太田述正コラム#14440(2024.9.4)
<映画評論120:ヒットラーのための虐殺会議>(2024.11.29公開)
「1942年<1月>にナチス・ドイツの高官15人がベルリンのヴァン湖(ヴァンゼー)畔にある親衛隊の所有する邸宅で開催された歴史的な「ヴァンゼー会議」
< https://en.wikipedia.org/wiki/Wannsee_Conference >
の80周年を記念して制作されたドイツのテレビ映画。この会議の目的は、いわゆるユダヤ人問題の最終的解決策について議論することであった。この会議の議事録は、終戦後に一部だけ発見され、映画はこのコピーに基づいている。
ドイツでテレビ映画として制作されたが、日本などでは劇場公開された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BC%9A%E8%AD%B0
< https://en.wikipedia.org/wiki/Die_Wannseekonferenz_(2022_film) >
「映画のあらすじと台詞は1984年に製作された映画版
< https://en.wikipedia.org/wiki/The_Wannsee_Conference_(film) >
とよく似ており、当時の脚本家ポール・モメルツがリメイク版のために再び脚本を書いた。」(上掲)
とまあ、以上のような次第の映画を昨日鑑賞したというわけですが、見終わった時点で、どうしてこの「バンゼー会議」なるものが「歴史的な」会議であったのかがさっぱり分からずじまいでした。
というのも、東部戦線におけるロシア占領地等においてユダヤ人大量虐殺は既に始まっており、この会議は、単に、銃殺ではなくガス殺中心に切り替えるべくポーランド占領地にガス室付ユダヤ人強制収容所を設け、そこに、ドイツを含め、残されたユダヤ人を列車で送り込むことをSS高官たるラインハート・ハイデリック(Reinhard Tristan Eugen Heydrich。1904~1942年6月)
https://en.wikipedia.org/wiki/Reinhard_Heydrich
がドイツ政府の関係各部門に伝達し、了解を得る会議に過ぎなかったからです。
(但し、ユダヤ人の定義が改めてこの会議で議論はされましたが・・。)
このハイドリックは、この会議の後、半年もたたないうちにプラハで暗殺されてしまうところ、未亡人になったその妻のリナ(Lina)が、この会議はユダヤ人のポーランドへの輸送を決めただけだ、と、夫がホロコースト(注1)とは関係ない、と、弁明を続けた
https://en.wikipedia.org/wiki/Lina_Heydrich
のは、確かにこの会議の議事録にそのものズバリの言葉・・ユダヤ人殺害・・こそ出てこないものの、さすがによく言うよ、と、思う一方、このような形でのホロコースト(の継続)を(この会議よりかなり前に)決定したのは、少なくともハイドリックごときではなく、彼の上司のヒムラー、
https://en.wikipedia.org/wiki/Wannsee_Conference 前掲
や、そのまた上司のヒットラーであることは間違いないですからね。
(注1)「著名なホロコースト研究家の一人ラウル・ヒルバーグは「公式な法令としてユダヤ人殺害が命令されたことはなく、担当閣僚や特定の官庁も存在せず、特定の予算が割かれたこともなかった。それは実行計画ではなく、幅広い官僚が抱いた信じられないほどの精神の一致、総意の読み取りであった」と、指摘している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
後、非本質的な感想を2点述べておきましょう。
一つは、ハイドリックを演じた俳優(のメイク)が老け顔過ぎだったことが後で気になりました。
なにせ、彼、この会議の時、まだ37歳
https://en.wikipedia.org/wiki/Reinhard_Heydrich 前掲
なんですからね。
もう一つは、この会議の中で話題になったところの、バビ・ヤール(Babi Yar)(注2)にも象徴されるところの、ウクライナの重層的な被害者史に改めて思いをはせさせられたことです。
(注2)「バビ・ヤール・・・は、ウクライナの首都キーウにある峡谷である。・・・
1941年9月29日から30日にかけて、ナチス・ドイツ親衛隊の特別部隊(アインザッツグルッペン)などドイツからの部隊、地元の協力者、ウクライナ警察により、3万3771人のユダヤ人市民がこの谷に連行され、殺害された。「バビ・ヤール大虐殺」はホロコーストにおいて1件で最大の犠牲者を出した虐殺と見なされている。9月末の虐殺の後も、数多の市民がバビ・ヤールへ連行され、銃殺された。推計では第二次世界大戦中にナチスによっておよそ10万人がバビ・ヤールで殺害され、その大多数が市民であり、またその多くがユダヤ人であった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%AB#:~:text=%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%AB%20(%20%E3%82%A6