太田述正コラム#14604(2024.11.26)
<浜口恵俊『間人主義の社会 日本』を読む(その7)>(2025.2.21公開)

 「・・・もう一つの報告書『科学技術の史的展開』は、「個と個」「個と全体」との関係の追究が、今後の科学技術の基本的な方向であるとし、それをホロニック・パス(holonic<(注8)> path)<(注9)>と名づけている。

 (注8)「生物の器官のように,組織化のより高いレベルから見ると部分であり,低いレベルから見ると全体であるような機能単位に対して,1976年に A.ケストラーがホロンと命名した。ホロニックとは,そのホロンに基づくもので,「全体と個の調和を図る」という意味である。生命のなぞを解明するためには,全体と個の調和や高度の組織を順次組み立てていく仕組みについて考える必要がある。」
https://kotobank.jp/word/%E3%81%BB%E3%82%8D%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%8F-3190156
 アーサー・ケストラー(Arthur Koestler。1905~1983年)は、「ブダペスト<生まれの>・・・、ユダヤ人のジャーナリスト、小説家、政治活動家、哲学者。・・・
 1967年に出版した『機械の中の幽霊(The Ghost in the Machine)』では彼の発明による概念「ホロン」の提唱などで、ニューサイエンスムーブメントの発端となる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC
 (注9)「全体と個が総合的な調和を図っていく道筋。また、そのような方法論。」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%91%E3%82%B9/

 これまでの科学研究における要素還元主義(アトミズム<(注10)>)や生産技術におけるハード・パス(人工の途)<(注11)>には、究極的に限界があるという判断からである。・・・

 (注10)「自然はそれ以上分割できない最小単位としての原子(・・・atom)から成り立つとする理論・仮説である。唯物論や機械論と重なる。・・・
 現代の自然科学においては、原子という概念は、自然を構成する分割不可能な最小単位を指すのではなく、元素(化学元素)の最小単位を指すのに用いられている。そして、このような原子の内部構造は「subatomic particles」などと呼ばれる。自然科学における「原子」という概念が、(古代原子論以来の)原子概念の原義と矛盾する、内部構造を持つ中間単位に割り当てられたので、その後、分割不可能な最小単位を指すために「素粒子」という概念が新たに造られ用いられている。
 このように、かつて自然科学において「原子論」と呼ばれる分野で行われていた研究は、現在では「素粒子論」と呼ばれる分野において行われている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E8%AB%96
 (注11)ネットを調べた限りでは、ハード・パスという日本語の用語もhard Pathという英語の用語も存在しない。浜口の勘違いではなかろうか。

 互いに独立した「個」によるシステム制御ではなく、また、「全体」による「個」の集中的な制御でもなく、部分がシステム全体を秩序づけるべく、自発的に協同して行動すること、すなわち協働的な分散制御という働きが、<「ホロン」>の基本的な機能である。・・・
 日本の仲間的な組織形態は、「社会全体と『個』とを『ホロニック』に調和させてできたもの」だ。
 そして日本人は、ホロニック・パスを自らの体質にしてしまった。
 この点で、今後の日本の科学技術の進展にも大いに期待がかけられそうである。」(17~18)

⇒この期待が期待外れに終わってしまうことを我々は知っているわけですが、この「ホロニック・パス」なるものは、ケストラーの創り出した概念を人間社会にまで拡大適用したものであると言えそうであるところ、公文俊平・香山健一・佐藤誠三郎監修『大平正芳–人と思想』(大平正芳記念財団 1990年)という本が出ている
https://www.bing.com/ck/a?!&&p=23e277ddddfa76a217e2430f5e248debdcba89935efc4f621b2a906efbc02edcJmltdHM9MTczMTg4ODAwMA&ptn=3&ver=2&hsh=4&fclid=3204d1cd-4871-6146-2f33-c4ff499b60fd&psq=%e5%a4%a7%e5%b9%b3%e7%b7%8f%e7%90%86%e3%81%ae%e6%94%bf%e7%ad%96%e7%a0%94%e7%a9%b6%e4%bc%9a%e3%80%80%e5%85%ac%e6%96%87%e4%bf%8a%e5%b9%b3&u=a1aHR0cHM6Ly90dWZzLnJlcG8ubmlpLmFjLmpwL3JlY29yZC82NjU2L2ZpbGVzL2FjczA5NTAwMl9mdWwucGRm&ntb=1
ことから、公文は、大平総理による政策研究会のメンバーであったと思われ、『科学技術の史的展開』の執筆陣にも加わっていた可能性が大であり、私が「「日本型」経済体制論」で打ち出したエージェンシー関係の重層構造(同論文中では、用語と文章、及びマーケティングを担当した共同執筆者の中川八洋により「多傘分散構造」と書き換えられていた)を下敷きにした可能性が大である、と、あえて言わせてもらましょう。
 (改めて振り返ってみると、中川のネーミングの方が直観的に伝わり易いことを認めざるをえないが、当時の私としては、この論文・・外務省の公費で英訳された・・の核心部分を誰かが数学的に表現してくれることを期待しており、数理経済学者や数理経営学者に分かり易いagencyという経済/経営学用語が用いられなかったのが残念だったものだ。)(太田)

(続く)