太田述正コラム#14382(2024.8.6)
<杉浦重剛/白鳥庫吉/松宮春一郎『國體真義』を読む(その4)>(2024.11.1公開)
[日章旗・旭日旗の制定経緯再考]
「注3」に出て来る、「幕末期においてアマテラスが民衆の間で広範に普及し、幕藩体制を超える世界像を想像する媒体になったこと」<(注4)>、も、(コラム#14216で触れた)日章旗の制定に結びついた可能性があると思い、少し調べてみた。
(注4)「幕府に反旗を翻した大塩平八郎や生田万はアマテラスを旗印や檄文に引用し<たし、>・・・黒住教・天理教・金光教<なる>・・・民衆宗教は、それまで農民を縛っていた価値観から彼ないし彼女らを解き放ち、神の意にかなう新しい秩序のあることを示したもの<であるところ>・・・、この三宗教<も、>いずれもアマテラスあるいはアマテラスに由来する神を基軸に絶対平等のユートピア社会を「世直り」後の世界像として謳っている<。>」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/genderhistory/2/0/2_0_5/_pdf/-char/ja 前掲
というのだが、「アマテラスあるいはアマテラスに由来する神を基軸に」は、黒住教にしかあてはまらないのではなかろうか。↓
「黒住教の教祖である黒住宗忠は、・・・文化11年(1814年)11月11日、冬至の日の出を拝む(日拝)中で宇宙の親神である天照大神と自分が一体となるという体験をした。黒住教ではこれを「天命直授」と呼び、この日を立教の日としている。・・・
黒住宗忠は、自らが合一した天照大御神を記紀神話で語られる太陽神、農耕神としての存在である以上に、最高神であり、唯心論的に、全ての人の心に存在し、合一を果たすことで病気の治癒や魂の救済を可能にする究極存在として説いた。
黒住教は天照大御神以外の神の神徳を説いていない。宗忠の説いた天照大御神は八百万の神の本体であり、他の神は天照大御神が枝葉のように分化した存在と説いている。そのため、黒住教は多神教でありながらも一神教的な特徴があるとされる。また、天照大御神は外在的な物神ではないため、信者は太陽を拝む日拝を行うが太陽信仰とは異なる。経典の中に存在する過去の神ではなく、各々の心のなかに生きて居る神であることから、宗忠は独自の教典も作らなかった。
黒住教の教えとして特に重要なものに「御七カ条」と呼ばれる日々の生活の上での7つの心得がある。また、日の出を拝む「ご日拝と御陽気修行」と呼ばれる実践修行がある。
祭神は「天照大御神」「八百万神」「教祖宗忠神」の3柱。・・・
教祖の黒住宗忠は度々伊勢神宮に参拝し、以降、黒住教の信者にも伊勢神宮に参拝させていた。1973年の第60回神宮式年遷宮の際には、内宮の古材を譲り受けて神道山の本殿建築に活用した。そのような縁から、第61回以降の神宮式年遷宮には教団を挙げて奉賛活動を行っている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E4%BD%8F%E6%95%99
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99 ←天理教
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%85%89%E6%95%99 ←金光教
但し、「1867年の「ええじゃないか」は、「世直し」とアマテラスが直接的に結びつけられた社会運動の端的な例である。この運動はアマテラスの御札降りを契機にしたオルギー的運動だったが、「ええじゃないか」の囃子言葉の中に「世直り」の語が含まれているゆえに、「世直し」の側面がある<。>」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/genderhistory/2/0/2_0_5/_pdf/-char/ja 前掲
については、は首肯できよう。
その際、日蓮の名前そのものの由来にも、念のためあたってみた。
一つには、「日蓮大聖人は安房の国(現在の千葉県)小湊にお生まれになる。父貫名重忠・母梅菊の子として御誕生になり、幼名を善日麿と名付けられた。」
http://hokkeshu.or.jp/about/gosyougai.html
ということから、日蓮が自分の法名を決める際、本名を若干なりとも考慮したことは間違いなかろう。
とはいえ、「名前のゆらいについては、日蓮聖人自身が『寂日房御書』に、「日蓮と名のる事自解仏乗とも云つべし。かやうに申せば利口げに聞えたれども、道理のさすところさもやあらん。経に云く、如日月光明能除諸幽冥斯人行世間能滅衆生闇と、此文の心よくよく案じさせ給へ。斯人行世間の五の文字は、上行菩薩末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして、無明煩悩の闇をてらすべしと云う事也。日蓮等、此の上行菩薩の御使として、日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしは是也」(一六六九頁)と、のべていることから、「日蓮」の僧名は自身の考えによって命名されたことが分かります。また『四条金吾女房御書』に、「明らかなること日月にすぎんや。浄きこと蓮華にまさるべきや」(四八四頁)と、この根拠は『法華経』の経文に見出していました。「明らかなること日月にすぎんや」は、神力品の「如日月光明能除諸幽冥斯人行世間能滅衆生闇」の文にあり、「浄きこと蓮華にまさるべきや」は、涌出品の「不染世間法如蓮華在水」を依拠としています。
「日月」は末法濁世を照らす「光明」であり、「斯人」は末法の導師を意味します。同じく末法濁世の泥土に清く咲く「蓮華」は、地涌の菩薩の出現をしめすことと解釈できます。つまり、娑婆世界の光明になるという意思を表し、「三大誓願」の日本の柱・眼目・大船は具体例といえます。
この二つの経文の出所をもとに、日蓮聖人が「自解仏乗」されたのは、地涌の菩薩の自覚といえます。つまり、神力品の別付属の文を「自解仏乗」して、「日蓮」と名のったことが分かります。また、「光明」は南無妙法蓮華経であり、この題目を一切衆生に「受持」させることの使命を、「日蓮」の名に表した意義を知ることができます。」
http://myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index98.htm
以上から、日蓮の「日」が太陽を指していることは間違いない。