太田述正コラム#14516(2024.10.12)
<中田力『科学者が読み解く日本建国し』について/G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その1)>(2025.1.7公開)
–中田力『科学者が読み解く日本建国し』について–
この本は、中田自身は、『日本古代史を科学する』の続編であるとしています。(5頁)
「前編」に関しては、日本列島における水田稲作の開始時期が大幅に遡ることが判明する前に書かれたものであること、そして、邪馬台国が後に日向国となる地域に存在したとするところの、考古学を無視した暴論、の、致命的な2大問題点があり、落語の「寝床」で大店の旦那の素人芸の義太夫を無理やり聞かされて辟易させられた店子ないし店員
https://osamuya-tasuke.hatenablog.com/entry/2018/02/28/123133
のような気分ですが、「前編」が、私が余り力を入れてこなかったところの、弥生時代/拡大弥生時代のヤマト王権成立の頃についての勉強に繋がったとも言えることから、全く期待はしていないけれど、引き続き、「続編」を取り上げようかと思ったものの、斜め読みしてみたところ、残念ながら、「続編」は「前編」の焼き直しに過ぎず、私の上述した意味での勉強にも繋がりそうもないことから、取り上げるのを止めにしました。
--G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その1)--
1 始めに
この本は、竹村健一が聞き手の対談の形をとっています。
竹村健一(1930~2019年)は、京大に入学後、「<米>・フルブライト財団主催のフルブライト奨学金制度の第1号として、<米>国のシラキュース大学、<エ>ール大学、ソルボンヌ大学(旧:パリ大学)で学ぶ。シラキュース大学大学院新聞科修了。1955年から英文毎日の記者を経て、1963年に新日鐵グループの山陽特殊製鋼へ入社し調査部長となる。しかし、1年後に山陽特殊製鋼を退社し、以後は追手門学院大学英文科助教授、拓殖大学客員教授などを経て、マーシャル・マクルーハンのメディア論の紹介で注目されて文筆活動を始める。並行してテレビ・ラジオにも出演[要出典]。1980年(昭和55年)頃、講演やテレビ番組などで「仕事ができない奴=資料を持ち過ぎの奴」との持論を展開し、自身は1冊の手帳に情報を集約して使っていることを紹介した[要出典]。自らの監修によりオリジナルの手帳「これだけ手帳」を発刊し、その後30年にわたって発行され続けたが、2012年度版をもって発行を終了した。1982年(昭和57年)9月、同年夏に出した『もっと売れる商品を創りなさい』が月刊誌『アクロス』同年2月号の記事から盗用していることが発覚。記者会見で盗用の事実を認めて謝罪し、回収することになった。全文コピーが7ヶ所で87行、文意盗用が10ヶ所で67行というもの。・・・
ベストセラーとなった著書『マクルーハンの世界』で竹村はテレビはラジオと異なり大衆を扇動しない「クールなメディア」だと説明したが、この点がマーシャル・マクルーハンの思想と全く異なるとして竹村は佐藤毅に批判された。竹村は同書はマクルーハンの紹介ではなく「一種の創作みたいなもの」だったと弁明した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%9D%91%E5%81%A5%E4%B8%80
という、あえて超辛口で言えば、高級ショーン・Kのような人物です。
で、肝心のグレゴリー・クラーク(Gregory Clark。1936年~)ですが、英ケンブリッジ生まれの豪州育ちで、父親は産業分類で知られる著名な経済学者コーリン・クラーク、オックスフォード大卒、同大修士・・大学時代は地理学、民族学を専攻・・、豪州外務省勤務、豪州国立大大学院博士課程入学後、来日・・後に同大Ph.D・・し、豪州紙東京支局長、豪州政府内閣府委員、上智大経済学部教授、日本貿易振興機構アジア経済研究所開発スクール(IDEAS)学長、多摩大学学長、国際教養大副学長を歴任、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF
という人物です。
(続く)