太田述正コラム#14342(2024.7.18)
<大川周明『大東亜秩序建設/新亜細亜小論』を読む(その32)>(2024.10.13公開)
「・・・支那は殆ど日本を眼中に置かず、インドは恐らく日本の存在をも知らなかったのに、唯だ吾が日本のみが自己の衷に支那とインドとを摂取し、明白に『三国』を意識していたことは、やがて日本がアジアに対して偉大なる使命と責任とを負荷すべき日の来ることを示唆するものである。・・・
三国魂の客観化または具体化こそ、取りも直さず大東亜共栄圏である。」(97)
4 亜細亜・欧羅巴・日本
「初出は大正14年(1925年)、大東文化協会より刊行された」という表記までこの電子書籍に一緒に収録されていることへの言及が最初になかったので、少々驚いていますが、続けましょう。
「・・・東は東、西は西 天地今の如くある限り 偉大なる神の審判の日まで この双生児は断じて合わず<、と>・・・東洋と西洋とは・・・永遠に相争わねばならぬもの<、と、>・・・英国詩人キプリング<は>歌<った(注57)ところ、>・・・今日のヨーロッパ民族、わけてもアングロ・サキソン民族は、満腔これ人種的差別の観念に充つ。
(注57)”The Ballad of East and West”<:>Oh, East is East, and West is West, and never the two shall meet, Till Earth and Sky stand presently at God’s great Judgment Seat; But there is neither East nor West, Border, nor Breed, nor Birth, When two strong men stand face to face, tho’ they come from the ends of the earth.
<翻訳:>おお、東は東、西は西、そして両者はけっして会うことがないだろう、大地と空がやがて神の偉大な審判の座に立つまでも。しかし東もなければ西もない、国境も、種族も、素性もない、二人の強い男が面と向かって立つときは、両者が地球の両端から来たとしても。(『ノーベル賞文学全集 1』より)
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000069592
⇒大川は、「会う」と訳すべきところをわざと「合う」と曲解訳するとともに、後段部分を切り捨てることによって、キプリングの詩を換骨奪胎し殆ど正反対の意味へと牽強付会しています。
また、イギリス人一般は決して人種差別者ではありません。(コラム#省略)
大川は、それと反対の謬見を唱えるにあたって適当な典拠がないために、こんな小細工を弄したのです。(太田)
かつてローズベリ卿<(注58)>がグラスゴー大学に講演して、神は世界支配の神聖なる権利を吾らに与えたと揚言せることは世間周知の語草である。」(100)
(注58)第5代ローズベリー伯爵(1847~1929年)。外相、首相を歴任。「ローズベリー伯爵は自由党内の帝国主義者のグループ「自由帝国主義者」の領袖であり、「平和主義者」グラッドストンとは立場が違っていた、グラッドストンが目指したアイルランド自治法案にも消極的であった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA_(%E7%AC%AC5%E4%BB%A3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E4%BC%AF%E7%88%B5)
「自由帝国主義(・・・ Liberal Imperialism)は、イギリス自由党内の帝国主義論。19世紀末から20世紀初頭における、ハーバート・ヘンリー・アスキス、エドワード・グレイ、ローズベリー伯爵などのグループが「自由帝国主義者」と呼ばれている。・・・古い古典的自由主義は、「国民的効率」(National Efficiency)と帝国主義という新しい概念に道を譲るべきであると論じた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9
⇒ローズベリー卿のグラスゴー大講演なるものについて、私は詳らかにしませんが、想像するに、アングロサクソン文明の世界・・世界には欧州文明地域も含まれる!・・への普及がイギリスの使命である、的なことを主張したと想像されるところ、当時、日本文明の存在が知られていなかった以上、それ以外の諸文明中、相対的に最も普遍性がある(、と、私自身認めているところの、)アングロサクソン文明の普及を唱えたとしても、あながちローズベリー卿らを責めることはできないでしょう。(太田)
(続く)