98%E3%83%BB%E4%BD%9C%E6%B3%95/%E5%85%AB%E5%92%AB%E9%8F%A1-%E3%83%A4%E3%82%BF%E3%83%8E%E3%82%AB%E3%82%AC%E3%83%9F/
 
 特に正直は天照大御神の御教として根本的な地位を占めるといふのであります。・・・」(20)

⇒この類の話は、天照大神のウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%A4%A7%E7%A5%9E
には出てこず、伊勢神宮のウィキペディア中で、「外宮祠官の度会行忠や度会家行は、両部神道の影響を受けつつ、伊勢神宮の外宮と内宮の同格を説く伊勢神道(度会神道)を唱え、伊勢神宮での厳格な祭祀を背景に「正直」「清浄」を指針とする神道思想を説いた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE
という形で出くるだけです。
 ちなみに、「八咫鏡を神体とする・・・天照大御神<が>・・・主祭神」なのは内宮(皇大神宮)の方です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE 
 ただ、ここからも透けて見えてくるのは、日本人にとって、「正直」≒「清浄」であるらしいということ、と、「清明」は、正直と清浄を併せた概念なのではないのかということ、です。(太田)

(完)