太田述正コラム#14558(2024.11.2)
<G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その22)>(2025.1.28公開)


[アングロサクソン文明の誕生を巡って(続x4)]

さて、ブリテン諸島にはるばるバスク地方からやってきて住み着いたバスク人達は、北西欧州と経済的/文化的な密な交流があった筈であり、就中、当時北西欧州の主力民族であったケルト人の文化的影響の下、その文化を(リンガフランカたるケルト語の採用を含め)ケルト化し、その際、北西欧州のケルト人が本来は男性の主神を戴いていたのに女性神達の優位の下の男性神達と女性神達との並立へと変わったことを知り、北・東・南欧州の大部分の諸民族は男性の主神を戴いていることも知り、主体的に、自分達のそれまでの女性主神制を大修正し、新たに(汎神論に立脚した)男女両主神制を採用することにした、というのが、私の最新の仮説なのだ。
 その後、北西欧州は全てローマに征服され、北西欧州のケルト人たるガリア人はローマの強い影響化で男性主神制に戻り、更にキリスト教化して男性一神制となるが、ブリテン諸島のバスク人達は自分達流の上述ケルト文化を守り続け、それは、その後ローマに征服された大ブリテン島主要部においてすら、ローマの撤退とアングロサクソン進出下でも基本的に変わらず、唯一神を戴くキリスト教化されてからですらそうだった・・だからこそイギリス人はキリスト教に一貫して違和感を覚えたまま現在に至っている・・と。
 とりわけ、大ブリテン島のブリトン人達は、ローマやアングロサクソン支配下にあって、ケルト文化を維持することが矜持化した結果、アイルランド等に比して、ケルト文化はより強固に堅持された、とも。
 以上、長々と記述してきたが、その目的は、アングロサクソン文明がプロト欧州文明と異なった文明になった最大の理由がそこにある、と、私が見るに至っているからだ。
 両文明の最大の違いが、前者が経験論、後者が合理論(注15)、に立脚している点にあることに異論は余りないだろう。

(注15)「17世紀から18世紀にかけて生じた近代哲学の認識論において、イギリスを中心とする経験主義的傾向が強い議論(イギリス経験論)と、欧州大陸を中心とする理性主義(合理主義)的性格が強い議論(大陸合理論)を区別する<ようになった>。・・・経験論は哲学的唯物論や実証主義と緊密に結びついており、知識の源泉を理性に求めて依拠する理性主義(合理主義)や、認識は直観的に得られるとする直観主義、神秘主義、あるいは超経験的なものについて語ろうとする形而上学と対立する。経験論における「経験」という語は、「私的ないし個人的な経験や体験」というよりもむしろ、「客観的で公的な実験、観察」といった風な意味合いが強い。・・・
 13世紀のオックスフォード学派は、スコラ学を批判して経験を重視し、数学や自然哲学の発展に寄与した。先駆的な研究はロバート・グロステストの「光の形而上学」であるが、その弟子のロジャー・ベーコンは、「無知の四原因」を挙げて数学の意義を強調し、実験を用いることの重要性を説いた。14世紀のオッカムは、内的な反省的直観のみならず、「具体的個別的な感性的経験をも認識の起源」として重視して「普遍は単に思考上の単なる記号にすぎない」として、スコラ学内の普遍論争において唯名論を主張し、近世の経験論を準備した。
 16世紀以降、フランシス・ベーコンは、ロジャー・ベーコンの「無知の四原因」を発展させ、四つのイドラを示し、イドラを取り除くことが正しい知識に必要だと考え、従来のスコラ哲学で重視されてきた演繹と対比して、感覚的観察を無条件で信頼せず、実験という方法を駆使して少しずつ肯定的な法則命題へと上っていく帰納法を明示した。帰納法は、自然科学の発展を促した<。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96

 その上で、主神が一人である(イギリスを除く)欧州が合理論と親和性があり、主神が二人である(上に汎神論/アニミズム的であり続けた)イギリスが経験論と親和性があるのは当然だ、と、私は思うのだ。
 こうして、イギリス以外の地理的意味での欧州では、神ご一人の意思で整然とあらゆる事象が動いていくと考えるのに対し、地理的意味での欧州においてイギリスにおいてだけ、(両主神を中心とする汎神の)諸力が作用しあった結果として諸事象が動いていくと考える、と。
 

(続く)

(続く)