太田述正コラム#14524(2024.10.16)
<G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その5)>(2025.1.11公開)

 (なお、1302年に教皇ボニファティウス8世<(注2)>の介入に反発して設置されたフランスの三部会には、(パルルマンが担っていたところの)規制的(行政的)ないし司法的権能はなく、また、(国王が担っていたところの)立法的権能もなく、議員達は出身母体の代表ですらない単なる苦情の取次役でしかなかった
https://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89tats_g%C3%A9n%C3%A9raux_(France)
というのだから、三部会をThingの後継機関と見ることはできない。

 (注2)Bonifatius VIII(1235頃~1303年)。「1301年、フランス王フィリップ4世は再びフランス国内の教会に王権を発動し、教会課税を推しすすめようとしたが、この問題について、ボニファティウス8世は1302年に「ウナム・サンクタム(唯一聖なる)」という教皇回勅を発して、教皇の権威は他のあらゆる地上の権力に優越し、教皇に服従しない者は救済されないと宣した。・・・
 1302年、フィリップ4世は国内の支持を得るために聖職者・貴族・市民の3身分からなる「三部会」と呼ばれる議会をパリのノートルダム大聖堂に設け、フランスの国益を宣伝して支持を求めた。・・・
 やがてアヴィニョン捕囚を迎える(「教皇のバビロン捕囚」)。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%8B%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B98%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)

 これまでの私の主張を撤回する。)

 二 個人主義を維持・普及

 Individualism(個人主義)という言葉が、悪口としてだったけれど、1830年代にイギリスで誕生した
https://en.wikipedia.org/wiki/Individualism
ことは、個人主義がアングロサクソン文明由来のものであって、プロト欧州文明/欧州文明等に由来するものではないことを強く示唆している。
 ゲルマン文化は平時においては個人主義だった(コラム#省略)が、それが、ゲルマン人たるアングロサクソンによって、大ブリテン島内においてのみ維持されたのは、彼らと被治者たる、及び、非被治者たる、ブリトン人達の間の戦争、大ブリテン島内におけるアングロサクソン相互の戦争、そして、大ブリテン島外との戦争、が、地理的意味におけるそれ以外の欧州における戦争や統治に比して相対的に穏やかかつ間歇的なものにとどまり続けたことから、島内有事において、かつまた対島外戦争にあっても、島内においては個人主義を維持し続けることが可能であったからであると考える。
 大ブリテン島外においては、少数のゲルマン人諸国の他はゲルマン人が原住民を統治する諸国であり、相互に常時有事状態であった上に、後者の諸国では国内においても被治者に隙を見せられず常時有事状態であったため、ゲルマン人は個人主義を維持できなかった、と。

(続く)

 「・・・思想体系を欠く社会・・・は、昔からの家族的、部族的社会の価値観をそのままもちつづけている。
 もちろん、その場合でも、より拡大し複雑化した社会の要請に応じて、それらの価値観を発展させ、成文化しようとはするであろう。
 しかし、そこには、その価値観の放棄を迫るような圧力はまったくなく、その必要性もほとんど認められないのである。
 今日においても、現代日本人の価値観と家族的・部族的価値観の類似性は顕著である。
 個人中心の考え方は集団の利益に従属せしめられているし、全体の含意(コンセンサス)と共同体意識(コミューナリティー)が重視されている。
 年齢と性別が命令系統(ヒエラルキー)を決定している。
 宗教の発達も遅れている。
 道徳は集団中心的であり、普遍的な思想によるよりも、習慣や伝統が基礎になっている。
 状況と人間関係が、抽象的な法律、原則に優先している。
 抽象理論よりも実践的な解決方法が好まれる。
 心情や本能が重要な行動の指針となっている。
 似ているのは価値観だけではない。
 社会構造も、日本の場合、本質的に、強い心情と人間関係の絆でがんじがらめにされた集団およびその下部集団の集合体である。
 そのような集団の規模は、小さければ小さい程、その結合力は強い。
 日本の社会が時にコントロールのないアナーキーな社会のように見えるのは、これによるのである。」(178~179)

⇒アングロサクソン文明至上主義を無意識ながら当然視していると思われるところの、クラーク、のホンネが迸り出てしまっている箇所ですね。
 これは、「宗教の発達も遅れている」という箇所を除けば、普通人社会の描写なのであり、当該箇所を含めれば、普通人社会の中の前漢以来の支那社会の描写です。
 断じて日本社会の描写たりえてはいません。(太田)

(続く)