太田述正コラム#14538(2024.10.23)
<G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その12)>(2025.1.18公開)
「・・・日本人はなぜ特異性をもつかの説明には、何人かの日本人の学者が、私の意見とかなり似寄った考え方を提示している。
たとえば中村元は中国人の価値観が日本人のものとはかなり違った展開をしてきた理由として、敵対する遊牧民族間の争いの存在を強調しているが、それは私のアプローチに似ている。
⇒「敵対する遊牧民族間の争いの存在」を「敵対する遊牧民の存在」と直してみても、なお、説明不足で、さっぱり意味が分かりません。
私見では、漢人は「騎馬遊牧民」の現実的脅威に軍事的に対処しようとしなかったのに対し、日本人は「騎馬遊牧民」の潜在的脅威に軍事的に対処しようとした点が決定的に異なるわけですが・・。(太田)
鶴見和子のいう現代日本が外来思想に対して開放的であるのは、日本文化の大部分が内発的なものではなく、外部からの受容によるものだからであるという指摘も適切である。
⇒「文化」の定義にもよりますが、プロト日本文明/日本文明ないし日本文化のコアにあるのが、内発的かつ普遍的な人間主義である以上、話はほぼその逆であって、だからこそ、日本人は、自信を持ってありとあらゆるものを「外部から・・・受容」できたのです。(太田)
さらに角田忠信<(コラム#2533、2767、3750、3756、3840、6422、8848、14179)>は最近出版された著書の中で、革新的な意見をのべ、日本人と外国人の違いの「診断」を行なっているが、それは私の判定によく似ている。
もっともその仮説は、相違の原因を日本語における母音の異常な使い方に求められるものではあるが、やがて読者の中から、これらの学説の当否を判定してくださる方が現われる事を願って止まない。」(188)
⇒「これらの学説」が、中村元、鶴見和子、角田忠信、の「学説」を指しているのだとすれば、それを日本文化論諸学説と言い換えた上で、(私は中村と鶴見の日本文化論については詳らかにしませんし、角田のそれには斜に構えていますが、)それらの大部分が非科学的な思いつき程度の代物であることに、真面目に批判する意欲も生じなかったところ、爾後ことごとく敬して遠ざけることに、私は、このクラーク本が上梓される頃までに決めていたところであり、だからこそ、このクラーク本は無視したのですし、その直後の1982年に上梓された浜口恵俊の『間人主義の社会 日本』は、買うには買ったけれど、ついに繙くことがないまま、現在に至っていた、というわけです。
ただ、繰り返しますが、より早く現在の私の日本史観に到達するために、このクラーク本とこの浜口本は読んでおくべきでした。
なお、中村に関しては、「〈東洋のこころ〉というようなものがあるとすれば、それはいったい何か。その底に流れるものを求めての半生であったといっても、過言ではないように思います。そしてその〈何か〉とは、ひとり東洋のみのものではなく、普(あまね)く、広く、世界の人々にいきわたっているものに違いない。そのような確信をもつものです。その何かこそ、「温かなこころ」ということではないかと思うのです」(中村元『温かなこころ』より)
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というその言からすると、彼は私の人間主義論に似通った地平が展望できていたように思われます。(太田)
(続く)